「お救い戴きました事」


大阪地区 A.H

 昨年、息子のYが丸山先生から畏れ多くもご指導を頂戴しまして、Yの仕事に携わる事が出来ました。丸山先生がかねてより、「Yから、法が広がる」と申されております素晴らしい会社にご縁を頂き、息子が法を広げて行く一員とならせて頂けるように、これからも共に法を学ばせて頂く環境を頂きました事は、大きな大きな悦びでございます。誠に誠に有り難く御礼申し上げます。

 続きまして、大学四年生の娘、Mにおきましても、進路について、丸山先生のご指導を頂戴し実践させて頂きましたお蔭様で、「神戸大学の大学院」に合格させて頂きました。丸山先生のご指導を頂かなければ、今の悦びはございませんでした。そして、私もまた反省の機会を持たせて頂く悦びを頂きました事を、深く深く感謝をお捧げ申し上げます。

 娘のMは、中学生の時「劇団四季」のミュージカルを観てから、将来はあの舞台に立ってみたいという夢を持ちました。それまでも、バトントワリングを熱心にやっておりましたが、次には舞台女優を目指して、朝から夜遅くまでレッスンに明け暮れる毎日を送り、高校も大学も夢につながっていけるような芸術系を選びました。

 そして、昨秋、一般的な大学生は就職活動をするのですが、娘の場合は横浜市の青葉区にございます「劇団四季」のオーディションを2回受けました。10月に行われました1度目は合格となりませんでしたが仮合格を頂きまして、12月初めに2度目の試験を受けさせて頂きました。そして、年末に届く結果の通知を待っております間に、突然もうひとつの選択肢が本人の中で気になり始めました。

 それは、オーディション前にさかのぼりますが、神戸大学の先生から娘に「大学院を受けてみませんか」とお誘いを頂いたことでした。その有り難いお話に「大学院」という道がある事を初めて意識しましたが、私立大(神戸女学院大学)の自分を神戸大学が受け入れてくださるとは考えられず、「絶対無理だろう」と諦めていたようでございました。しかしながら、何度か舞台や国際交流等でお出会いさせて頂いた神戸大学の先生とのご縁が、偶然では無いような思いに心が揺さぶられたのでしょうか、「もう一度その先生にお会いして、お話をお聞きしてみる」と出かけて行きました。

 確かに、娘は与えられる事をそのままやっていくよりも、何も無い所から考えて作り上げて行くタイプだと思っておりましたので、研究者には向いていると思いました。でも一番は、娘がやりたい事をさせてあげたいという思いと、いつかは指導者となって後輩を育成し、何よりも法を深く学びお伝えする礎を作って頂きたいという思いがございまして、私も応援する気持ちが固まりました。

 こうして、娘が神戸大学の先生にお会いしてお聞きしたところによりますと、大学では芸術系の大学院生を募集して試験をしたところ、思うような生徒が見つけられなかった為、再度募集しているとの事でした。また、試験は、「何を研究したいか」という事柄に焦点を置き、今まで活動して来た分野で試験を受けられるという事で、娘本人にもチャンスがある事が分かり、「チャレンジしてみたい」という思いが湧き上がってきたようでした。この時に私の頭をよぎりました事は、もし1回目の試験で「劇団四季」に合格していましたら、大学院の受験を考える事は全く無かったという事でした。そのように考えますと、この思いがけない流れは天がお与えくださっているのではないだろうかと、思わせて頂くようになりました。

 それから、娘は直ぐに入学願書と共に提出いたします「研究企画案」のレポートに取り掛かり、山のような資料に埋もれながらも、不眠不休で何とか最終提出受付日期限時間ギリギリに提出させて頂く事が出来ました。それから続いて、大学院の試験に向けて頑張っております時に、「劇団四季」から合格通知を頂きました。大変嬉しく有り難く思わせて頂き、たくさんの友人知人からも祝福を頂いているうちに、だんだん娘の心が長年の夢に傾き始め、「大学院受験は諦めようか」と心が揺れてまいりました。私も、なかなか入団が難しい「劇団四季」の舞台で、晴れやかに演じている娘を見てみたいなあ、と思う気持ちもございましたので、「どうしてもやりたいなら、受験を諦めてもいいよ」と言ってはみるのですが、なんだか二人とも心がスッキリといたしませんでした。

 ちょうどそんな時に大阪地区代表委員のN.Y様からお電話を頂き、「丸山先生にお聞きになられてはいかがでしょうか。お嬢様の大事な一生の事ですよ」と温かいご助言を頂戴して、思い切って丸山先生にご指導を仰ぎました。

 すると、丸山先生からは、「細かい事情は分かりませんけれども、娘さんは手放さないで、いつでも『お父さん、今日はこうだった、お母さん、今日はこんな事があったよ』と常にお話し出来る環境がいいのです。そして、良い人間関係の中に身を置く事です。大阪のY様のようなしっかりした方にいつでもご相談等出来る場所がいいのです。正法は、家族は離れ離れにならず、一緒に勉強していなければ勉強出来ないのです」とご指導くださいました。それは、私達が悩んでおりました思いとはもっと高い次元のご指導であると思わせて頂き、理解させて頂く為には時間がかかりました。そして、「家族が離れ離れになっては、正法は分からない」という事をまだまだ分かっていない自分を見つめ直さなければいけないと、思わせて頂きました。

 それから、丸山先生からのご指導を心で反芻しておりますと、『ひかり』誌2006年5月号が浮かび、なんとまるで私にご指導してくださっておられるような丸山先生のお言葉を拝読させて頂く事が出来ました。

 51頁に、丸山先生の次のようなご指導がございました。

 あるお母様が高校3年生のお嬢様にご講演会の出席を勧められたところ、もう少し部活をしたいと言われた、とお話しされた事に対しまして、丸山先生は、なぜお嬢様が部活に熱中されておられるか、お尋ねになりました。

 そして先生は、「お嬢様が幼い頃から今日までに、お母様に対して何か思いを作られたために、それがいけないと分かっていても、どうしようもなく、他にはけ口を求めておられるのではないでしょうか。今日から親子の対話を深く重ねるようにされ、今日までのお子様の満たされない思いを、これから温かい愛で満たして差し上げることにより、より豊かな明るい心のお嬢様になられるのではないでしょうか」とご指導され、さらに「私達は、神仏様のお許しを戴き、偉大な神様の子をお預かりさせて頂いているのです。そして、そのお子様を通じ、より心在る母親にならせて頂く修行をさせて頂いている訳ですから、片手間で育ててはいけないのです。

 自分中心の思いがあっては疲れます。常に、側にいて見守ってあげたり、子供と同じ次元に降りて一緒に明るく楽しく心から悦んで遊んで差し上げたり、話し合いをされることです。常に子供と同じ次元に降りておられるお母様は疲れることがありません。心を豊かにするためにも、特にお母様が全身全霊で接することが大事です。『よくぞ私を選んで生まれてきてくださって有り難うございます』等という感激感動があれば、そこからより豊かな愛情が溢れるようになります。母乳もやはりそうではないかと思います。偉大な神の子をお預かりさせて頂いている、という意識が特に大事ではないでしょうか」とご指導されたのでした。

 また、金沢地区のR.K様のレポートが掲載されております『ひかり』誌も思い出しまして拝読させて頂きました。それは、2003年3月号の25頁から「思えば、今から2年前の2000年3月、金沢地区の学修会で丸山先生には、当時オーストラリアに留学している次女のHについて、母親が十分愛情を与えていないと、子供は母親を愛おしいと思うことなく、母の許から遠く離れて行くのです。親から溢れる愛情を戴いた子は、皆母を愛おしいと思い、母親の側から離れないとお話しくださいました……かつて私は、ちょうどHの年代の頃、自分自身がやりたいことがあったのに叶えてもらえなかったという愚かな思いで、子供のやりたいことをさせてあげることが、その子にとって一番良いことだとばかり思っていました。しかし今はじめてその思いは全く心無いことで、誰か愛の知らない、沢山愛を戴いた事が無い、心無い人の思いが言ったことだとようやく気付かせて頂きました」と書かれてございました。

 私は、娘が私から遠く離れたところに行こうとしている事は、若い時の私もそうだったように、社会の中でひとりになった自分を試してみたいという気持ちからだと思っておりました。それが、自分の心無い考えだった事に全然気付きませんでした。

 この中の、『親から溢れる愛情を戴いた子は、皆母を愛おしいと思い、母親の側から離れない』という丸山先生のご指導を拝読させて頂きますと、娘が横浜へ行こうと思っていたのは、自分を試したいという事よりも、私から溢れる愛情を貰えなかったからなのではと思った時、ドキっといたしました。

 それまでの娘は家庭にいる時間は少なく、外の世界に向かって朝から晩までひた向きに頑張っておりました。その姿は、本当は私に何か思いがあって、そのはけ口を外の世界に求めていたのだという娘のさみしさに、『ひかり』誌を拝読させて頂いて、気付かせて頂きました。それはそのまま、18歳で親許を離れた私の思いにも重なって行きました。そして、将来自分は母親と同じような子育てはしないと決心していたにもかかわらず、知らず知らずのうちに母と同じような子育てをしてしまっていた事にも気付かせて頂き、私は娘を大事にしてきたとばかり思っておりましたが、それは、自己満足的な可愛がり方で、「神仏様のお許しを戴き、偉大な神の子をお預かりさせて頂いている」という意識をしっかりと根付かせていなかったから、娘のお世話にいつも疲れて不機嫌になってしまう事も度々あったことにも気付かせて頂きました。

 また、振り返りますと、娘の言葉に気にかかった事がございました。それは、いつでもどんな時も自分のやりたい事を最優先にしていた娘に、「間違っているのではないか」と問うた時に、きょとんとしながら「私が頑張って活躍している姿を見せる事が、ママの一番の悦びだと思っていた」と話してくれた事でした。私は、もっと娘とお話ししたり、買い物をしたり食事を作ったりと、そんな普通の日常を送るのが一番の望みなのですが、何がそのように思わせてしまったのか、その時は分かりませんでした。

 今、考えさせて頂きますと、私は、娘が何でも出来て周りの人から愛され、身体も大変丈夫で、若い時の自分には持っていないものをたくさん持っている事が誇らしく、いつも安心しておりました。そして、娘に対する望みは自分の我が儘であって我慢してでも出来る限り好きな事をさせてあげたいと思っておりました。そこには、自分が若い時に自由に出来なかったからという、親を恨むような自分勝手な思いが乗っかってしまっていたのでした。一方、私はずっと自分の母親の事で悩み苦しみ、心の中がいつもそのことでいっぱいで、イライラしている事が多かったと思います。娘から見て、私が一番楽しそうにしているのは、自分が上手に踊ったり歌ったりして、舞台で活躍する時だったのでは無いかと思わせて頂きました。最初から何でも出来たのでは無くて、その為に死にもの狂いの努力があった事を私は思いやってあげられず、きっと、私の側にいても私の気持ちがそぞろになって他に向かっていて、娘にさみしい思いをさせてしまってきたのではないかと、初めて気付かせて頂きました。

 それから、娘のところへ行って、丸山先生のご指導をそのままお伝えして、「私が十分な愛を捧げてあげられなかったんだね」と、前述の『ひかり』誌を読ませて頂きました。書かれている言葉がひとつひとつ心に沁みて、やっとの思いで読ませて頂きました。

 そして、次の日の朝となりました。すると、主人が飛んで来て、「Mが朝早くからすでに机の上で猛勉強をしていて、『大学院の受験を頑張る』と言っている」と教えてくださいました。娘が丸山先生のご指導を大事に思われて、「劇団四季」への気持ちを見事にすっぱりと切った事に家族が大変感動させて頂きました。息子はその姿を見て「絶対大丈夫、大学院に受かる!」と信じておりました。

 それから、年明けの受験が無事終わり、およそ3週間後の通知まで、家族全員の気持ちが本当に晴れ晴れして、結果を考えるよりも、丸山先生のご指導を有り難く実践させて頂けた事が大変嬉しく、娘が法を大事に思ってくださっている事を知っただけで十分有り難く思わせて頂いておりましたところ、嬉しくも合格の通知を頂きました。有り難い事に10人中の3人の中に入り、しかも高得点で合格させて頂いたとの事でした。

 このように、思いがけない進路に進ませて頂きました事は、偏に丸山先生のご指導のお蔭様で有ります事を、家族で大変悦んで、「これからも一緒に法を勉強して行こうね」と約束し合いました。

 今日はちょうどお義父様の命日でございます。一昨年には、畏れ多くも全身全霊でお義父様を天にお救いくださいました、丸山先生が思い出されます。丸山先生の溢れるご慈愛を戴いて、お義父様がどんなにお悦びで天に上がられたことでしょうか。今もお義父様が悦んで幸せでおられる事を思わせて頂きますと、有り難くて嬉しくて、元気を頂く事が出来ます。

そして、丸山先生には、畏れ多くもお義父様が、私達家族一同が幸せになるよう天からご協力してくださっている事をいつもお聞かせ頂いております。在りし日、お義父様は自分の子供達、或いは孫達の中から誰かひとりでも自宅からほど近い神戸大学に行かせたがっておられました。今回娘が神戸大学にご縁を持たせて頂いたのも、横浜に娘が行ってしまわないようにお義父様の思いとご協力があられたような気がして、お顔を思い出させて頂きますと、にっこりされた笑顔が直ぐお近くに感じられてきます。今日は、お義父様を思い出させて頂きまして感謝をお捧げ申し上げたく思います。

 この先も家族で法を学ばせて頂ける「悦び」をもっともっと有り難く思わせて頂いて、自己確立に努め、ひとりでも多くの方に素晴らしい正法をお伝えさせて頂けますよう、精進してまいります。

 大宇宙大神霊・仏様、偉大な主・高橋信次先生、偉大なイエス様、いつも深い御慈愛を戴きます事を心から心から感謝をお捧げ申し上げます。





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