「『ほくりく』誌、『ひかり』誌 発刊30周年をまもなく迎えるにあたり 私がバックナンバーから戴いた悦び」


大阪地区 N.Y

 今年(2011年)の夏、ある出来事がきっかけで、丸山先生にはいつもご指導くださいますように、正法を学ばせて頂く上で「常識、礼儀、報恩感謝」が如何に大事な御教えであるかを改めて気付かせて頂きました。そして、自分の目の前におられる方のお姿は、私の学修の為にお与え頂いているのだとお導き頂いておりますので、私自身に問いかけてみますと、何と、私こそ感謝の薄い人間であることに気付かせて頂き、その愚かさに、今までどのような精進努力をしてきたのかと反省し、自分の哀れな姿に愕然といたしました。

 そこで、問題解決の為、早速今年の8月から、偉大な主・高橋信次先生のご著書「心の発見」と『ほくりく』誌・『ひかり』誌のバックナンバーをしがみつくようにして拝読させて頂きました。「心の発見」では70カ所にもわたる「報恩感謝」のお導きがございますが、そこのところを何度も何度も拝読させて頂き、少しでも心に落とす努力をさせて頂きました。すると何と、今から9000年以上昔の紀元前7000年に、既にアトランティス大陸のアガシャー大王様には「自然の恵みに感謝するように」と、人々の心をお救いされるため、魔の攻撃にお命を投げ棄てられ、神理をお説きくださっておられたことを「心の発見(神理篇)」の2カ所(48頁〜49頁、89頁)によって分からせて頂き、「感謝」が如何に大事な御教えであるかを気付かせて頂きました。並行して、『ほくりく』誌『ひかり』誌のバックナンバーを拝読させて頂き、「報恩感謝」の大事なお導きを1冊のノ―トに纏めさせて頂きました。

 その中で『ほくりく』誌1990年6月号を拝読させて頂き、丸山先生には、全頁にわたり「報恩感謝」の実践について分かりやすくご指導くださっておられます。

 ―『ほくりく』誌1990年6月号「感謝」―

 感謝ということが、正法に入る最も大切な基本ではないかと思います。偉大な主・高橋信次先生のご講話には感謝について沢山お導きくださっていますが、私はその中でも特に次のお言葉が強く心に響いてまいります。

 「人間はまず与えられた環境に対して感謝することが大切です。信心の初めは感謝の心からです。自然の環境に対して、無条件で感謝出来るならば、生きているそのこと自体に、無上の悦びが湧いてきます。雨が降ろうと風が吹こうと、大自然の調和と恵みを理解すれば、怒りや呪は出てきません。雨が降り、風が吹くことによって、大気は浄化され、植物が育ち、明日の生命、明日の生活が約束されていることを知れば、大自然のこうしたはからいに対して、感謝の心は湧いても文句など出ないはずです。人はまず、天に対して感謝し、地上の環境に対しても感謝すべきです。ものを大事にし、慈しむ人には、万物は悦んでその人に奉仕してくれます。感謝の心は感謝になってかえってくるのが循環の法則だからです。

 人間は神仏の子です。神仏に目を向け、調和の心を忘れなければ、神仏の保護を受けるのは当然ではありませんか。神仏に目を向けるとは、自分自身にウソのつけない善なる心を信じ、ウソのない毎日の生活を続けることです。自分の心にウソがつけないのは、自分の心の中に、神仏の心が宿っているからです。信心とは、自分の心を信じ、信仰とは、その心で日々行じることです。大自然に調和し、肉体先祖、両親に対して報恩し、万生万物に感謝する。この心を忘れなければ、人間の精神は健全に保たれ、肉体も健やかになります。感謝は謙虚な心をつくり、やがて愛の心も育てるものです。正法の出発そして終点は、ものに感謝することにあります」

 私は、この稿を拝読させて頂き、偉大な主の、あまりの慈悲深いお導きに胸が張り裂けそうになり、私の魂の兄弟達も嬉しいのでしょうか、涙がとめどなく流れ落ちるのです。そして、心が満たされ、今までにない悦びが湧いてきて、不思議なくらいに心が安らぎ、家族に対して、周りの人たちに対しても優しくなって行けるように思えました。そして、やっと正法入門の入り口に立たせて頂いたように思え、悦びいっぱいで、丸山先生に「感謝・報恩」のレポートをご提出させて頂きました。

 しかし、私に慢心があったのでしょうか、今年の10月末、私の右足太腿に激痛が走りました。座っている時や横になっていると、何の痛みもないのですが、立ちあがって2、3歩でも歩き始めると、痛くて我慢が出来ず立っておれなくなりました。翌日、近くの整形外科医院で診察して頂きますと、病院の先生には、レントゲン写真で悪いところを指摘され、「原因として、机に向って前かがみの状態が長く続いているなどして、少し背骨が変形しているところに、不用意に、急に重い荷物を持ったことで背骨の神経を痛めてしまい、そのため、右足太腿に痛みが生じたのではないか」と診断されました。そして、「この病気は直ぐには治らないので、辛抱強く、暫らくは点滴を打ちながら通院してください」とお話しくださいました。

 しかし、原因はそれだけではない。むしろ、私の心と行いにこそ大きな原因があるのではと思わせて頂き、「この右足の激しい痛みと同じ苦しみを、私の自己中心の思いで家族を始め、周りの人達に与えて来なかっただろうか。怒り、愚痴、悪口、そして、恨んだり、妬んだりして、辛い思いを与えてこなかっただろうか。また、人様からして頂いた御恩を忘れ、感謝の心も忘れて、何のお返しをすることもなく、自分勝手な生活をしてこなかっただろうか」と、これまでの過去の出来事の中から、一つ一つの「思い、行い」を点検し、少しでも自分に過ちがあったと思えることに対して、その一つ一つを深く反省し、心から神仏様にお詫びさせて頂きました。そして1週間以上が過ぎましたが、依然、右足太腿の痛みがとれず、さらに強い痛みが続いていました。

 特に、11月13日の「東北伝道集会」の前日は、朝から晩まで、少しでも歩き始めると右足に強い痛みが残りました。何故、このような大切な時期に、このような事が起こったのか。私は私自身の精進不足と反省の未熟さに愕然としました。しかし、何時如何なる時も「決して不安を持つことなかれ」とお教え頂いておりますので、仙台に行く決意を変えることはありませんでした。有り難いことに道中はほとんど座っており、新幹線の乗り換えなどで歩くときに苦痛はあるものの「病気なんかに負けてはいけない」と気合を入れました。

 会場に着き、ご法友の皆様のお顔を拝見させて頂き、楽しくお話をさせて頂いているうちに不思議なくらいに元気を頂き、やがて、「偉大な主・高橋信次先生のご講演会」が始まる頃には、足の痛みのことなどすっかり忘れておりました。特にご講演会での、偉大な主には、そのお姿が、眩しいくらいに輝いておられ、私如きの次元ではありますが、お部屋全体が、神仏様の「御ひかり」に満たされているように思わせて頂きました。そのような調和された有り難い環境を戴く中で、東京地区、大阪地区のご法友の皆様から、東北地方への病院、図書館、医療専門学校、仮設住宅等への1300冊以上(12月24日現在1716冊)のご著書寄贈を通して戴かれた悦びのご発表、続いて、法によってお救い戴かれたご体験を6名の方が発表してくださいました。お電話やお手紙等で伝道なさった方も、伝道して頂かれた方も、ご著書寄贈をご縁として、誰も彼もが、偉大な主・高橋信次先生のご慈悲と愛の「御ひかり」に包まれておられ、皆様のお悦びのご発表を拝聴させて頂きました私までもが悦び一杯の中に居らせて頂いていることに気付かせて頂きました。

 そのような、感激感動の中、最後に、丸山先生にご提出させて頂きました私のレポート「感謝・報恩」を発表させて頂きました。その時、有り難いことに、本当に有り難いことに、私の全身が熱く熱くなったように思わせて頂きました。そして、勉強会終了後、私の足が不思議なくらいに軽くなり、痛みが少なくなりました。それからは、本当に時間の経過とともに、不思議なくらいに痛みがスーッと少なくなってまいりました。

 今回は10カ所の集会所に、いつものようにご著書専用の本箱と共に、ご著書を80冊寄贈させて頂き、深夜帰宅いたしましたが、その時には、私の右足は完全に治っておりました。いくら歩いても、痛くないのです。ウソのように治っていました。その翌日、かかりつけの整形外科の先生にご報告させて頂きますと、普通は長期の療養が必要なのに、わずか2週間で治り、それも遠方まで出かけたにもかかわらず治ってしまったことに大変驚いておられました。

 思い起こせば、仙台市での「東北伝道集会」に参加させて頂いてから、本当に時間の経過とともに、少しずつ少しずつ、あの激しい苦痛から解放されて行きました。そして、レンタカーを使って、一生懸命に被災地の仮設住宅集会所へご著書寄贈をさせて頂きました。そして、その日の夜、大阪に帰り着いた時、本当に痛みがウソのようになくなってしまったのです。私は、嬉しくて嬉しくてただ驚くばかりでしたが、私の次元ではありますが、私も家内も、神仏様のご慈悲を戴き、お救い戴いたのではないかと、誠に畏れ多いことですが、そのように思わせて頂きました。

 その後、今回の足の痛みについて何故このようなことが起こったのか、反省に反省を重ねておりますと、ある日のこと、『ひかり』誌1994年2月号で、丸山先生がご執筆くださいました「思いやり」を拝読させて頂き、「自分を大切にする(愛する)」ことの大事さを学ばせて頂きました。

 ―『ひかり』誌1994年2月号「思いやり」より―

 思いやるということは、相手の立場に立つ、ということです。「己を生かし他を生かす」の他を生かすということです。自分から自分が抜け出て、他と自分との中間に立って初めて正しい見方が出来ることをお教え戴いているのですが、実際には、自分からは一センチも出ることが出来ないのが実情だと思います。長年に亘り、人間は自分のことは自分でしなければ誰も面倒を見てくれないということが、身に染みているため自己中心の権化となり、なかなかそのような芸当は出来なくなってしまったのです。

 いま、炊事、洗たく、家事全般出来なくても、結婚したら何もかも出来る自信があるわ、と言っていても、実際に習練していないものが、いざという時に出来るはずは絶対にありません。このことと同様に、自分を粗末にしている人間が、ある日突然自分を大切にすることは出来ない相談であります。それ故当然のこと、自分を愛することの出来ない人が、他人を愛することは絶対に不可能なことであります。

 自分を大切にする方法は、まず法に照らして、自分の良いところや欠点を一つ一つ丹念に発見する努力をし、発見したらその原因を追究し、二度と同じ過ちを犯さない努力をしていくことであります。

 それから、人様に対して無所得の奉仕をさせて頂く努力をすべきであります。自分が今日までこのように幸せに生かして頂いているそのご恩返しとして、一人でも多くの人に自分の出来る限りの奉仕を捧げることが大事であります。戴いたらそれ相応にお返しする、これで貸し借りなしのバランスがとれるのではないでしょうか。これも大事な調和ということでありましょう。人から一杯して頂いて、一つもお返しが出来ていないとその分、苦しみとなることは間違いありません。常にとらわれのない安らぎの世界に己を置くように努力することが己を愛する、己を大切にすることであります。人から感謝されることを進んで実行する、それも人が一番いやがっていることを率先して実行することは、人から感謝されることはもちろんのことでありますが、その積み重ねによって誰よりもこの自分が嬉しくなり、悦びと感謝で心が満たされるのであります。そういった心が何時もかも溢れるようになれば、周りの人たちに、その溢れる悦びをそっと差し上げることが何の抵抗もなく実践出来るのであります。それが思いやりであり、助け合うこと、補い合うこと、許し合うこととなるのであります」

とご指導くださいました。

 丸山先生のご指導の通り、私は「自分を大切にする(愛する)」ことを真剣に実行してこなかったように思います。自分を大切にすることもなく、人様を大切にさせて頂くことが出来る筈がありません。「そうだ! それならば、自分をとことん大切にすることだ。愛して、愛して、愛し抜くことだ。これが大事なのだ」と気付かせて頂きました。そのためには、偉大な主・高橋信次先生のご著書「心の発見」「人間釈迦」の中で、自分を大切にする方法をお導き頂いておりますから、ご著書を今まで以上に真剣に拝読させて頂くことだと気付かせて頂きました。

 次に、むさぼりと、欲望の虜になって、自分のきれいな心と肉体を汚す愚かなことはやめよう。怒ったり、愚痴ったり、人の悪口を並べ立て、自分の大切な心を傷つけることはやめよう。そして、「自分の欠点を叩き直そう! 今度こそ頑張るぞー!」と決意しては、いつも失敗を繰り返し、繰り返しては、自分がダメな人間だと思うことはやめよう。丸山先生には「ご自分をダメだと思うことは、ご自身の魂を否定することとなり、しいては神仏様を否定することになるのです。自分をダメだと思わないで、自分の努力が足りなかったんだ、もう少し努力しようと思うことです」とご指導くださっています。

 そうだ! 自分の嫌な欠点ばかり見るのではなく、自分の長所を褒め称えてあげよう。明るく元気で、熱い、熱い心の自分の性格をもっともっと褒めてあげよう。その中で、一つでも二つでも、自分の為に、自分が幸せになるために、自分の愚かな欠点を、工夫と勇気と努力で修正していこう。この様に思わせて頂いた時、私は涙が出て、涙が出て、泣き伏しました。そして、自分が本当に愛おしくなり、愚かな自分を許して差し上げたくなりました。すると、不思議なことに、人様の過ちも気にならなくなり、許して差し上げたい心にならせて頂いたように思わせて頂きました。

 そしてある日、「心の発見(現証篇)」61頁〜78頁の、「偉大な主がお命懸けでお悟りになられた」深遠なお導きを、何度も何度も拝読させて頂きました。その後で「心行・祈願文」「ご両親様へのご供養」「健康祈願文・心行3回」を拝読させて頂きますと、不思議なことに、いつの間にか、『ほくりく』誌1987年10月号を、私の手に取らせて頂いておりました。そこで有り難くも、丸山先生がご執筆くださいました「H氏への手紙」を拝読させて頂き、次のような大切なご指導を頂き、感激・感動の、涙、涙で拝読させて頂きました。

 ―『ほくりく』誌1987年10月号「H氏への手紙」より―

 「いま私が生きている日々のなかには、いろいろと考えなければならない問題を沢山頂いています。心を砕かないと、回答が頂けない問題ばかりです。何日間も、何十日、何年間も悩み苦しんで、やっと答えを頂いてきました。愚かな私は、なかなか問題が解けないため、人様よりも余計に時間がかかりました。その中で、いつもなんでこんなに難しい問題ばかり出て来るのだろうかと、途方にくれたことも沢山ありました。途方にくれながら、自分の心を小さく狭いものにし、暗くなってゆきました。よくよく考えて見ますと、そこには法がなく、自己中心だったのでした。なぜ自己中心なのか、なぜ人の立場にたって思えないのかと考えて見ますと、自分に感謝がなかったのでした。神の子として最も大切なことは、感謝だということに気付かせて頂きました。

 感謝を報恩の行為として実践していったときに、初めて感謝が少しずつ大きく深くなってゆくように思いました。それに平行して、思いやり、助け合い、生かし合い、補い合い、許し合う「愛」が、芽生えてゆくように思いました。そのとき初めて、愛が実践出来ないと、正しいことの理解が出来ないことが、分かったような気がいたしました。やっと少しずつ法の中に生きることが、出来るようになっていきましたとき、言いしれない悦びと感謝が溢れてきました」

と丸山先生にはご指導くださいました。

 この時に、「あー……そうだったのか。この半年間、あの右足太股の激痛など、いろいろな体験は、丸山先生が精魂込めてお作りになられた『ほくりく』誌『ひかり』誌のバックナンバーから、この尊いお導きを心に戴く為であったのか」と、畏れ多い事ですが、私の次元で思わせて頂きました。大事なことは、「常識、礼儀、報恩感謝」を自分自身の生活の中に密着させ、偉大な主・高橋信次先生が尊いお命を削られるようにしてお悟りになられた偉大な法を拝受させて頂く心構えを作ることが一番大切なことだと学ばせて頂きました。そして、報恩の行為を実践し、その積み重ねの中から心に悦びを戴き、同時に、自分を大切にして、自分を愛して、愛して、愛し抜くことにより、こぼれるほどの感謝と、感激・感動の悦びの心にならせて頂いた時初めて、そのこぼれる程の悦びを周りの人たちにお裾分け出来るのが、「己を生かし、他を生かす」ことであることを、今やっと、ほんの少しではありますが、頭ではなく、私の心に落して頂いたように思います。この「己を生かし、他を生かす」ことが「正しい」ことであり、八正道の実践の根本であることを分からせて頂きました。

 丸山先生、有り難うございます。丸山先生からご指導頂き、「己を生かし、他を生かす」を、繰り返し、繰り返しお教え頂き、理解の遅い私で時間がかかりましたが、今、丸山先生が精魂こめて、お命がけでお作りになって来られました『ほくりく』誌『ひかり』誌を、偉大な主・高橋信次先生のご著書「心の発見」と並行して、何度も、何度も拝読させて頂き、その中から、疑問があったならば、その疑問を追究して、自分が理解するように、そして又、疑問があったなら突っ込んでその疑問を解答してもらうことをさせて頂き、今やっと、ほんの少しではありますが、正法の入り口に立たせて頂いたように思います。

 大宇宙大神霊・仏様、偉大な主・高橋信次先生、偉大なイエス様、有り難うございます。本当に有り難うございます。

 丸山先生、本当に有り難うございます。

 丸山先生には、30年の長きにわたり、不眠不休、お命懸けで、私たちのために、月刊『ほくりく』誌『ひかり』誌を発行して戴き、正法が曲げられず、正しく後世に伝わって行くように、私達が道に迷わないようにするためにお作りくださいまして本当に有り難うございます。

 丸山先生には、小冊子「はじめての人に」の中で次のようにご指導くださっておられます。

 「偉大な主・高橋信次先生には、私達がお捧げしたことでお悦びになられる道は、唯一つ、法をお導きくださいました通り、正しく実践し、その体験した悦びを周りの一人でも多くの人々にお伝え申し上げ、永遠に法灯を消さないことであります。そのためには、人の心に法灯が灯っているか、どうかが、心で判断出来る心造りを全うすることであります。偉大な主・高橋信次先生を、永遠にお称え申し上げる道はこの他にありません」とご指導くださり、私は命ある限りこの御教えを守り、実践することを、月刊『ほくりく』誌『ひかり』誌の記念すべき30周年を迎えるにあたり、ここにお誓い申し上げます。





↑ページの最初に戻る