「第33回 偉大な主・高橋信次先生に捧げる感謝と誓いの会」におけるごあいさつ(要旨)

丸 山   弘

 皆様、本日はようこそお集まりくださいまして、有り難うございます。大変高いところからご無礼いたします。

 先程から、偉大な主・高橋信次先生の尊いお話が幾つもありましたが、私が、先生とお別れをしましたのは、正法に触れて約1年と4カ月ぐらいでしたが、その間、中国にもお供をさせて頂きました。それは空を飛んでいきましたから、1銭も要りませんでした。

 その頃、正法は、日本列島の中で北陸が一番遅くお導き頂いたようでした。大阪とか九州はすでに出来ておりまして、初めて北陸支部という称号をお与え頂いたのですが、偉大な主・高橋信次先生には、私に対して、最後に、「誰の真似もしてはいけない。貴方は自分の思う通りにやって行きなさい。それでいいから」とお導きくださいました。

 偉大な主・高橋信次先生が申された通り、私の周辺では、誰も私の妨害をする人はいませんでしたし、「貴方は、高橋先生のお話とは違うね」等と言う人もいませんでした。そのような有り難く、勿体ない環境をお与えくださったのでした。かと言って、決して私が偉いとか、そういう事ではございません。それぞれ役割があるのではないかと思っております。

 先生から『法』についてお教え頂きまして、短い1年足らずの間に、研修会を始め、金沢にもご講演にお出でくださるなど、あるいは種々お導きくださるため、勿体なくも常にお呼びくださり、いつも身近でお導きを拝聴することが出来ました。その中で、常に「法が在る、法がないとは」について、「あそこには法がないんだよ。ここには法が在るんだよ」等とお導きくださいました。

 私は、「法が在るとは、そして法がないとはどんな事だろう」と疑問に思い、ご著書の『心の発見』『人間・釈迦』を、長年夜も寝ないようにして拝読してまいりました。人の前に出るには「さぁ、それは自分には分かりません。本を読んでください」等と申し上げるわけにはいきません。先生に「後を頼むよ」とご下命頂いた以上、自分自身は先生のような、そういう立派な存在にはなれませんけれども、自分の頂いた魂の次元で最大限の努力をしなければならないということで、夜も寝ないで、昼は2つの会社を見ながらやってまいりました。

 その時分はまだ会員の方が少ない頃でしたが、私の家の2階に会場を作り、そこで4〜50人集まって勉強会を開きました。「法が在る、法がない」ということを何度も申し上げますが、初めはそれが分からなくて、会社でも、万年筆を自分の前へ出して「ある」後ろへ隠してみて「ない」と、夜も昼もこんな事をやっていましたから、家内からは「あなた気が狂ったんじゃないの」等と言われながら何年もやって来ました。でもそんな事をしていても何一つ法は解りませんでした。

 ある時、東京に住んでおられた私の親しい法友の方が、私がそういう事でもがいているということが、どうして分かられたか知りませんけれども、偉大な主・高橋信次先生の大事なテープを3〜4本、速達で送ってくださいました。私は、その夜から毎日拝聴いたしました。それは、中野の観音寺のお坊さんの所で、偉大な主・高橋信次先生がご講演されたときのテープでした。

 その中で、「広島に原爆が落ちたけれど、金沢には原爆は落とされなかった、金沢は守られていた」というお話をされていました。私の親友は、先生の申される事と、私の心というものの食い違いというか、私が何故苦しんでいるかということを、少しでも分かるように、つまり、「貴方は非常に違う立場を与えられているのだ、天から守られているのだ」ということを早く悟りなさいと言ってくださったのではないかと、その時気付きました。それから勇気が出ました。でも毎日毎日、「法が在る、法がない」ということを追究しておりましたが、人様の前で、正法について話すことは出来ませんでした。自分の心に落としていないのですから。

 でも、「守られるべきところは守られている」ということを考えてみましたら、私が軍隊にいた頃、やがて沖縄に行き、爆弾を担いでアメリカ軍の戦車の下に入る訓練をずっとしていましたが、急に転属を受けて、内地に留まるように言われました。他の方々はみんな中国に行かれ、私一人が残ったのです。終戦の前の年の、暮れの雪の降る日でした。

 そういう事をじっと振り返ってみました時に、偉大な主・高橋信次先生には、「貴方の思う通りにやりなさい。後は頼んだよ」と申されたことも、私は当時はその他大勢の中の一人のつもりでいましたが、そうではなかったのだと思いました。

 その後、いろいろな人のお話を聞いていた時に、「あぁこれか、法がないというのは」と思いました。偉大な主・高橋信次先生の御教えの通りの、正法の話をされていないのです。新興宗教や、いろいろな所を遍歴してこられた経験も交えた正法の話をされていました。そのとき、「あぁ、こういうことか」と、それまで何年かかりましたでしょうか、ようやく心に落ちたのです。

 それから如何なる人から質問を受けようが、私は答えられるようになりました。これも私の力ではありません。偉大な偉大な主・高橋信次先生のお導きだと思います。それ以外にあるはずがありません。偉大な主・高橋信次先生というお方は、自由自在です。人の心を見るのも自由自在です。

 要は、法が在るか、法がないか。自分自身が法を心の中に活かしているか。法の下に生きているか、精進努力をしているか、ということが皆さんに問われていることなのです。ご著書『心の発見』『人間・釈迦』をいくら拝読しても、それだけでは分かりません。万年筆をいくら後へやって前へ出してみたって、ある、ない、これしか分かりません。それでは、自分の心に落とすにはどうしたらいいか。そのためには、自分自身の心と向き合わなければいけません。自分自身の心の、愚かな事を断ち切らなければいけません。

 私は、私の次元なりにそういう事を自分でつかむことが出来ました。それからどんな方から質問されようが、偉大な主・高橋信次先生のお説きになられた正法については、私はお答えすることが出来ます。そして即、その人が法が解っている人か、これまでにどんな宗教をやってこられた人かも分かります。

 世の中には、「高橋先生の教え」ということを言う人は沢山おられます。しかし本当に正法がそこに在るか、その人が正法の実践をされているかということを、私も含めて見て頂きたいと思います。そして本当に法の在る、光に満ちた人のお教えを頂かれることが一番大事だと思います。

 ですからこの会へ、毎月毎回ご出席されるにしても、本当に法が在るかな、ということを皆様が見られることによって、自分自身を確かめられます。皆様は毎朝鏡を見られますが、その時に、ご自分の体から後光が出ているかどうかを見ることが出来なかったら、皆様はまだ正法をご存知ではありません。人のことを本当かなあ、と見る資格はないと思います。まず、自分自身を皆様はしっかりと見て頂きたいと思います。しかし今日お集まりの大方の方は、ほとんど光が出ておられます。ただし、その方の精進の度合いによって光の大きさが小さかったり、大きかったりします。偉大な主・高橋信次先生には、その偉大な後光は、この会場の屋根を破ってはるか天まで届くように出ておられます。

(ステージに飾られている、偉大な主・高橋信次先生のお写真の前に行かれて)  ここにこういうお写真があります。これは、偉大な主・高橋信次先生が金沢で、初めてご講演をされた時のお写真です。ここに光の大天使が3人おられます。こういう風に。しかも、しょっちゅう動いておられます。それが見える方がおられたら、その方は合格です。このお写真は、私の家の居間に大事に掲げてあります。

 この事を最後に、私の話を終わらせて頂きます。取り留めのない話しをいたしましたけれど、何かお役に立てればと思います。どうか今後とも、一人でも多くの人に伝道をしてください。それが皆様があの世に還る、偉大な主・高橋信次先生の下へ還られる唯一の道です。以上で終わります。





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