「『第36回 偉大な主・高橋信次先生に捧げる感謝と誓いの会』に出席させて頂いて」


九州地区 S.H

 「第36回 偉大な主・高橋信次先生に捧げる感謝と誓いの会」に、母と姉と共に出席させて頂くことをお許し頂きまして、誠に誠に有り難うございました。

 偉大な主・高橋信次先生

 偉大なイエス様

  誠に誠に

   有り難うございます。

   有り難うございます。

   有り難うございます。

 「感謝と誓いの会」前日の6月24日、博多駅から乗車しました姉と、母と私が合流いたしましたのは徳山駅でした。私はJR在来線で湯田温泉駅から新山口駅を経由して、母が待ってくださっている徳山駅へ着いたのですが、私の到着を待っていてくださった母は、エスカレーターで新幹線ホームに上がってゆく私の頭上後方から、幼いときと同じに『Hちゃーん』と声をかけてくださいました。満面ニコニコの顔でとっても嬉しそうでした。母は母で、柳井駅から徳山駅まで出られたのですが、私が無事到着するかどうか、今か今かと心配してくださっていたのです。

 いつもより1日多い3泊4日を姉妹それぞれが夫にお願いして、この度は嬉しい母子3人旅が実現いたしました。「もう、遠出は無理」と言っておられた母でしたが、神仏様のお蔭様で、突然にこのような楽しい親子3人の時間を戴くことが出来ました。

 偉大な主・高橋信次先生に対しまして、心から感謝の誠をお捧げ申し上げます。

 しっかり者のお姉ちゃんと、甘えん坊のHちゃんと、とっても小さくなったお母さんと、3人とも申し合わせたように、ゴロゴロのコロ付きのバッグを引いて、老眼鏡にチェーンを付けて首にぶら下げていました。後で写真を見た夫に笑われて、その可笑しさに、なるほど! しかし、改めて、何と幸せな悦ばしい時間を戴いたことだろう! と、有り難くて、有り難くて、神仏様に対しまして、夫に対しまして、心から感謝申し上げました。

 見れば、母は、ゴロゴロバッグのほかに、一つ大きな手提げ袋を抱えておられます。「おにぎりを作っていくからねー」と言っておられたので、私たち姉妹は、母に甘えて、おにぎりを頂くことにしておりましたが、何とその大きな手提げ袋はお弁当で、おにぎりどころか、お煮染め、卵焼き、牛肉の甘辛煮、ジャガイモの煮っ転がし、焼き魚まであって、その品数にびっくりするやら感心するやら。小さな、小さな体で、細い、細い腕に、山ほどのおかずを抱えて持ってきてくださったのです。周りの乗客の方に気兼ねしながらも、楽しく、嬉しく、遠足でお弁当を広げたような大はしゃぎの新幹線でした。

 母にして頂いたことは、数えきれません。そのお弁当にも「やっぱりお母さんは凄いね!」と言い合ったのでしたが、今になって、高校の時も、会社勤めの時も、朝早くから作ってくださったあの味だった、と胸が熱くなりました。母には、未だにして頂くばかりで、亡くなられた父にも何一つご恩返しは出来ませんでした。せめて母には、出来るご恩返しをしなければ、と思います。

 感謝と誓いの会当日は、少し早めに到着いたしました。既に会場には晴れやかな、懐かしいお顔を拝見させて頂き、心嬉しくなり、改めて全国の法友の皆様と今年もご一緒出来たことを、心から神仏様に感謝申し上げました。

 金沢地区の皆様にはにこやかに、誠に心温まるお迎えをしてくださいました。

 偉大な主・高橋信次先生が、かつてご講演された地で、偉大な主が後をお託しになられた丸山弘先生の篤きご慈愛のもとで、それぞれの方が、数十年の日々の生活の中で、正しい「正法の心」を微に入り細に入り、愛いっぱいにご指導頂かれ、一つ一つ素直にコツコツと実践してこられた、金沢地区の法友の皆様には、長き、温かき年月を経て、今や、丸山先生の御子様のようになられたのだと思わせて頂きました。そして、集いました私たち一人一人も、同じ子供として兄弟姉妹にならせて頂いたのだ、としみじみと思い起こさせて頂いております。

 「正法は、己を生かし他を生かす、生かし合いの道」「自分を捨てるとは」「素直になるとは」等のご指導のお言葉が、心に湧き上がってきて『正法は安らぎの道です』と、お教え頂きましたことが、じんわりと心に落ちたような思いです。

 在りし日の、偉大な主・高橋信次先生のお姿は、心に焼き付いていて、6月25日に拝見させて頂く時には、懐かしさで胸がいっぱいになります。直接にはお目にかからせて頂いたことのない私たちが、このような込み上げる思いにならせて頂くのですから、丸山先生のお心の深い深い御思いはいかばかりかと、想像することさえ出来ません。

 お眼鏡を外され、じっと在りし日の偉大な主・高橋信次先生はじめ、講師の方々や、また30数年前、御奥様とご一緒に偉大な主をお迎えされた日の、懐かしいお写真や映像をご覧になられながら(心、行き届かない表現で誠にご無礼なことでございますが)感慨ひとしおであられる丸山先生のお姿に接し、いつまでもお縋りしているだけの自分が本当に申し訳なく、一日も早く、大事な大事な夫に、偉大な御教えをお伝えしなければならない、と心から思わせて頂きました。

 丸山先生がご挨拶のお言葉をお述べになられましたとき、偉大な主・高橋信次先生におかれましては、丸山先生の直ぐお側にお出ましになっておられたのですね。先生のお心の感激を、有り難く有り難く、私の魂にも刻ませて頂きました。誠に有り難うございました。

「心の目」で見ることも、「心の耳」で聞くことも出来ない私は、これまでに溜め込んできた心の曇りを、毎日一つずつでも取り払っていくよう心掛け、今日からはお教え頂きましたように春風のように軽やかに軽やかに、生きてまいりたいと思います。

 そのためには、丸山先生がご指導くださった「はじめての人に」を今一度心に読み込み、偉大なご著書を必死に拝読し、『ほくりく』誌『ひかり』誌に一つ一つをお習いし、自分の心に「法」という物差しを正しく確立したいと思います。

 今生を礎として、小さな我が家の「正法確立」に我が魂をお捧げしたいと思います。そして、あと幾百年幾千年に亘り、語り継ぎ、いつの日か、仏国土・ユートピア建設の、その日に到達することを祈り、精進努力して行かねばならない、と心にお誓いいたしております。

 全国の法友様のご発表は、とても分かりやすく、偉大な御教えに触れられ、己を正していく中に、心の悦びを戴かれるのだと、感動いたしました。

 今生、私たちの殆どは、目に見える苦しみにとらわれるばかりに、心の内に存在している悦び一杯の、この世に生まれ出た時の丸い温かい「心」を、意識の奥に置き去りにしてしまうことを、偉大な主にはお導きくださいました。

 ご指導に忠実に精進努力をした時、その先に光明を発見させて頂けるのは、その置き去りにしてきた丸い温かい「心」に、もう一度触れるために必死に精進努力した我が子・そのお方に対し、偉大な主・高橋信次先生には、偉大なイエス様には、慈悲と愛の力を、そして奇跡を、お与えになられるのだ、と感動させて頂きました。

 勇気を出して、己を信じ、常に「神仏様のご通信・御光」を戴ける「心」を作り、神の子である自分を日々発見し、悦びいっぱいの魂になれるよう精進してまいります。

 翌6月26日の、丸山弘先生ご臨席の合同学修会に於いては貴重なお時間の始めから終わりまでを、特に私たち九州地区会員に対しましてお与えくださり、それぞれの思いの質問をさせて頂くことをお許しくださいまして、誠に誠に有り難うございました。

 丸山先生が直接ご指導くださる合同学修会は、畏れ多くも天と直結の、尊い尊い光溢れる、悦びいっぱいの学修の場であるように思わせて頂きました。

 丸山先生には、明解に、大変具体的に、愛いっぱいに私たち一人一人にご指導をくださいました。不安の曇りに、燦々と光を照らしてくださいました。泣きべそをかいて帰ってきた幼い我が子をしっかり抱きしめて、涙を拭いて差し上げ、いっぱい話を聞いて差し上げ、『だいじょうぶ』と背中をさすって差し上げるお母さんの姿のように思わせて頂きました。

 「法」を頼りにとお教え頂いていても、「法」が分からず、立ちすくみ、お尋ねしては、正しかったこと、間違ってしまったことを、手を取り、足を取り、お教え頂いてまいりました。「法」を正しく心に落とすことは、永遠の学修と思います。

 私たちは、偉大な主・高橋信次先生の御教えを、丸山先生より何の苦労もなく、おかゆを頂くように、噛んで砕いて、すりつぶして、優しく、温かく、戴いてまいりました。一生懸命やってみたけれど、上手くいかない時、また悦びいっぱいで褒めて頂きたい時も、幼子のように、金沢へ丸山先生をお訪ねします。

 丸山先生、誠に誠に有り難うございます。生きるための「正しい道」があること、そして、この道は、今生も、きっと来世も「安らぎの道」であると、心にしっかりとお教え頂きました。

 自分の「心」を厳しく、こと細かに見つめ、「今」、「今」を「法」に照らして、正しく、正しく生きたいと思います。

 丸山先生には、私たちに、「『正法』に触れたなら、ご著書にお導きの通り、出来ることから行いなさい。それぞれの環境に合わせ、それぞれの状況に合わせ、工夫をしなさい。『正法』に生きるエネルギー・原動力こそが、神仏様の御心に繋がる私たち一人一人の揺るぎない愛の『心』そのものです。その『心』は神仏様の御心に沿った正しい反省の中から、悦びいっぱいになり、光に満たされます。それには『自力』しかありません。その『心』に素直に、勇気を以って思い、行っていくことが安心の道です」とそれぞれの方のお心に応じて、具体的にお教えくださったように思わせて頂きました。

 丸山先生ご臨席の学修会でしか、このようなこまやかな、正しい、質疑応答の学修も、また、意識の世界のお導きも、お与え戴けるものではありません。正に、神の子としての勇気の一歩を踏み出させて頂ける千載一遇の学修の場であることに、改めて気付かせて頂きました。

 誠に和やかな、温かな、感激感動の学修会でございました。

 丸山先生、本部の皆様、有り難うございました。

 今生、丸山先生にご縁を頂きました私たちは、一回でも多く、この有り難い貴重な先生ご臨席の学修会に出席させて頂き、今、自分の心にある「法」は正しいものかを見つめ、日々心を正して行くことが最も大事と思います。それぞれの環境で必死の実践をし、直接ご指導頂くことが何よりも大事であると思わせて頂きました。

 1巻のお休みもなく発刊して戴いています月刊誌『ほくりく』誌や『ひかり』誌には、丸山先生のご臨席の学修会の感激感動や、熱きご指導を直接そのまま戴くことが出来ます。特に、出席が叶わぬ者にとりましては、愛の塊の教科書です。

 丸山先生、誠に誠に有り難うございます。そして制作に関わってくださいます法友様に心から感謝申し上げます。

 今後の地区での勉強会において、私たちの出来ることは、ご著書の拝読に専心すること。そして思ったこと、生活の中で起きたことに対し、法に照らした自分なりの実践を、背景、経過なども併せて詳しくレポートにしてご報告し、丸山先生に真に「正しいこと」のご指導をお仰ぎすること。そして、ご指導頂いた(御目を通して頂いた)レポートを、会員それぞれが1カ月毎の勉強の場に持ち寄り、心を裸にして供養し合うことしかない、と改めて思わせて頂きました。

 丸山先生、何とぞ何とぞ、これからもご指導頂きますよう、宜しくお願い申し上げます。

 偉大な主・高橋信次先生

 偉大なイエス様

  誠に誠に多くの気付きをお与えくださいまして 有り難うございます。

       有り難うございます。

       有り難うございます。





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