「お教え頂きましたこと」


九州地区 T.N

 今年も「第36回 偉大な主・高橋信次先生に捧げる感謝と誓いの会」に参加出来ました事を大宇宙大神霊・仏様に対しまして、心から感謝申し上げます。

 丸山先生のお元気なお姿を拝見させて頂き、大変うれしく、胸が熱くならせて頂きました。

 「感謝と誓いの会」での法友様のご発表はとても素晴らしく、大きな感動を頂きました。その中でも、九州地区・N.S様のご発表には深く深く感動し、今日この場に出させて頂いて拝聴させて頂くことが出来、本当に嬉しく思いました。N.S様は、丸山先生のご指導のもと、ご両親様の反省、ご供養、弟様への伝道を実践され、その方法をまだまだ未熟な私にも分かり易く教えてくださいました。

 次の日の合同学修会の時、丸山先生がお着きになられるまでの間のご発表で、九州地区代表委員のT.N様が、ご光輪についてのお話をしてくださいました。それまで私はご光輪とは何なのか、よく分かっておらず、「きれいだなー!」とは思っておりましたが、どことなく愚かにも気象現象のひとつのように感じていました。その後、『ひかり』誌のバックナンバー、1994年6月号34頁で、「ツユの晴れ間、太陽の日ガサ」にまつわる毎日新聞の記事と天上界からの通信のところを拝読させて頂き、本当に驚き、感動いたしました。

 雨と風と虹と東北研修会での現象

 気象庁が梅雨入り宣言をしたのが6月の5日、この日、山形県の蔵王温泉で東北地方研修会が開かれ、その2日目を迎えていた。梅雨入りとあって天候は思わしくなく、5日午後の野外禅定も取り止め、夜は雨になると気象庁は伝えていた。

 いまは亡き、偉大な主・高橋信次先生に天上界からご通信があったのはちょうどそのとき。「このままではドシャ降りつづきになるので天候を回復させます」とお知らせがあり、「ただし雨雲を吹き飛ばすために風が強くなります」とのことであった。

 風がきつく吹き始めたのは、それから間もなくである。蔵王一帯はやがてわずかな降雨をみただけで翌朝まで風が吹きつのり、翌6日午後から天気は回復した。

 「天候だけではありません。もう少し現象を起こします」と、さらに天上界からご連絡があり、どんなことかと考えながら、偉大な主・高橋信次先生や講師のみなさん、研修会を終えて帰京された。そして「アッ」と思われたのが7日付の毎日新聞夕刊(写真入り)。「ツユの晴れ間、太陽の日ガサ」という見出しで、次のような記事が載っていた。

――― 太陽のまわりに大きな七色の日ガサ。その中に千歳発羽田行ジェット機が長い飛行雲の尾を引いて飛び込んでいった。

7日午前10時15分ごろ、岩手県下は、前夜来の雨がウソのように晴れ上がり快晴、微風。どこまでも澄み切った青空にくっきり浮き出した日雲(にちうん)。にちうんとは太陽のかさの意。

 盛岡地方気象台一関気象通報所の話によると、高度6000メートル以上の水晶(大気中に起きる氷の結晶)に太陽光線が屈折して起きる現象で、地上から手にとるようにはっきりと見えたのは、昭和29年に同通報所が開設以来の現象とか。この日、一関地方は25.9度の暑さ、日雲は同10時頃から出現、キラキラ光る太陽をドーナツ型の七色の輪が取り囲んだ。写真はそこへ千歳発羽田行のジェット機が飛行雲を引いて通過した一瞬をアマチュアカメラマンがとらえた。―――

 この記事を読まれた、偉大な主・高橋信次先生には、あの柔和なお顔に微笑みを浮かべておられたのを思い出す。

 又、丁度、合同学修会で、九州地区代表委員のT.N様がお話しになられたご光輪につきましては、ご光輪のお話が掲載されています『ひかり』誌のバックナンバー、1997年1月号29頁、九州地区・T.N様のレポートを拝読させて頂き、ご光輪は、天からのメッセージであることを分からせて頂き、心から感動いたしました。

 神秘的な光現象を見させて頂いて

(T.N様のレポートより一部抜粋させて頂きます)

 「12時前、丸山先生が会場にお着きになる時間に、子供(子供といっても44歳)と二人で玄関に出て待機していたときのことでした。当日は風もなく、澄みきった秋晴れで、こんな晴天の日にはご光輪は出ないねと二人で話しながら空を見上げてから僅か数秒後でした。白い蒸気か、薄い霧のように見える白い閃光が、四方八方から太陽をめがけて物凄い勢いで太陽を取り囲んだと思った瞬間、青空にくっきりと美しい大きい光の輪が出来ました。ご光輪が出来るまでの時間は、私と子供が同時にアッと驚きの声をあげましたが、そのアッという声が終わるか終わらないかのほんの一瞬の出来事でした。図らずもご光輪が出来た瞬間と丸山先生のお乗りのタクシーが玄関に到着したのとほとんど同時でした。

 私はこれは偶然というよりも奇跡だと、唖然としながらご光輪と車を交互に見ながら車のドアを開けて先生をお迎えいたしましたが、下車された先生に対して光の天使様がご苦労様といたわるように光の輪の日傘をそっと差しかけられているように見え、心から感動を覚えました。

 私はこの光景を見させて戴いて、偉大な主・高橋先生の正法を説かれる先生は沢山おいでになられますが、丸山先生はこれらの方々とは全然違うと思いました。丸山先生は法を話しておられます。法が在る基準は、学修会の都度見させて戴いているご光輪、そして今回のようにご光輪が出来る不思議な過程をいとも簡単に出して見せられることです。これは、天上界より、ここに法が在るんだよとお計らいくださり証明しておられることでないと出来ない現象だと思います。このように、偉大な丸山先生から直接正法のご指導を戴くことの出来る悦びと幸せを噛みしめております」

 私は去年の7月の頃を思い出しました。長男 Kが、右手中指を切断して入院していた時の事です。指が元のようにくっつくかどうかも分からず、輸血も余儀なくされていたときでした。一日の時間がとても長く感じられ、不安と悲しみで、胸が押しつぶされそうな日々でした。大阪の堺市という一度も行ったことのない土地での看病の日を送っていました。その日の朝も病院へ向っていましたら、大阪地区の委員をされておられるK.T様から私の携帯電話に、「Nさん、今ね、和歌山にいるんだけど、とっても大きなご光輪が拝見出来ますよ! 大阪でも拝見出来るのではないですか?」と、ご連絡を頂きました。

 T様は、私が大阪で、長男の看病をしている事を知っておられ、その日の午後、わざわざ、私に会いに来てくださる事になっていました。私はその時、初めてご光輪を拝見しました。それはそれは大きなご光輪でした。今でもはっきりと私の心に焼き付いています。ご光輪の意味など全く知らない私でしたけれども、その時のご光輪はとても有り難く、胸が熱くなり、勇気を頂きました。

 そして今、バックナンバーを拝読していますと、その時の事が、昨日の出来事のようによみがえり、心から込み上げてくるものがありました。あの日大阪で見せて頂いたご光輪は、まさしく天からの愛の光であり、神仏様のメッセージであった事を、今更ながらに分からせて頂きました。そして心から、「大宇宙大神霊・仏様、有り難うございます。偉大な主・高橋信次先生、有り難うございます」と、感謝の気持ちを伝えさせて頂きました。後から後から涙が溢れてきました。

 その時、私の両手に、キラッ! と光るものがありました。金粉です。目が悪い私にも、はっきりと拝見することが出来ました。ますます心がふるえ、涙が止まりませんでした。

 「太陽の熱、光は、誰の上にも平等にお与え戴いている」「神仏様の『御ひかり』は、誰の上にも平等にふり注いでおられる」と、偉大な主・高橋信次先生には、お導きをくださっておられます。偉大な主には、天からいつも私たちを、お見守りくださっておられる、九州の外れに住んでいる私の所にも、神仏様の「御ひかり」は、平等に届けてくださっておられる。その真実を確認させて頂く、尊い現象を頂く事が出来ました。本当に有り難うございます。

 これからも、神仏様を心から信じ、丸山先生のご指導を深く深く受け止め、精進努力してまいります。丸山先生、いつも愛あふれるご指導を頂きまして、本当に有り難うございます。これからも どうぞよろしくお願いいたします。





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