「有り難くも兄との再会の機会を頂いて」


九州地区(福岡) M.H

 丸山先生に御指導を頂戴する度に、私の周りの環境が正しく、明るく導かれていき、心の中の苦しみが1つ2つと消えていき、今回、奇跡のような現象をお与え頂きました。このような日が来るとは思いもしなかった展開になり、驚きと悦びを噛みしめさせて頂いております。この悦びを、早速お伝えしたくて、レポートさせて頂きます。

 私には、2つ上の兄がいるのですが、14年前に父が首の手術をしました時に会ったきりでした。新潟県中越地震の頃までは、電話での連絡がついていたのですが、携帯番号が変わり、引越ししてしまったようで、連絡がつかなくなっておりました。 

 昨年、11月20日の大阪地区学修会に出席させて頂きました時、丸山先生に兄の事を御相談させて頂きましたら、「それでは、偉大なイエス様のお力をお借りされたら如何でしょうか。『大宇宙大神霊・仏様、偉大なイエス様、うちの兄がこういう所で行方不明になっております。どうぞお導きください。父や母も後残された人生が本当に短いので、何卒お救いください』とお祈りしてみてください」と御指導くださいました。

 早速、父と母にも御指導頂きましたお祈りの言葉をお見せし、「正法は、意識の世界だから、丸山先生の御指導の通りにしていたら、きっと道は開かれる。心から信じて頑張っていこうね」とその日から3人でお祈りを始めさせて頂きました。

 偉大な主・高橋信次先生のご著書の拝読をさせて頂き、「心行・祈願文」「健康祈願文」「心行」3回を唱えさせて頂いてから、お祈りの言葉を唱えさせて頂くようにしておりました。しかし、毎日続ける事がなかなか出来ず、心から取り組む事が出来ませんでした。それは何故かと振り返ってみますと、これまでの兄への思いをしっかり反省出来ていない事に気付かせて頂き、兄への思い、行いを反省させて頂く事が大切であると思わせて頂き、反省を深められるように努力いたしました。

 そして、今年6月26日、「偉大な主・高橋信次先生に捧げる感謝と誓いの会」の翌日、金沢地区の合同学修会にて発表の機会をお与え戴きました。丸山先生から母の反省について「お母様の反省をされ、許して差し上げる事です。お母様が元気でおられる間に精々大事にして差し上げてください。亡くなられてから後悔しても遅いですよ」と、御指導頂きました。その日から、先生より頂いた御指導を何度も拝読させて頂き、「今、御指導通りに頑張らないと、後悔が残るだけだから、己に負けないように、正法を一番にして頑張らなければいけない!」と心に決め、ご両親様の所に出来るだけ顔を出して、1週間に1度は、一緒に御飯を食べられるようにいたしました。

 そんな中で、ご両親様には兄に対する思いを語られるのですが、今、兄が元気にしているのか、どのように生活しているのかがとても心配で、寂しさとせつなさで、苦しみを抱えておられる心情を改めて感じさせて頂き、兄からの連絡を待っているより、こちらから行くしかないと決心いたしました。ちょうど10月9日、仙台で「東北伝道集会」が開催されるとの事で、九州地区のN.S様が出席されるとのお知らせをくださいましたので、私も一緒に出席させて頂いて、その足で新潟へと向かわせて頂く事を決めました。行かせて頂く事を決意させて頂きましてからは、兄を思い、ご両親様の心を思い、毎日のお勉強、「心行・祈願文」「健康祈願文」「心行」3回、偉大なイエス様へのお祈りを欠かす事無く、毎日続けられるように、必死になって頑張る事が出来ました。

 兄の住所は、市役所にて戸籍の附票で調べさせて頂きました。交通の便は、N.S様と東京地区のN.U様のご協力を頂戴して、手配して頂く事が出来、出発の日を迎える事が出来ました。

 10月9日、N.S様と福岡から出発させて頂き、東京駅からは、N.S様の弟様と、東京地区のT.E様、Y様御夫妻様と御一緒させて頂きました。とても楽しく顔が痛くなるくらい笑い、こんなに笑ったのは久しぶりというくらい、心が安らぎ素敵な時間を過ごさせて頂きました。御姉弟様、御夫婦様が一緒に正法を学んでおられる事が、どんなに有り難く、どんなに素晴らしい事なのかを心から感じさせて頂き、私も兄妹で学べる日がきたらいいなと思わせて頂きました。

 仙台に到着させて頂き、皆様と「東北伝道集会」に出席させて頂きました。皆様のご発表に、沢山の感動を頂きました。私に法を伝道してくださったN.U様と、伝道させて頂きましたY.T様とご一緒出来ました事が、とっても嬉しくて、共に、偉大な主・高橋信次先生の御教えに触れさせて頂いており、一緒に学ばせて頂いております事に、改めて心から有り難く思わせて頂きました。

 東北の地に、偉大な主・高橋信次先生の御教えが伝わり、法灯が灯されますように、そして、お一人でも多くのお心がお救い戴かれますように、心からお祈り申し上げさせて頂きました。微力ながら、東北の方に繋がりますように、長崎の地にて伝道させて頂きます。「東北伝道集会」に出席させて頂きました事に、心より感謝申し上げます。

 私の新潟行きを心配してくださり、一緒に同行してくださったN.S様と、その日のうちに新潟市内に移動し、翌日、レンタカーを借りて、新潟市を出発させて頂こうとしました時に、上空にご光輪を拝見させて頂きました。大宇宙大神霊・仏様、偉大なイエス様のお見守りを感じさせて頂き、勇気を頂戴いたしました。上越市に向かって車を走らせ、車のナビを頼りに移動し、すんなり兄の居場所を見つけさせて頂くことが出来ました。兄の仕事の車、赤帽≠フ軽トラックが駐車場にあり、この日は仕事が入らなかったようで、兄は自宅におりました。兄の魂様、守護・指導霊様にご協力頂けるように、心からお祈りさせて頂き、恐る恐る玄関に向かいました。入り口の近くに着いた途端、扉が開き、お互いに顔を見合わせて、暫く見入っていました。

 14年ぶりの再会でしたので、お互いに年をとっており、「おーい、兄ちゃん」と手をふったところ、顔が険しくなり、「俺には構わんでくれ。帰れ、帰れ!」と手で振り払われました。ここで帰る事は出来ないと思い、近づいていき、ご両親様が兄を思うお心、生み育ててくださったご両親様への報恩感謝について、ご両親様には、あと残された人生が短い事、私の子供の頃の愚かな思い、行いについてのお詫び、父の借金問題について、等など、思いつくままに涙を流しながらお話しさせて頂きました。兄は私の話を最後までちゃんと聞いてくださったのですが、話し終わると「帰れ、帰れ!」と再び手で振り払われました。やっと会えた悦びがありながらも、あまりにも悲しい態度に、複雑な心境でしたが、そのままどうしようもなく車に戻りました。

 一緒に同行してくださり、車の中で待っていてくださったN.S様に溢れ出る涙をこらえながら報告しますと、「きっとお兄様には照れくさい思いがあるだけで、悦んでおられると思うよ。元気に生活しておられることが分かっただけでも良かったね」と励ましてくださり、「もう一度、自宅まで行って、お話しする機会を持ってみたら」と後押ししてくださいました。それから暫くして、夕方もう一度、兄の自宅を訪れさせて頂きました。

 兄の部屋の前に行きますと、扉が少し開いており、少し覗いて声を掛けてみました。「また来たよ! 少しでいいからお話ししよう」と言った途端、怒った顔つきで「近所迷惑だからもう帰れ!」と冷たい言葉を返されました。私は、遥々長崎から来たのに、兄の心はこんなにも苦しみ一杯になっておられたのかと悲しくなり、頑なな心に無理してお話ししても良くないし、今直ぐ何かを求めようとするのはやめて、今回、とりあえず居場所が分かり、会えた事だけでも、とっても有り難い事で、ご両親様が安心してくださる事が一番であったので、「明日帰るからね。元気でいてね。良かったらお父さんお母さんに電話してね」と声をかけて帰りました。

 ホテルに戻り、兄の生活の様子、兄が話してくださった言葉を思い返しながら、何故あのように頑なな心になってしまわれたのかを考えてみました。11年前、私が正法に触れさせて頂いてから半年後、父の借金問題が起こり、兄にも返済のご協力をお願いしましたら、50万円をすんなり送ってくださいました。私達兄妹が小さい頃から起こっていた問題で、兄はきっと父を責めているに違いないと思っていました。ところが、今回きちんとお話ししてみますと、兄は言葉の端々から、「借金の状況をきちんと話してくれなかった。50万円しか出せなかった」という兄なりの思いがあって、苦しまれておられたことを初めて分からせて頂きました。今までの私達が勝手に作った思いと違い、兄に対して、正しく見る、正しく思う事が出来ていなかった事を、兄の魂様、守護・指導霊様に、心からお詫びさせて頂きました。

 また、大宇宙大神霊・仏様、偉大なイエス様に、私の愚かな思い、行いを、心から心からお詫びさせて頂きました。

 実家で18年間を過ごし、上京してから一人で生活を始めて30年間、家族に一切頼る事無く、自立して一人で過ごしてこられた兄に対して、私は、心を向ける事が少なく、自分の事だけで精一杯の日々でした。兄妹という深い御縁を頂いておりながら、兄への感謝の思いが少ない事に気付かせて頂き、今日のこの日をスタートにして、これから一歩一歩前進していけますように、今の兄の心は偽我の兄の心であって、善なる心に届きますように、と祈る思いでした。

 翌日、長崎に帰る日の朝、「帰れ、帰れ!」の険しい兄の表情が焼付いておりましたので、顔を会わせるのはやめておこうと思ったのですが、ちょうど、「東北伝道集会」で購入させて頂きました、『ひかり』誌2009年3月号と2011年8月号がありましたので、2009年3月号の「偉大な主・高橋信次先生のご紹介」と2011年8月号の丸山先生から私が御指導を頂きましたページに付箋をつけて、手紙を添えることにしました。手紙の内容は、「兄ちゃんへ。昨日は、お話ししてくださり、有り難う。お父さんとお母さんは、『疲れたら、いつでも帰っておいで』と言ってくださっていますよ。私達はいつでも、どこにいても、家族だからね。PS、この前送った荷物の中に、お父さんとお母さんの手紙、写真が入っているから、見てね」と書かせて頂きました。『ひかり』誌2冊と手紙をポストに入れて、私は今回の役割りを果たした思いで、それから飛行場に向かいました。

 車で走っている途中で休憩をとらせて頂いた時、空を見上げましたら、上半分のご光輪を拝見させて頂きました。きっと大宇宙大神霊・仏様、偉大なイエス様が、「これからがスタートだよ!」とお見守りくださっているのではないかと、思わせて頂きました。

 夜中の11時に長崎の自宅に戻り、朝、息子のお弁当を作り、いざ出勤しようとしていましたら、母から電話が入り、「今、兄ちゃんから電話がかかってきて、『今日、仕事で四国の方に向っているので、長崎の実家には夜中になるけれども、帰って来ても良いでしょうか?』と電話があった」というのです。

 私が新潟から帰ってきたのは、昨日の夜中で、その次の日の朝には、兄から電話がかかってくるとは、あまりの急激な展開に、夢なのか、現実なのか、把握出来ない程の驚きで一杯になりました。

 この展開は唯事ではなく、昨年11月20日、大阪地区学修会にて丸山先生より「偉大なイエス様のお力をお借りされたら如何でしょうか」とご指導くださり、先生がお願いしてくださった『偉大なイエス様のお力』による、お導き、お救い、お計らいのお蔭様による賜ものに違いない、と思わせて頂きました。

 突然過ぎて、夢のようで実感が湧かないままでありましたが、大宇宙大神霊・仏様、偉大なイエス様に、心より心より感謝を申し上げさせて頂きました。私の心は、ご両親様が悦んでくださる事が何より嬉しく、ほっと一安心した思いで、安らいだ心にならせて頂き、悦びがじわーっと込み上げてきました。

 兄から再度連絡が入り、夜中の11時過ぎに到着するとの事で、私と息子は、実家に11時に行くようにして、その時刻になると、ご両親様と四人で、道路に出て、兄が来るのを待っておりました。

 暫くして、赤帽の軽トラックが到着して、出てきた兄の表情は、とても明るく、あの険しく帰れ≠ニいった時の顔ではありませんでした。一昨日の兄はどこへ行ったのやらという感じで、素直な兄に変身しておりました。家に入り、お互いに手を取り合いながら、2時間程、これまでの事を色々語り合い、父は、借金で迷惑をかけた事を兄に対して心からお詫びして、お互いに心を裸にしてお話しすることが出来ました。

 そして、兄から驚くべき発言がありました。「もしこの家に、住まわせて頂けるなら、来年一月に帰って来ようと思っているのですが、いいですか?」のお言葉に、ご両親様と私は再び驚いて、会えただけでも大悦びなのに、「帰ってくる!」のお言葉に、目を白黒させていました。兄は、「美保が帰ってから、ガーンと落ち込んで、新潟にしがみついている理由が無いという事に気が付いたのです。これからは、ご両親様の面倒を、僕も見させて頂くよ」と話してくださいました。兄のお心をこのように、大きく転換させて頂けましたのは、何よりも、大宇宙大神霊・仏様、偉大なイエス様のお力のお蔭様であります。そして、ご両親様と私の家族が兄を思う心が、兄の善なるお心・意識に届いたのだと思わせて頂きました。

 14年ぶりに家族が揃って話している時の表情は、とても明るく、みんな元気な姿で会えて良かったという思いで一杯でした。こんな日が来るとは、夢にも思いませんでした。今日、この日をお与え頂けますのも、1年前、大阪地区学修会にて、丸山先生から有り難い有り難い御指導を頂いたお蔭様です。本当に本当に有り難うございました。

 翌日、兄は新潟に戻り、実家の掃除機が壊れているというので、ロボットの掃除機を送ってくださいました。病気の母の体を思いやってくださり、母の負担が少しでも減るようにと心を配ってくださっております。

 また、私が新潟に行かせて頂いた頃は、仕事があまり無く、家で待機している状況でしたが、長崎から帰った途端、仕事が忙しくなり、赤帽のトラックで走り回っているとの事です。

 ご両親様と兄を苦しみより解放して頂き、お心をお救い頂きました事が、何より一番の悦びであると思わせて頂いております。

 偉大な主・高橋信次先生の正法が、世界で唯一、正しい御教えであり、その愛弟子であられます、丸山弘先生の御指導は、唯一正しい御指導でありますことを、改めて改めて実感させて頂きました。心より心より感謝申し上げます。

 これまで数々の奇跡のような有り難いお導き、お計らいを戴き、正法に不可能はない℃磨Aそして、私達家族がお救い頂きました事を、これから声を大にして、叫んでまいります。

 私に正法を伝道してくださったN.U様、K.S様に、心より心より感謝申し上げます。

 丸山弘先生、いつもいつも有り難く貴重な御指導を頂戴し、誠に有り難うございました。奇跡のような事が起こりました。正法≠学ばせて頂けることは、とても素晴らしいうえに、有り難いですね。これからは、家族が揃った生活をさせて頂き、助け合い、補い合い、許し合いながら、先生の御指導に忠実に、己に負けないように頑張ってまいります。これからも御指導の程、どうぞ宜しくお願い申し上げます。お体をどうぞお大事になさってください。





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