「5月27日 金沢地区勉強会に出席させて頂いて」


金沢地区 R.K

 新緑が美しく爽やかな日々が続きます中で、畏れ多くも連日ご光輪を拝見させて頂き、誠に有り難く、大宇宙大神霊・仏様に対し、心からの感謝の誠をお捧げ申し上げます。

 我が家では植木鉢の「ばんまつり(夜香木)」が紫色の愛らしい花を沢山咲かせ、夕方からはふくいくとした香りを漂わせてくださっています。この「ばんまつり」という花の木について、かつて丸山先生にご同行させて頂きました時、鹿児島地区の学修会の帰途、鹿児島空港の建物に添って植えられた「ばんまつり」が見事な花をつけて咲き誇っており、忘れられない光景となりました。その後あるお店でこの「ばんまつり」の苗木を見つけて、思わず買い求めた思い出の一つですが、何よりも、畏れ多くも丸山先生にご同行させて頂き、法の学修が叶いましたことを心から感謝申し上げておりますとともに、鹿児島地区の皆様方の学修会の一端に加えて頂きましたことを、この上ない光栄に存じ、その当時のことを思いますと、感激感動で胸が一杯になります。

 さて去る5月27日には、偉大な主・高橋信次先生のご講演会と金沢地区勉強会が金沢市文化ホールで開催されました。勉強会での発表にあたり、発表させて頂く内容について、正法に帰依させて頂いてから今日までを振り返り、見つめ直させて頂きました。

 今日只今の私は、毎日心を平安にして、穏やかに過ごさせて頂いております。家族も健康で、家庭も円満にならせて頂きました。大変有り難く、嬉しく、「正法」の学習のお蔭様と日々感謝の心で一杯です。

 「正法」の学習には金沢地区代表委員でありますK.K様から長い年月をかけてお誘い頂き、ご縁を戴きました。今年で14年になろうかと思います。現在ではミッションスクールで6年間ご一緒だった学友のA.K様、K.K様、M.M様、そして私の4人が法友としてご縁を戴き、合い集い学んでおります。

 私は初めて、偉大な主・高橋信次先生のご著書を拝読させて頂き、「肉体はこの世を渡る為の舟であり、魂(心=意識)が永遠に生き通しの生命体である」とのお導きと、「心にも形があり、その心の中心の一点が神と繋がっている。故に人は他人にはウソがつけても自分には絶対ウソがつけない」とのお導き、そして人間の心を図と、断面図にして著されたところを何回も拝読させて頂きまして、深遠なお導きであることを初めて知りました。この世の中に、偉大な主・高橋信次先生のお説きになられました「正法」という凄い御教えがあることに驚かされ、心魅かれ興味を持ったのが学習の始まりでした。

 そして学修会に参加させて頂くようになりまして、夜の青年部の学修会にも参加させて頂き、思わぬ展開で発表の順番が私に回ってきました。何をお話ししたらいいのか戸惑いながら、次女が長年の願いからオーストラリアに留学していることを何気なく発表させて頂きました。すると丸山先生には「お嬢様が何故遠くへ離れておられると思いますか」と、お尋ねくださいました。先生のお話を怪訝そうに聞いていた私に「お嬢様が母親のもとを離れていかれるにはそれなりの原因があるからですよ。お嬢様が母親を愛おしいと思われないから簡単に離れて行かれるのですよ。お子様を産まれたからといって直ぐに母親にはなれないのです。母親になっても、母親はそのお母様からもらわれた分の愛情しか子供に与えられないのです。それ以上の体験がないからです」と、丁寧に分かり易くお話しくださいました。

 そして「ご自宅に帰られたら直ぐに『寂しい、寂しい、寂しい』とお書きになられた手紙を出されることです。お嬢様は直ぐに帰って来られますから」と、いとも簡単にご指導をくださいました。先生のお話は初めてお聞きする内容でした。またご指導を聞かせて頂いている私の心は不遜にも、「そんな、まさか。つい先日、『大学編入試験に合格したし、本格的に勉強をするから、あと2〜3年は宜しくね』って言ってきたばかりなのに……。先生には簡単におっしゃられたけど本当かなぁ……」と思いながら帰りました。

 一時して丸山先生のお話しくださいましたご指導をゆっくりと考えさせて頂きました。一つだけハッキリした思いがありました。それはこれからずっと正法を学習させて頂こうとするならば、次に参加した学修会で「ご指導はまだ実践させて頂いておりません」とはとても言えないという思いでした。そこでまずは戴いたご指導そのままを実行させて頂こうと心に決めました。シーンと静まり返った深夜、先生よりお教え頂いた「寂しい、寂しい、寂しい」というお言葉を入れて手紙を書かせて頂いておりますうちに、次女に対する様々な思いが次から次と溢れ出てきて心が張り裂けそうになりました。そしてその一つ一つを神仏様に対して心からお詫びを申し上げ、次女の魂にお詫びをさせて頂くうちに、この子に対し今までになかった愛おしさが湧いてきて、堪え切れないくらい泣きました。涙が止まらず、その涙で手紙の字が滲んでぼやけてしまいました。

 ふと気が付くと不思議な事にクレゾールの匂いが部屋中に漂っていました。匂いはこの部屋だけで廊下等には全くしていませんでした。後日、この匂いは丸山先生にお聞きいたしましたところ、「天上界の香り」とお話しくださいました。

 私は丸山先生のお言葉のままを泣きながら書かせて頂いていた時の心が、天上界と繋がっていたのだと思わせて頂き、初めての体験に心から感激感動いたしました。

 手紙を出して2、3日後、まさかのことになったのです。本人から「帰るね」と言って来たのです。本当に驚きました。ご指導を不遜な思いを抱きながらも直ぐに実行させて頂きましたお蔭様です。

 こうして帰りました次女は正法に帰依させて頂き、共に学習をさせて頂くようになり、母娘共々を天のお計らいによりお救い戴いたのです。

 後日この時の不遜な思い、愚かな心を、大宇宙大神霊・仏様に対して心からお詫びを申し上げました。丸山先生に対しても心からお詫びを申し上げました。(『ひかり』誌2003年3月号をご参照ください)

 学習を深めていくなかで、この貴重な体験を振り返り、「寂しい、寂しい、寂しい」と書くようにご指導くださった丸山先生のお言葉を、その時の私は、簡単に丸山先生には「寂しい」という言葉が一つだとインパクトが足りないので、3回繰り返すようにおっしゃられたのでは、という位にしか思っていませんでしたが、その3回繰り返すことには何か意味があると思わせて頂くようになり、今一度見つめ直してみました。

 1つ目の「寂しい」とは畏れながら、母親の未熟な愛のない心を天には憐れまれた結果のおことばと気付かせて頂き、2つ目の「寂しい」は次女の内なる切ない心の叫び、3つ目は愚かな私(母親)の愛を知らない貧しい心を現されたお言葉のように思われ、3つの「寂しい」には深い意味が込められていたことにようやく気付かせて頂きました。丸山先生のご慈愛に満ちたご指導の奥の深さに気付かせて頂き、改めて「正法」の御教えの凄さにひれ伏す思いになりました。

 丸山先生には自分を大切にして、正しい神仏様をお信じ申し上げ、「正法」を心から信じるようにといつもご指導くださいます。

 丸山先生のご指導のお蔭様で只今を戴いておりますことを心から感謝申し上げます。

 そしていつの時も「正法」の学習には、偉大な主のご著書の拝読に努め、法を正しく理解することが大事とご指導くださっています。またご指導については参考にして聞くのではなく、神の御心として素直な心で拝聴し、必ず実践させて頂き、実践を自分の体験にするようにとお話しくださいます。お蔭様で私は心在る愛の豊かな母親にならせて頂くための貴重な体験と、法に基づいて正しく生きる生き方には、神の御心を心とする正しい学習が大切と分からせて頂きました。この時のご指導、そして感激感動、悦びの貴重な体験が私の「正法」を学ぶ原点となって今日に至っております。

 天の大いなるお計らいによりお救い戴きました体験を、思い出す度に悦びが大きくなり、感謝の思いで熱くなり心が高まります。勿体ない体験を戴きましたことを決して忘れることなく、大宇宙大神霊・仏様に対して心からの感謝をお捧げ申し上げます。

 このご指導を見つめ直すようになりましてから、自分のご両親様のことを思うようになりました。特に父親には可愛がってくださった悦びよりも、父に対して私の(娘)願いを黙って勝手に反故にされていたという恨みつらみがいつまでもありました。法により立場を置き換えてみましたときに、初めて父を恨む思いは自分中心の心であったと気付かせて頂きました。この間違った思いを神仏様に対して心からお詫び申し上げ、父の魂に対して心からお詫びを申し上げました。ご両親様にはときとして大変なご苦労をされたと思います。我が子にはご苦労な所を一切感じさせず、無所得で慈しみ健康に育ててくださいました。ご両親様のお蔭様により今日を戴いていることをしっかりと分からせて頂きました。只今ではご両親様に対し心からの感謝しかありません。この心も正法によって戴いた心です。また亡きご両親様のご供養がご両親様の魂に対する伝道とお教え頂き、法のお導きによる正しいご供養を、心を込めてさせて頂きました。

 昨年の4月、丸山先生をお迎え申し上げました車中に、先生のご両親様や勉到小学校のM校長先生を始め、先生のご縁の方々等とご一緒に私のご両親様も乗って来られたことから、只今では明るい光の世界に還っておられることを分からせて頂きました。(『ひかり』誌2011年5月号をご参照ください)

 偉大な主にはご講演の中で「心はまるいのです」、「法は光である。光は人の生きる道である」とお導きくださっておられます。丸山先生には学修会で「法の学習は明るくて嬉しいし、楽しい学習です。全て自分なのです。自分の心の在り方次第です。法を物差しとして、正しい思いをもって生きること。心を大切にして素直な心で光に満たされる精進努力をする生き方が大事です」、「私は皆様方に私の全てを差し上げました。これからはこの差し上げたものをどうか生かしていってください。お願いします」と、お話しくださいました。

 今、この丸山先生のお言葉は、会員一人一人が戴いた御教えをそれぞれに生かして、更なる自力を出していくようにとのご指導と思わせて頂きました。このお言葉をしっかりと心に入れて精進と努力をし、実践に励むことにより一段と神の光に包まれ、そして法の光に満たされていくのではなかろうかと思わせて頂いております。

 これからも、偉大な主・高橋信次先生のご著書をしっかりと拝読させて頂き、内なる心を見つめ、「正法」による愛豊かな広い心の持ち主になれますように一層励んでまいります。

 有り難うございました。





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