各地の勉強会のもよう(月刊「ひかり」誌2008年6月号より)


◇4月12日(午後) 金沢地区 学修会

 桜の花が満開の季節を迎え、春たけなわの4月12日、今月も地元の皆様を始め、名古屋、大阪、富山地区より、お心熱き多数の法友様のご参加を頂き、金沢地区学修会が開催されました。

 開会前に、遠く離れたブラジルの放送局でアナウンサーをされているM.S様が、時折現地のラジオ番組で流してくださっている『金沢望郷歌』のCDをお送りくださったものを拝聴させて頂きました。今生、有り難くも、正しい法の在る金沢に生まれさせて頂いた幸せに、感動感激で胸が一杯になり、溢れ落ちる涙を止めることが出来ませんでした。

 最初に、丸山先生には、「今日は遠方から、また市内からも沢山の方がお集まりくださり、有り難うございました。特に今日は桜が満開ですが、最初に金沢で学修会を開催いたしましたのが、ちょうど桜が満開の、1975年4月18日でした。偉大な主・高橋信次先生の御高弟の方がお二人お見えになり、金沢商工会議所の2階の会議室でご講演会を開催したのですが、予め一般に広くご案内する時間がなかったにもかかわらず、満員で盛会だったことを今でも思い出します。

 今日は、4月12日ですから1週間後のことでした。その頃は、18日頃に桜が満開の季節だったのです。何か、スタートが桜に縁があるなぁ等と思っておりますが、今日はそういう意味におきましても、当会が大きく伸びていくステップの機会を頂いたように思いました。

 只今は、遙々ブラジルから送って頂いた『金沢望郷歌』を、初めて拝聴させて頂いたのですが、こうして遠くブラジルの法友様から頂いた、金沢に対する望郷のお歌を拝聴させて頂くということは、何か深い不思議なご縁があるのではないかと思い、大変感激いたしました。今から約33年前の1975年7月6日、畏れ多くも、偉大な主・高橋信次先生には、当地にお越しくださり、『北陸から、全世界に正法を広めるように』と、私にご下命くださいました。

 当時、全世界に広めるには、どうしたらよいのだろうと内心思いました。そこで、スタッフの方々にご協力をお願いしまして、アメリカを始め諸外国の日本県人会にお伝えしようと、ご著書並びに『ひかり』誌を寄贈してまいりましたら、ブラジルの福井県人会の会長をしておられた、B.T様には大変感激され、1995年6月25日の『高橋信次先生に捧げる感謝と誓いの会』に遙々ご参加くださり、後にスペイン語による『ひかり』誌を発行される等、正法伝道に大変ご尽力くださいました。そのB.T様がお伝えくださった方が、このブラジルにお住まいの日系の女性の方なのです。正法に触れて、日々法を一生懸命にお勉強しておられる方で、金沢を第二の故郷のように思われているお方です。

 そういうことで、各国の県人会を中心に広めていったのですが、比較的ブラジルが早かったようでした。また、ハワイには、日系のグループがあり、日本人の方がハワイの商工会議所の責任者をしておられ、そういう方をご縁としてハワイにも広めるよう努力しました。その頃は、本当に寝るのも惜しんで一生懸命にやったものです。

 何回も皆様に申し上げましたように、偉大な主・高橋信次先生には、『とかく日本人は、アメリカから来たものは、何でも立派なように思うから、アメリカから入ってきたものには、日本人は飛びつきます。正法も、やがてアメリカから入ってきたら爆発的に広がります』と、お導きくださったことが昨日のことのように思い出されます。

 今、次第に爆発的になりつつあるように思います。オーストラリアにも、会員の方がおられまして、英訳等もお手伝いしてくださっています。南米でも『ひかり』誌を購読してくださる方がおられるようになって来ました。その他にも、ドイツ、イギリスにもおられます。かつて、畏れ多くも大ヤコブ様には、イエス様に続いて処刑されたのですが、この方の御遺骨がスペインの、ある田舎の教会にあることを、ある文献で発見いたしました。やがてヨーロッパへ行くことがありましたら、必ずそこへ行ってみたいと思っています。アメリカの方が当会に集まって来られる日も近いのではと思います。それだけにより正法を深くお勉強くださり、如何なるご質問を頂いても、堂々とお答え出来る皆様であって頂きたいと思います。

 先般、3月の下旬頃だったと思いますが、何気なしにテレビを見ておりましたところ、NHK会長のS.F様が出ておられて、NHKの新年度の予算についてご説明されていました。そこで、国会議員が質問しておられたのですが、その中に民主党の代議士様が、女性三名、男性三名おられ、このNHKの予算が非常におかしいということを話されるのです。

 私は、予算等や、経理的なことは何も分からない人間ですが、じっと見ておりましたら、徹底的にNHKを攻撃しておられるようでした。私は、この先生方のお話を拝聴し、夫々皆様が、正しく思う、正しくお話をされることをご存知でなく、夫々自分中心のお話をされておられるように思いました。

 私は正法者ですから当然正法から見ます。皆様も、テレビを見る時も、新聞を読む時も、人の話を聞く時も、常に法に沿って見る、法に沿って聞くことが大事だと思っておられるものと思います。常に正法に沿って、全てを聞かなかったら勉強になりませんし、自分を訓練出来ません。この世で正法のもとに生きていなかったら、一人の正法者として、少し正法をかじっているのだという程度で終わり、恐らくあの世(光明の世界)には還ることが出来ないと思います。

 私には、この質問をしている先生方が、特に女性の方が何か威張って、NHKの方々を見下げてお話しされているように感じ、大変悲しくなりました。そこで、初めて天が私に、『これを見なさい』と申されたのだと感じたのです。ということは、この一人一人の質問している方、上から見下してお話しされている方には当然光(金色の後光)はありません。国会が何かいじめる場所のようで、お互いにお互いを尊敬するという尊い心が失われているように思いました。

 如何に国会議員の方であろうとも、一人の人間として、また一人の神の子として、太陽様がお与えくださる熱と光は、それぞれその環境に応じた熱と光を平等にお与えくださっていることをお導き頂いていますが、最も大事なことは、如何に無学の人でも、また一国の総理大臣であろうとも、今、乞食をしている人であろうとも、すべて神の子であります。

 私達神の子が、神の子として見ることが出来なかったら、その方は国会議員になる資格がないのではと思いました。きっと質問をしておられた先生方は、誠に誠にお気の毒にも、自分の善なる心に素直に、正直に語る、という人間として最も大事なことをご存じではないようでした。

 皆様も、これから人との会話やテレビでも『この方は正しく語っておられるかな、私は正しく聞いているかな』等という心で見たり、聞いたりして頂きたいのです。ただ普通に聞いていたら正法者ではありません。常に、光在る人様を見せて頂ける自分を、畏れ多くも、光の場に置いて頂けるような心作りをする精進努力が特に大事と思いました。

 常に光在る所に自分を置いて頂けるか、頂けないかは、第三者の誰でもない、要は、常に八正道に生きる自分自身でなければならない。常に、善なる心に素直に忠実に生きる精進努力が特に大事と思いました。自由に選択出来る訳ですから、常に常に、自分自身に厳しく他には寛容に生きることが、神の子として何よりも大切な、より心を正す道だと思います」と、如何なる場合も正法に沿って正しく見る、正しく思う、正しく語るという、常に法のもとに生きるという正法者としての大切な心得を、分かりやすくお話しくださいました。

 発表の場では、伝道に関してご発表された方々に対して、「伝道は、『どこへ伝道に行こうかな』ではないのです。自分が今までつき合って来た方を振り返ったら良いのです。親戚とか友人、知人とか、親しい方にお話しさせて頂くことが一番大事です。

 前を見ていても分かりません。明日死ぬか生きるか分からない人間が、先のことを分かるはずがないのです。しかし、過去は自分が経験してきた人生ですから、そこに色々な親しい知り合いも沢山いるはずです。それを掘り起こすことが大事と思います」と、お話しされました。

 次に、ある会社で1年前から役員になられた方が、「今日のお話で、どんなことも法を中心に聞く、見るということをお教え頂き、私は何か商売だけにとらわれていた1年で、法により生きることを知らなかった自分を改めて思わせて頂きました」等と発表されると、先生には、「それは、常に、神仏様によって、只今を頂いているという感謝と悦びを持てるようになられた時から見えて来るように思います。神仏様が、常にすべてお与えくださっているのだという思いで行うことが大事です。

 これを一つ皆様、今日は持って帰ってください。今日、ここに来られたのも、神仏様がお与えくださったお蔭様です。皆様とお会い出来たことも、畏れ多くも神仏様がお与えくださったお蔭様と思うことが特に大切です。

 商売でも、『神仏様によって、この方にもお会い出来たのだ』という感謝の思いが抜けていたのです。法が抜けていたのです。それは、ご著書から遠ざかっていたからです。如何なる会社に勤めようが、今頂いている所は、神仏様が、すべて、お与えくださったのです。自分の心を大切にしなくては、その会社に貢献することは出来ません。

 ただ、この世的な物にとらわれた人生しか生きられません。でも、神仏様を心に頂いていたら、物でないもの、神仏様の光を頂けます。それから、神の子として、人間の縁生というものをお導き頂けます。貴方様の会社の社長様とは、何か縁生があるように思います」とお話しされると、その方は、「そう思います。一日も早く法をお伝えしなければと思います」と言われると、「そういうお心で行かれたら、何を考えている経営者かいち早く分かるのです。分からない方は、そういう思いを持っていない方です」と、お話しくださいました。

 そのお話を縁として、また次の方も、「先程の先生のご指導で、その場を神仏様からお与え頂いているということが、ずっと分からずにいました」等と、お話しされると、先生は、「そこが分からなくて、学修会に何年何十年通っても駄目です。此処がしっかりしていないと、この場に来られても法が心に入りませんし、持って帰ることは出来ません。神仏様によって、この場を始め、すべてお与え頂いているのです。そういうお心で見たら、大自然の山々の景色も、凄いなあ、有り難いなあと感じるようになられると思います。明日から、貴方様の嫌な職場でも、『あー神仏様のお蔭様によってお与え頂いているのだなあ』等と思えたら、心が豊かになられると思います。

 自分のご家庭でも、貴方様がご家族に、いつも神仏様のお蔭様のお話をしておられるか、どうかということです。一日に何回お話ししておられるか、見て行かれたら良いと思います。私は、一日に何回も思っています。また、常に亡き両親を思って感謝しています。

 毎日毎日、食事の度に、『ご飯一粒も、お母さんのお蔭様やねー、お父さんも良い人だったねー』等と、いう話が出来なかったら正法者ではありません。人間として当然のことです。特別のことではありません。これが『心行』だと思います」とお話しくださり、次の方にも、「一番大事なことは、日々ご両親様を称えているか、また日々お嫁さんのご両親様も称えているか、ということです。これらのことが実行出来なかったら正法者ではありません。家も柱があって土台があるように、人間も柱があって土台がある生き方をしていたら崩れませんし、失敗もしませんし、また病気にもなりません」等と、お話しされました。

 私達は、目の前に起こる事象は全て、神仏様のお計らいによって、お与え頂いているということを片時も忘れてはいけない。そして如何なる場合も、法に沿った正しい心の規準を持って、正しく生活することがとても大事であり、そのためには、正法の原点である神仏様に対する報恩感謝、さらに夫々のご両親様への報恩感謝、さらにご先祖様に対するご供養の実践が大変大事である事を深く学ばせて頂いた、大変有り難い尊い学修会をお与え頂きました。

   (編集部記)




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