「『ひかり』誌九月号を拝読させて頂いて」


大阪地区 T.A

 この度の『ひかり』誌9月号について、レポートさせて頂きます。神仏様の「御ひかり」いっぱいの、内容の深い文ばかりで、本当に勉強になりました。今、皆様が直面されているほとんどの問題についてのお答えが書かれてある上に、偉大な正法に基づく細かい反省の仕方も大変具体的に、分かりやすくお導き頂いており、私自身の反省点も気付かせて頂き、大変勉強になりました。

 特に、金沢地区の「伝道だより」34頁の上段、「父が何かをして欲しい時にも、(お父さん、ちょっと待ってね)とか、心の中で、(今ご飯を食べてくれたら助かるのに)……など、父が病気で寝ておられても、まだまだ娘として求める事が多くあり、本当に私は感謝のない人間だと思いました。……其の事を、父にお詫びさせて頂いて……父は、私の前で涙を流された事がニ度ありました」の部分は、本当に、感激いたしました。この方のお優しい、真心一杯のお父様への愛の思いが伝わって来て、自分の思いとか都合を優先する事自体が、愛の心の欠如と、自分中心であることに改めて気付かせて頂きました。

 私などは、母の介護は、多くの場合、自分の思いを優先させていた状態であったように思います。今頃になって、母にお詫びさせて頂く事が出来ました。自分には、愛の心が足りないのではなかろうかとずっと思っていたのですが、反省すべきことがはっきりつかめず、10年近く、母を週2回ほど訪ねていた事(始めの3分の2は、母はまだお元気で、遊び気分だった気がします)、正法をお伝え出来た事、お食事を差し入れさせて頂いておりました事など、親孝行をしていたつもりになっておりましたが、本当はかなりの部分で、形だけの情けない親孝行だったように思いました。

 それと共に、猛反省いたしましたことは、私の場合は、一事が万事、全てに、相手様に対する思いやりも少なく、おまけに、このことの大きな原因の一つは、怠けと手抜きであったように思え、これは大変自分中心であり、己を生かさず他も生かさないという、全く中道から反していた思い、行いであったことをよく分からせて頂きました。お蔭様で、私の周りは親兄弟も含めて、優しくしっかりした方(生活に困ったり、もめごとのある家がなく、姪たちは皆、親の家の直ぐ近くに楽しく住んでいるのです)ばかりで、私のように問題を抱えた方はおられず、やはりしっかりと、自分の業を修正し、皆様のよいところを見習い、前向きに生きていくために、このような絶妙な環境を選ばさせて頂いたのではと思わせて頂きました。

 でも、私の厳しい業のお蔭様で、それを修正するために、偉大な偉大な正法にご縁を頂くことが出来、母や子供達までお救い戴くことが出来ました。今は、正法にご縁を戴けた私が一番の幸せ者と思わせて頂いております。本当に本当に有り難うございました。丸山先生にご縁を戴いていなかったならば、今ごろ我が家は大変厳しい環境であったように思います。

 また、82頁からの、名古屋地区・C.I様のご体験文「私が、私こそが、私だけが……の思いがあり……」のところは、私自身のことを言われているようで、大変反省させて頂きました。

 ただ、9月号を拝読させて頂いてからは、あまりの厳しさに、かなり落ち込んでいたのですが、お救いはあるものなのですね。11月20日の大阪地区ご講演会「1975年関西2月講演会」で、偉大な主には、「この世の物に惑わされず、永遠である心を大事に生きていくように」と、大変分かりやすくお導きくださいました後、会場の皆様に、「今から、目をつむって、自分の心を見つめ、反省しなさい」とお導きくださったのです。その時の、偉大な偉大な主のお目は、全ての人々のお心を、しっかりと見据えられ、凝視されておられることがはっきりと心に沁み、時を経ても、今、私の心の隅々までお見通しであられることがよく分かりました。そうしましたら急に、偉大な主のお導きは、絶対の神意であり、神意に沿った生活をする以外に、人が幸せになる道は何一つないことがはっきりと心に落ちたように思い、暗かった心(厳しく、しんどいという思い)に神仏様の「御ひかり」を戴いたように、大変心爽やかにならせて頂くことが出来ました。そして、正法に対する信念がますます強くなったように思いました。

 お蔭様で、家に帰りましたら、2、3日前よりきつかった肩こりが、かなり治っていることに気付かせて頂きました。何となく、ここしばらく周期的に続いていたしつこい肩こりは、感謝の心が少なく、心が外に向いていたのが原因だということに気付かせて頂きました。心と体はしっかりと結びついている事を身にしみて分からせて頂きました。本当に、本当に有り難うございました。 

 最後になりましたが、特に感激いたしましたところは、金沢地区「伝道だより」37ページの「天国へ還られたご両親様は、遠いところに居られません。……本当に身近な感じなのです。あの世は在ります。天は存在されます。畏れ多くも偉大な主・高橋信次先生も、偉大なイエス様も、身近におられます。そして有り難くも、いつも御見守りくださっておられます。……」のところでございました。

 私には何も見えませんが、何となく自分の思いは、直ぐにあの世の方に通じるように思われ、いつもいつも天には私を御見守りくださっておられることが身にしみ、感謝の気持ちでいっぱいでございます。

 大宇宙大神霊・仏様、偉大な主・高橋信次先生、偉大なイエス様、いつもいつも御見守り戴き、本当に有り難うございます。

 最近は、心が平安である事が一番の幸せであると身にしみて感じさせて頂く昨今でございます。お蔭様で、68歳となった老後の日々を、この不穏な厳しい時代であっても正法による反省により心の整理をさせて頂き、神仏様にお見守り戴く中、なんの不安もなく毎日の一時一時を過ごせますことを、心より心より感謝申し上げます。





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