『会員からの特別緊急レポート「姉(K.M)をお救い戴いて」』


富山地区 K.I

 丸山先生、この度は姉(大阪地区・K.M)の命をお救いくださいまして、本当に本当に有り難うございます。心から心から感謝申し上げます。

 去る10月13日のお昼頃でした。私が会社で昼休憩をとっておりました時、母から突然電話を頂きました。そして、「Kに大変な事が起きた。I病院の先生からお電話があって、『娘さんは、のどの腫瘍が腫れて大きくなってきているので、今直ぐに手術して取らないと、窒息して死んでしまいます。ご主人様に連絡が取れないので、そちらから手術することを連絡して頂けませんか』と突然言われ、何が何だか分からないままでいると、次にKが電話に出て、かすれた声でやっと話すので、『何も言わないでいいから。直ぐに丸山先生にお願いするから』と言うのが精一杯だった。貴方からH.H様にお話しして、丸山先生にお願いしてもよいかどうか、お聞きしてください」との突然の話に、私も大変驚き、一瞬困惑しましたが、心乱すことなく、心の中で「きっと大丈夫!」と思っておりました。

 何故なら、前日(10月12日)のお昼過ぎ、会社の窓から、本当に久しぶりに、それはそれは大きなご光輪を拝見させて頂き、『こんな大きなご光輪は見たことない。このご光輪は、きっと丸山先生がお元気になられて再び当会に復帰されたご祝福に違いない!当会に光が戻ってこられた!』と思わせて頂き、同じくご光輪を拝見させて頂いた母と、そのようなお話をさせて頂いていたからです。直ぐに先生のご様子をH.H様にお伺いさせて頂き、H様より、「先生はお元気ですから、直接ご連絡されて大丈夫ですよ」と、大変力強いお言葉を頂きましたので、直ぐに母に連絡し、母から丸山先生にお電話させて頂きました。母は「丸山先生には、Kの生年月日から住所まで詳しくお尋ねくださり、『分かりました』とおっしゃって戴いた。良かった。良かった」と、電話で大変お悦びになられてお話しくださったので、私も安心いたしました。

 しかし一方では、姉の携帯にはつながらなくなり、姉が入院したことを姉のご主人様や、娘さんに連絡しようとしても、不思議とどなたにも連絡がとれず、姉も一人で不安な思いでいるのではないかと思うと、だんだんと心配になってまいりました。そして、会社の方にその事をお話しさせて頂きますと、「それは大変な事だから直ぐに帰ってください。お母様は、大阪に行かなくていいんですか? 一緒に行って差し上げた方がいいのではないでしょうか? 何だったら明日もお休みされていいですよ」と、大変有り難いお話を頂きまして、会社の皆様にお許しを頂き、お礼を申し上げて、直ぐに家に向かいました。母に「今から帰るから」とお電話しますと、母は大変嬉しそうに安心してくださいましたので、会社の皆様には心から感謝させて頂き、帰りの車の中でも、「大宇宙大神霊・仏様、K.Mの命をお救いください。K.Mに光をお与えください」とずっと心でお祈りさせて頂きながら帰宅させて頂きました。

 その後も再度、姉の家族に連絡を入れさせて頂きましたが、やはりどなたとも連絡がとれず、それではと思い、病院に直接お尋ねしても、急なことで入院手続きが済んでいなかったのか、「そのような患者様は、入院されておりません」とのお答えでした。もうこうなっては直接会って確かめるしかないと思わせて頂き、直ぐに母と大阪に向かう決心をいたしました。

 富山を14時過ぎの列車に乗りましても大阪の病院に着くまでは3時間半近くかかりますので、病院に入ります頃にはあたりはすっかり暗くなっておりました。その間、列車の中で「心行・祈願文」を上げさせて頂き、ずっとお祈りさせて頂きました。喉の手術は、手術が成功しましても術後が大変な事は予想出来、話すことも食べることも出来ないだけでなく、呼吸することすら大変な事で、声も変わるかもしれません。考えただけでもぞっとする思いがいたしました。どうか手術しなくて済みますようにと、どれだけ願ったか分かりません。でも、私達には丸山先生がどんな難病の方も一瞬で癒してくださいました奇跡を、これまでも何度も目の当たりにいたしておりましたので、心のどこかで絶対大丈夫との思いを持っておりました。万が一、本当に万が一、手術になっていたとしましても、それは神仏様には、姉や私達に反省の機会をお与えくださったこととして、有り難く受け止めさせて頂く覚悟も出来ておりました。

 「丸山先生にお救いをお願いさせて頂いたので、もしかして、お医者様が手術をしようとされたら、あれっ! 腫瘍が消えてる! って事になって、手術の必要はなくなりましたって事になってるかも! そしたら、本当に凄いことやね。そしたら感謝しかないね」と、母とも楽しく話をさせて頂くことで、だんだんと明るい気持ちにならせて頂きました。列車の中からも、少しでも早く情報が知りたくて、家族に連絡を取り続けましたが、やはり繋がらず、どうしてだろう? おかしいな、と思っておりましたが、それこそが神仏様のお計らいであったことを後に分からせて頂きました。

 病院に着き、直ぐに病室に案内して頂きました。集中治療室ではありませんが、詰所の近くだったので手術になったのかなと不安に思いながら入っていきますと、姉がきょとんとした顔で、「あれっ、どうしたん?」と言われました。姉は点滴を受けているだけで、話す声も普通になっており、もちろん手術した痕跡など全くなく、その姿に直ぐに、「ああっ! やっぱりお救い戴いたんだ」と確信し、悦びと感謝が溢れてまいりました。私達は直ぐに姉のもとに駈けつけ、「あの後、直ぐに丸山先生にお電話させて頂いたので、お救い戴いたんだね。本当に良かった。良かった」と3人で涙しながら悦び合いました。大宇宙大神霊・仏様、偉大なイエス様に心から感謝をお捧げ申し上げます。丸山先生、姉の命をお救いくださり有り難うございます。心から感謝申し上げます。

 そして、姉からその後の状態をお聞きし、奇跡とも思える現象にまた大感激いたしました。

 姉が申しますには、「昨日、喉が痛くて腫れていたので、かかりつけの内科にいこうとしたら、時間外で断られたの。で、耳鼻科に行ったんよ。すると、『この病気はひどくなってくると窒息死することがあるので、明日直ぐに大きな病院で診てもらうように』と紹介状を書いてくださったんだけど、今朝は熱も下がって何ともなかったので、病院にいくつもりもなかったんよ。でもパンを食べた時に全部吐き出して喉を通らなかったので、やはり診て頂こうと思い病院に来たら、お医者様が目の前で、『只今、重症患者が入りましたので外来を中止します』と連絡されていて、まさか自分が重症患者だとは思ってもいなかったのでとてもびっくりした。そして、『万一の場合は手術になります』と言われ、お医者様が主人に連絡しようとされたが繋がらず、『どこか他にお知らせするところはないですか?』とお聞きくださったので、迷わず富山の実家の連絡先を言ったの。直ぐにかけてくださり、お母さんが出られて、『丸山先生にお願いするから』と言われたので、私もこれで大丈夫と安心出来たんよ。

 その後、10分くらい経った時だと思うけど、これまで息苦しかったのが、すーっと何か大きなものが落ちたように急に楽になった。そしたらお医者様が、『今1割ほど回復しましたよ。薬が効いてきましたね。このまま様子をみましょう』となって、それから少しずつ回復してきたんよ」と、その時の経過をお話しくださいましたが、私と母は、お医者様が1割回復したと言われた時は、まさに母が丸山先生に電話でお願い申し上げさせて頂いておりました時と時間的に一致していることに直ぐに気付かせて頂き、大感激して悦び合いました。

 母は、「丸山先生がお祈りしてくださったから、一瞬にして癒されたんやね。凄いね、凄いね。丸山先生は、もう偉大なイエス様と同じやね。やはり、丸山先生には偉大なイエス様が常にお側におられるんやわ。お医者様は薬が効いたって言われるけど、私にご連絡があった時は『窒息寸前だから直ぐに手術します』という感じの言い方だったから、そんなに簡単に治るものではなかったんだと思うよ。本当に手術になるところだったと思う。でも、手術ってそんなに簡単なものではないよ。大事な大事な肉体にメスを入れるのは大変な事だから、手術は出来るだけしない方がいいってお聞きしたよ。だからもっと感謝しなくてはいけない。そして今回何故、このような病気になったのかをしっかり反省しないと、また同じことを繰り返すことになるよ。私達は、それだけ正法って厳しいものだってお教え頂いているよ」と、姉に言ってくださり、姉は初めて自分が本当に死に直面した大変な病気であったことを知った様で、驚いておりました。

 私も、「薬が効いたんじゃないよ。丸山先生が癒してくださったことにもっともっと感謝しなくてはいけないよ。私は、H様を通してお聞きしたことだけど、丸山先生には、『正法を行じるには【明るく楽しく過ごす】ということが一番大切なことと思います。そのためには、まず自分が明るくなること、それによって夫婦の間も明るくなり、家庭も明るく調和がとれるようになるのです。それが正法の基本です』とご指導くださったそうだよ。

 最近、お姉ちゃんは東北にご著書を送っていることも知っているけど、一方でご主人様に不満を持っていたことも知っているよ。それでは、正法を学んでいても何にもならないと思うよ。何より大事なのは、当会は丸山先生がいてくださって初めて光に満たされるということだと思う。もし、お姉ちゃんが病気になるのが一週間早かったら、どうなっていたと思う? その頃は、丸山先生はご体調がすぐれず、先生とご連絡がとれない状態だったから、私達はどうすることも出来ず、それこそ本当に手術しかなかったと思うよ。こんなに一瞬にして癒して頂けることが出来るのは、偉大な主・高橋信次先生や偉大なイエス様と深い深いご縁にあられる、丸山先生にお縋り出来たからだよ。私は今回、丸山先生がお元気な時でよかったと、どれほど思わせて頂いたか分からないわ。

 それは、5年前のお祖母様の時も同じで、先生が目の手術をされる直前に、お祖母様の大腸がんが見つかり、偉大な神仏様の「御ひかり」を頂いたお蔭様でお祖母様が癒されたでしょ。あと数日発見が遅かったら、先生は入院されて神仏様の「御ひかり」は戴けなかったよ。そしたらお医者様の言われる通り、手術するしかなかったと思う。それだけ自分は、いざというときは、本当に無力だということを知ったよ。治ったのは本当に只事ではないよ。丸山先生が助けてくださったんよ」と、お話しさせて頂きました。そして、3人で今回の奇跡を改めて悦び合いながら、お互いに気付かせて頂いたことを話し合わせて頂きました。

 今回こうして姉が病気になられたことで、私も、神仏様による癒しの現象の偉大さ、そして、病気を通して大きな反省の機会と学びをお与え頂きましたことに気付かせて頂き、心から有り難く思わせて頂きました。

 私達が病院に着きましてから1時間ほど経って、ようやく姉の娘の次女より連絡が入りました。そしてご主人様の会社に連絡してくださり、それから30分ほどでやっと二人で駆けつけてくださり、一連の出来事に大変驚かれました。ご主人様には滅多にないことだそうですが、携帯を家に忘れていかれたため連絡がとれなかったことを知りました。でも、それも偶然ではなく、偉大な神仏様がなされたことに違いないと思わせて頂きました。姉のご主人様は正法に帰依しておられません。もし、お医者様が姉のご主人様に連絡出来ていたら、実家の富山に連絡されることはなかったでしょう。姉は一刻を争う状態でしたので、ご主人様には迷うことなく、きっとそのまま手術をご承諾になったと思います。携帯電話を忘れてくださったお蔭様で、実家に連絡頂き、直ぐに丸山先生にお救い戴くことが出来たのだと思わせて頂きました。

 また、手術にならなくて良かったといたしましても、その後、家族のどなたかに電話が繋がっていたり、病院と連絡がとれていたら、私達は安心し、直ぐには大阪に向かわなかったと思います。そして私達は深く反省することなく、いずれまた同じ事を繰り返していたことと思います。姉の状態が全く分からなかったことで、直ぐに大阪に行くこととなり、3人でゆっくり話し合うことが出来たことで、悦びは一段と大きくなり、神仏様の偉大さを改めて深く分からせて頂き、深く考えさせて頂く機会をお与え頂いたように思わせて頂きました。このように思いますと、前日に拝見させて頂いたご光輪から始まって、今回起きました全てが神仏様のお計らい、お導きではなかったかと気付かせて頂き、偉大な偉大な神仏様に対しまして、幾重にも幾重にも、深く感謝をお捧げ申し上げさせて頂きました。

 その後、姉はお医者様に内視鏡で診察して頂いたところ、「だいぶ良くなりましたね。もう手術することはないでしょう。良かったですね。この病気は、急性咽頭蓋炎といって主にインフルエンザ桿菌によるものが多く、体が元気なので救急で運ばれる頃には手遅れになっていることがよくあるんです。あと1日遅かったら助かっていなかったでしょう。また内科では見つけられないので、最初に耳鼻科に行かれたことも良かったですね」とのお話を頂き、本当に本当に全ての事が神仏様のお計らいであったのではと思わせて頂き、改めて深く深く感謝で一杯にならせて頂きました。

 その夜は、そのまま大阪のホテルに泊まらせて頂くこととし、夜の9時過ぎにホテルに着きましてから、直ぐに丸山先生にお電話でご報告させて頂きました。先生には大変お悦びくださり、「先生にお電話させて頂いた時と、姉の腫れが引いた時はほぼ同時だったんです」と申し上げますと、「そうでしょう。私は直ぐに、偉大なイエス様にお願いしましたから」とおっしゃってくださり、心から感謝が溢れ、何度も何度もお礼を申し上げました。先生には、「貴方様方ご家族様が、正法を深く信じておられ、正しく生きてこられたからですよ」と大変もったいないお言葉を頂きましたが、私は直ぐに、「丸山先生がいてくださったお蔭様です。先生に助けて戴いたんです」と申し上げておりました。丸山先生、本当に本当に、有り難うございます。改めて心から感謝申し上げます。

 その夜、姉の「健康祈願文」を上げさせて頂き、ふかふかのベッドでゆっくり休ませて頂くことが出来ました。そして、翌日も病院に行き、姉に丸山先生にご報告させて頂いたことをお話し申し上げ、その後富山へと帰りました。

 家に着きまして、兄にも一連の奇跡をお話し申し上げましたら、兄は時折返事をしながら、黙って聞いてくださっておりました。そしてふと、その日(10月14日)の地元新聞が目に入り、トップの一面に私はとても驚きました。その記事には、「幻想 満月に光の輪」と書かれてあり、12日夜の9時頃に富山県の雨晴海岸で撮影された、大変綺麗な月輪のお写真が載っておりました。そして、記事には「こんなにはっきり輪が見えることはめずらしい」と書かれてありました。12日は、私達が大きなご光輪を拝見させて頂いた日ですが、夜にもこのような素晴らしい現象がありましたことを初めて知り、大感激大感動いたしました。母にも直ぐに見て頂き、一緒に悦び合いました。このような大変素晴らしい現象が拝見出来た翌日に、姉が病気になられたことは、本当に只事ではありませんでした。

 当会は、丸山先生がいてくださってこそ、偉大な神仏様と深く繋がりを持たせて戴けることを天にはお示しくださり、姉の奇跡を通して、その事に私達は改めて気付かせて頂きました。そう思いますと、犠牲になってお教えくださった姉にも感謝が溢れてまいりました。先生がご体調を崩され、学修会が中止となっていました約1カ月間は、本当に何か物足りないような思いがしておりました。私自身の精進が足りなかったことも原因の一つと思わせて頂きましたが、それ以上に、丸山先生のご存在が本当に大きかったことに気付かせて頂きました。私達はまだまだ未熟者であります。ですから、丸山先生には、一日でも長くお元気でいて頂きたいのです。そして、また丸山先生がご臨席くださっての学修会が開催されますことを心より願っております。

 大宇宙大神霊・仏様、偉大なイエス様、このたびは姉をお救い戴き、また私達家族にも反省の機会をお与え頂き、本当に本当に有り難うございました。心より感謝申し上げます。お救い戴いた悦びを決して忘れず、感謝の思いを一人でも多くの方にお返しさせて頂きます。本当に有り難うございました。





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