「金沢の母を訪ねさせて戴いて」


大阪地区 T.Y

 去る4月22日の金沢地区学修会に主人と共に参加させて頂きました。丸山先生の「また、金沢にお越しください」との有り難いお言葉がきっかけとなりました。

 また、私にはもう一つ、どうしても行かなければならない所があり、それは施設にお世話になっております母の所でした。

 話は少し遡りますが、今年3月の大阪地区初心者勉強会において発表させて頂きました、主人の「母への反省」のレポートを聞かせて頂いている時、私はハタと思い出させて頂いたことがありました。

 今から数年前、私は、金沢地区学修会に参加させて頂く前に、施設の母を訪ねることにいたしました。その日、始発の「サンダーバード」に乗り込み、窓側の席に座りますと、向かいのホームの屋根と隣の列車の車両とのほんの狭い細い隙間から朝日が昇り、さーっと太陽様の光が差し込んでまいりました。「こんな細い隙間から、お見守り戴いている!」と私は、感動させて頂きました。そのことを丸山先生にレポートさせて頂きますと、勿体なくもお電話を戴き、「これから、金沢のお母様をお訪ねされる時は、私が大阪の学修会に出席させて頂く時のような気持ちで行かれたら良いですよ」とおっしゃってくださいました。わざわざお電話を戴き、なんと勿体ない有り難いことだろうと感激させて頂き、思わず私は、「はい」とお答え申し上げましたが、その時は先生のお言葉の真意がつかめていなかったのだと思います。丸山先生が大阪地区学修会にお出向きになられる時のようなお気持ちとは? どのように母をお訪ねすればいいのだろうか? 私には理解出来ていなかったのだと思います。そして誠に誠に申し訳ないことに、このお言葉はいつの間にか、失念しておりました。

 私は小さい時から体が弱く、しょっちゅう病気で入院していました。「今元気で遊んでいたかと思うと、急に、夕方、『ものい(しんどい)』と言って帰って来る」と、母はよく顔を曇らせて話しておられたことを思い出します。特に3つ違いの姉と私は同じ病気にかかり、入れ替わり立ち替わり入院しました。

 当時、よく入院した病院には十分な入院設備がなく、病院給食もないため、母は私が先に入院すれば姉を連れて、姉が先に入院すれば私をおんぶされて、まず七輪でお湯を沸かされることから始められなければなりませんでした。

 「本当に、二人が入れ違いで入院するんやから……」と母は本当に困り果てられたように話しておられました。

 姉はそのうち丈夫になられましたが、私はいつまでもどこか体の不調を訴え、母に心配をおかけしておりました。

 そんな母は、誰かに聞かれたのでしょう。「鬼子母神」を信仰されるようになられました。「鬼子母神」は子供を守る神様だと言われており、母は、この「鬼子母神」様に、「どうか子供の病気を治してください。その代わり、私は大好きなお刺身を一生、断ちます」と願をかけておられたのです。

 最近、私は、偉大な主・高橋信次先生のあるご講演テープを拝聴させて頂いておりましたとき、「鬼子母神」についてお導きくださっておられるのが分かり、本当にびっくりし、耳を皿のようにして拝聴させて頂きました。「鬼子母神」というのは、お釈迦様に帰依された女弟子の「ハリティー」という実在のお方でした。ハリティー様はよその子供をさらって来られては自分の子供として育てられていました。子供をさらわれた母親たちは気が狂ったように泣き叫び、我が子を捜しました。ある日、お釈迦様はハリティー様ご自身の子供を隠され、気が狂ったように泣き叫んでおられるハリティー様の前に現れられ、「自分の子供をさらわれた親の悲しみが分かったか」と諭され、ハリティー様はその時初めて自分の過ちに気付かれ、お釈迦様に帰依され、お弟子になられたということです。そしてその後は、戦乱でみなし子になった気の毒な子供たちを引き取られ、お育てになられたというお話でした。

 私は母にどうしてもこのお話をお伝えしたい、させて頂かなければならないと強く思わせて頂きました。何故なら、母は今でも「一生お刺身を口にしていけない」と、心に荷物を持ったままでおられるに違いないと思ったからです。病弱であった私の親不孝のために、母の心に一生荷物を負わせたまま、あの世に還って頂くわけにはいかない!」と気付かせて頂いたからです。

 私は何故、もっと早くこの事に気付かなかったのだろう、と思いました。今から10年近く前になるでしょうか、私は母のところに頻繁にお電話させて頂くようになりました。そんなある朝、母にお電話をかけますと、母は心配そうに「あんた、暇なんか……」と言われました。私は愕然として次の言葉が出なくなり、その後どうして電話を切ったのかは覚えておりません。このことを金沢地区学修会で発表させて頂きますと、丸山先生には即座に、「それが、貴方様の愛の次元なのです。貴方様の愛がそこまでだということです。『何言ってるの、お母さん。お母さんの声が聞きたいから電話したのよ』とポーンと言えばいいんですよ。それが言えないということは、それが貴方様の愛の次元だからです」と仰せられ、本当にびっくりいたしました。そして、「ああ、それが私の愛の次元なのだ。丸山先生にお教え戴いて初めて分からせて頂いた……!」と感動させて頂きました。

 今回、私は金沢の母を訪ね、どうしても「鬼子母神」のお話をさせて頂きたいと決意しました。今まで母を訪ねても、先にどうしても母の様子を伺ってしまい、心からの言葉が出て来ないのです。特に、法のお話になりますと、どこか身構えてしまい、母にはお説教のように聞こえてしまうのではないか、以前、そのように言われたこともあったし……等と心が塞がれてしまいました。しかし、今度こそは、今度こそは、どうしてもこのお話だけは母にお伝えしたい、例え母がどんな状態であられても私は絶対これだけは母にお話しさせて頂こうと、堅く心に決めました。母は今年2月で94歳になられました。もう時間もあまりないのです。

 施設を訪ねますと、母はベッドに横になっておられました。いつものように目をつむられ、起きておられるのか、眠っておられるのか、分からない状態でした。

 それでも私は直ぐに母の耳元に口を寄せ「Tが来ましたよ。分かりますか、お母さん。私は小さい時からよく病気をして、お母さんに心配をかけ通しでしたね。そのためお母さんは『鬼子母神』様に『どうか子供の病気を治してください。その代わり私はお刺身は一生食べません』と願をかけてくださいましたね。でも、お母さん、『鬼子母神』様は神様ではないのですよ。お釈迦様の女弟子の『ハリティー』というお弟子様なのだそうですよ。戦乱の世で孤児になった恵まれない子供たちを引き取って、よく面倒を見られた方だと、偉大な主・高橋信次先生がお導きくださっておられるご講演を、最近、聞かせて頂きました。お母さん、お蔭様でね、私は、偉大な主・高橋信次先生の御教えに触れさせて頂き、病気は心に間違った思い、行いをしていることが原因だとお導き戴きました。そして金沢の丸山先生のご指導により、反省の仕方をお教え戴き、今までの間違いを心から反省させて頂いた結果、今までどうしても治らなかった病気を次々と治して戴きました。だからもうご心配はいりません。私はお蔭様で健康にならせて頂きました。

 もうお母さんは、私の病気のことで心配なさることはありません。もうお刺身も食べられますよ。『鬼子母神』様ではなく、偉大な主・高橋信次先生が私の病気を治してくださいました。ですから、もうお刺身を一生食べてはいけないと思わなくてもいいのですよ」と何度も何度も耳元でお話しさせて頂きました。

 母はまた、主人の心臓が悪かったことも大変心配しておられたので、「お母さんは、私が結婚する時、N.Yさんの心臓が悪かったことを大変心配しておられたでしょう。でも、丸山先生より神仏様の『御ひかり』を入れて戴き、N.Yさんの心臓はもう治りました。今では普通の人の倍以上も健康にならせて頂きました。だからもう、何も心配なさることはありません。そして丸山先生には、お母さんの所に二度も来てくださり、神仏様の『御ひかり』を体中に入れてくださいました。そして、『もう、大丈夫』とおっしゃってくださいました。だからお母さんはこの世を去られたら明るい光の世界、天国に行かれると思いますよ。本当によかった、よかった」と繰り返し繰り返し、お話しさせて頂きました。母の様子を伺わなくても、思い煩わなくても、言葉が次々と出て来ました。

 途中でお昼ご飯になり、職員様が母を車椅子に乗せてくださり、食堂のテーブルに移動させてくださいました。私は母の横に座らせて頂き、引き続き耳元で母にお話しさせて頂きました。母にとって、20年前に他界された父のことがやはり今も気にかかっておられると思いましたので、私は、「K.Nさんはね、丸山先生には『無類の善人』だとおっしゃっておられましたよ。ただ、お父さんは婿養子だった為、おじいちゃん、おばあちゃんの力が強くて、一家の父親になれなかったのですよ」と、丸山先生よりお教え戴きました通り、そのままお話しさせて頂きますと、母はハッと目を開けられ、「そうか……」と何か呟かれました。やはり真実のお言葉は、母のお心にも確かに響いたのでしょうか。そして、母にはやはり父のことが一番気にかかっておられたようですから、今、法により、初めて正しく父のお姿を母にお話し申し上げることが出来たことに、私はとても有り難くて嬉しくて、繰り返し繰り返し、お話しさせて頂きました。

 そしてまた、「『鬼子母神』様はね、神様ではないのですよ」と話を繰り返しました。そのうち、気が付いて見ますと、いつの間にか母が「ふんふん、ふんふん」と私の話に相槌を打ってくださっておられるのです。ハッとびっくりいたしました。横にいてくださった主人も確かに母の相槌を聞いてくださっていました。

 ああ、母が私の話を聞いてくださっておられる! 私は母の様子にとらわれることなく、言葉が自然と溢れ出てお話しさせて頂くことが出来たと、ものすごく嬉しく思わせて頂きました。

 そして、「丸山先生が大阪の学修会にお出ましになられる時のような気持ちで、お母様のところに行きなさい」とは、法によって学ばせて頂いた悦びの体験を、心素直にありのままにお話しさせて頂くことなのだ! ありのままに素直にお話しさせて頂けばよいのだ! と気付かせて頂いたのです。それは、自分という「我」があっては出来ない、子供の頃からの母と自分という甘えの中にあっては出来ない、また小さい頃からの諸々の思いの詰まったエゴの中にあっては出来ないのだと、気付かせて頂きました。

 「丸山先生が大阪地区学修会にお出ましになられる時のような気持ちで」母の所へ行かせて頂かなければならないのだ! とやっとやっと分からせて頂いたように思わせて頂きました。

 そして何よりも嬉しかったのは、母の様子にとらわれず、母の反応を気にすることもなく、心から溢れるままに心素直に法の悦びをお話しさせて頂くことが出来たことです。子供の頃から母の顔を見ると、何故か心が塞がってしまい、言葉が出せなかった自分、この長年の自分の心の壁をやっと破ることが出来たようで、私にはものすごく嬉しかったのです。

 「これからお母様をお訪ねする時は、私が大阪の学修会に出席させて頂く時のような気持ちで行かれると良いです」との丸山先生のお言葉は、神仏様のお言葉だ! なんと慈悲深い、勇気を奮い立たせてくださるお言葉なのだろう! と改めてこのお言葉を何度も噛みしめ、心から感激感動させて頂きました。

 そしてこの日、金沢地区勉強会に参加させて頂きましたお席で、有り難くも発表の機会を戴きました。法友様の前で、今日のこの悦びを発表させて頂きました。するとまたさらに嬉しくならせて頂き、その悦びが何倍にもなって、私の心は大きく大きく悦びで膨れ上がってまいりました。金沢地区勉強会で発表の機会をお与えくださいまして、本当に本当に有り難うございます。

 大宇宙大神霊・仏様、偉大な主・高橋信次先生、偉大なイエス様、母と私の心の荷物を降ろすことをお導きくださり、心より心より、有り難く有り難く感謝をお捧げ申し上げます。

 丸山先生には慈悲深い神仏様のお言葉を賜り、私に母との対話の在り方をお教えくださいまして、心より、有り難く有り難く感謝申し上げます。





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