『会員からの特別緊急レポート「お救い戴いた悦び (10月16日病院にて)」』


大阪地区 K.M

 丸山先生、この度は私の命をお救い戴きまして誠に誠に有り難うございました。

 去る10月13日、私は「急性喉頭蓋炎」という病気で緊急入院いたしました。初めて聞く病名で、また、初めて経験した喉の痛みでした。

 ちょうど、10月9日は仙台での第1回の「伝道集会」に参加させて頂き、帰阪しましてからの11日朝、少し喉の痛みを感じ「あれ?」と、思いました。

 9日夜、仙台から高速バスに乗り10日の6時20分ごろ名神高槻着まで約11時間の長旅で、10日は家に着くなり家事が続き、夜は、三連休の最終日ということで、長女と衣類の整理など埃っぽい仕事をしました。私は20代のころ、砂埃や大量の埃のあるところを箒で掃除をする仕事をしてから、もともと弱い喉が一段と弱くなり、風邪はいつも喉から引いていました。今回も、埃っぽい仕事をしたせいかなあと思っておりましたが、何度うがいをしましても、また、喉飴を食べても一向に良くなりませんので、11日夕方、薬局で喉の薬を買って飲みましたが、12日になっても痛みは治まらず、水を一口飲むたびにむせておりました。たまたま、首を触ったところ首も痛く「あら、どうしたんだろう」と、思いました。不安になり、近くの内科に「午前の診察に少し遅れますが診て頂けますか?」と、お尋ねしたところ「今日はもうおしまいですので」と、そっけないお返事にがっかりしました。しかし、午後になっても痛みは続きましたので、ふと、耳鼻科で診て頂こうと思い、一度受診しました近くの耳鼻科の診察カードを確認いたしましたところ、夕方から診察いたしておりました。

 早速、夕方に診て頂きましたところ、その耳鼻科のお医者様のお言葉は「これはかなり怖い病気です。今夜にも呼吸がしにくくなったら、救急車を呼んで耳鼻科に行ってください。明日当院はお休みですので、紹介状を書きますから、そちらで受診してください」と、おっしゃってくださいました。私は、まるで人ごとのようにぼうっと聞いておりました。夜中、呼吸は苦しくならなかったのですが、念のために、私は頂いたお薬を少量のヨーグルトを食べた後に飲みました。これで朝まで安心かなあと、素人判断しました。

 翌12日、9時30分頃には、喉と首の痛みと声枯れ以外はとても元気でしたので、また、少量のヨーグルトと薬を飲もうと思いましたが、ふと、テーブルの上にあったパンを一口食べたくなり、食べたところ、3度に分け吐き出してしまいました。のんびりしていた私もさすがにびっくりし、直ぐ紹介状を書いて頂いた病院へ行こうと思いました。その時は「入院かな?」と、ちらっと思いましたが、いつもと同じように自転車で17〜18分の病院に向かいました。そして、病院の耳鼻科の先生に少し診察して頂いた後、先生は直ぐ「重症の患者さんが入ったので外来はストップしてください」との連絡を受付にされました。「私のことだA」と思い、まだ呆然としておりましたら、先生は、「その声だと電話出来ないでしょうから」と、私に代わり主人に電話してくださいました。しかし、留守電でしたので、私は「もう1カ所電話して頂けないでしょうか」とお願いし、富山県の実家に電話して頂きました。

 主人への留守電も実家への電話も、要点は「直ぐ入院して頂いて、その上で大量の抗生剤を点滴します。喉の腫れがどんどん進みますと、気管を塞ぎ最悪、窒息死する病気です。それを防ぐため、場合により気管を切開する手術もします」との内容でした。その直後、病院側の要請により、私は手術承諾書にサインをいたしました。もし、私が苦しくなってからでは遅いと思われたからでしょう。そして、その準備の間、私は擦れた声で母に泣きながら電話しました。母は病院からの電話で気も動転し、妹に直ぐ電話し、それから、丸山先生にお電話をさせて頂いたとのことでございます。母は「丸山先生にお願いするから、心配しないで。それよりも原因があってのことだから反省を……」と、お話ししてくださいました。しかし、私は何となくその原因は分かっておりました。

 それから、少しして、救急外来で点滴が始まりました。10分位して急にストンと喉の痛みがなくなりました。きっとその時は、丸山先生にはお祈りをしてくださった直後であったのではなかろうかと、本当に本当に有り難く思わせて頂きました。お医者様もその後お見えになられ、「喉の痛みと首の痛みがだいぶ楽になりました」と申し上げますと「その感覚が大切です。薬が効いてきたんだね」と、おっしゃいましたが、勿論、これは薬ではない、薬ではないと心が叫んでおりました。母も妹も、富山から大阪に向かう車中で、ずうっとお祈りをしてくださったとのことで、本当に有り難く思わせて頂きました。最初の問診の時、「大量のステロイドをたたき込みますが、薬が効かない人もおられますし、その場合切開手術をします」とのお医者様のお言葉を思い出しまして、本当にこれは只事ではないと、涙が後から後から流れました。

 点滴の最中に母と妹が駆けつけてくださり、私はびっくりしました。母は窒息死と言う言葉にびっくりして飛んできてくださったのでした。80歳の母は一人では大阪に行けないということで、妹に頼み、妹も幸いにも仕事の都合がつき二人で駆けつけてくださいました。しばらくして、またお医者様がお見えになられ、妹、母と話されておりました。それによれば、この病気で命を落とされる人が結構おられるとのことでございました。喉の痛みですから、最初に内科にかかると手遅れになる場合もあるとのお言葉に、私は内科にお断りされて本当にお救い戴いたと、神仏様に深く感謝申し上げました。また夜には、電話がつながった主人が二女と一緒に来てくださいました。主人も先生のお話にびっくりいたしておりました。長女は研修中で留守でしたが、たまたま時間に余裕のある二女が家のことを全て引き受けてくださるとのことで、これも偶然ではなく、本当に有り難く思わせて頂きました。

 主人や母達が帰りました後、5時間以上にも及ぶ長い点滴の終わり頃、診察がありました。腫れはまだ半分近くあったとのことでしたが、声もかなり回復し、唾を飲み込む時に喉が痛い程度で、本当に短い時間でかなり良くならせて頂きました。本当に本当に有り難く、神仏様に心より感謝申し上げさせて頂きました。

 翌14日朝には、母と妹が有り難くもまた来てくださり、「ご高齢で最近はご体調もいつも良好とは限られない丸山先生に、直ぐにお電話がつながったということも、ただごとではないよねA 神仏様が恵子を救ってくださったのだよ。本当に本当に神仏様にお守り頂いたんだね」と3人で感激の涙で語り合いました。80歳の母に多大なご心配をおかけして、本当に申し訳ございませんでした。が、こうして、共に感激の涙を流させて頂ける法友様がいてくださることに心から有り難く思わせて頂きました。また、同日夜には、主人と二女が来てくださいました。私はその時、今こそ主人にお詫びさせて頂かねばならないと思わせて頂き、心からお詫びさせて頂くことが出来ました。そうしますと、さらに喉が楽になり、唾を飲み込んでもほとんど痛みはなくなりました。主人には次のようにお詫びをさせて頂きました。

 「偉大な主・高橋信次先生、そして、偉大な主・高橋信次先生のご著書や『ひかり』誌を通しまして私達に直接御指導してくださっていらっしゃいます、丸山弘先生の悲願でもあられます東北伝道に、今、私はほんのわずかでもお役に立たせて頂けたら嬉しいとの思いから、東北地方へのご著書の寄贈に励まさせて頂いておりましたが、そのような表面的、事務的な作業に一生懸命になるあまり、自分をつくるという、正法を学ばせて頂いている上で、一番大切で根本的なことをおろそかにしておりました。それは、主人に対する思いでありました。私は東北伝道に頑張っていると、偉そうに、まるで自分一人が頑張っていると思っておりました。しかし、そうさせて頂けるのは、主人が一生懸命、毎日働いてくださるお蔭様でそうさせて頂けるわけであり、主人抜きでは決してさせて頂くことの出来ないことでございました。そのような自覚が全くない証拠に、私は、主人には全て事後報告でございました。

 『東北の病院、大学、専門学校にご著書を寄贈させて頂いたから、宜しく! 今度、10月9日、仙台に伝道集会があり、私も参加させて頂きたいから宜しく! 普段は贅沢をしないからいいでしょう!』と、いつも一方的に自分のしたいことだけを、主人に有無を言わせない状態で話しておりました。主人の意向もきっとあったでしょうに、話し合いも、『お願いします』との謙虚な心もなく、正法者として全く何も出来ておりませんでした。本当に本当に申し訳ございませんでした」と、お詫びさせて頂きました。

 15日、主人がインターネットでこの病気のことについて調べてくださいましたところ、原因となる菌はインフルエンザ菌、または溶蓮菌とのことでした。そのような菌は家の中にはいないはずですので、仙台からの高速バスの中で感染したとしか考えられません。そういえば、前の方で何度か咳をしている人がおりました。出かける前、長女は「マスクは持っていかないの?」と話してくださっていたことを思い出しましたが、せっかくそう言ってくださいました長女の心を無視していた私でありました。主人には、行きは「伊丹空港」まで送って頂き、帰りは「名神高速高槻」バス停まで迎えに来てくださるという、至れり尽くせりの仙台行きでございました。このように、主人をはじめ家族のご協力の中で、仙台へ行かせて頂き、ご著書を寄贈させて頂いていたにもかかわらず、私一人で頑張っていると言う間違った思いが、菌を呼び込み、このような病気になったのだと気付かせて頂き、神仏様に対しまして、心から深く深く謝罪いたしました。

 15日の夜には、また診察があり、「かなり小さくなって、治る傾向にあります。ただ、まだ腫れてますので……」と、おっしゃいました。確かに、ピンポン玉のように喉が腫れていたものが引いたわけですから、口の中の粘膜がたるんでいるような変な感じで、ろれつが回らず、辛い感じでした。本当に、急速に良くならせて頂いたことに、只只驚きと感謝以外ございません。大宇宙大神霊・仏様、お救い戴き本当に本当に有り難うございます。有り難うございます。

 また、この度の病気で、お医者様や看護師の方々から「呼吸は苦しくないですか?」と、何度もお尋ね頂きましたが、不思議とそのようなことは一度もございませんでした。これも、神仏様のご加護と心より感謝申し上げます。

 そして、この原稿を病院で書かせて頂いております時も、さらに、一段と良くなっていくように感じさせて頂き、本当に本当に有り難く思わせて頂いております。

 私は、今回の病気を通しまして、何よりも一番に気付かせて頂きましたことは、本当の伝道とは、いつも、丸山先生にご指導して頂いておりますように「自分をつくる(自己確立)」ことであると思わせて頂きました。「自分をつくらないで、伝道、伝道と、先走るのは、間違いなのだ」ということを肝に銘じさせて頂きました。このような、貴重な貴重な体験をさせて頂きまして、誠に誠に有り難うございました。丸山弘先生、本当に本当に有り難うございました。

 大宇宙大神霊・仏様、偉大な主・高橋信次先生、偉大なイエス様、この度は、愚かな愚かな私をお救いくださいまして誠に誠に有り難うございました。





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