「去る4月24日の金沢地区学修会に出席させて頂いて」


大阪地区 T.K

 主人と私の父と3人で学修会に出席させて頂きました。父に丸山弘先生に会って頂きたいという念願が叶いました。もしも発表のお席を頂いたなら、丸山弘先生と父の事をお話ししたいと思っていました。

 父は約28年前正法に触れ、私は何の苦労もなく、偉大な主・高橋信次先生のご講演テープを聴かせて頂く事が出来ました。当会に入会させて頂く事が出来ましたのは、宮城県のY.T様が父宛に『ひかり』誌を送ってくださったからです。父宛だったのに、私が『ひかり』誌を拝読させて頂きました。

 丸山弘先生は、私に初めてのご指導をくださった時、父の事は何もお話し申し上げておりませんでしたのに「あなたのお父さんはご苦労されて正法をお探しでしたね」とおっしゃってくださいました。私はその後、そのお言葉によって、父は沢山の宗教がある中、正法に出会う為には心を汚す事を覚悟の上で、今生を生きて行く計画をして生まれて来られたのではないかと思わせて頂きました。そして、正法に出会われ父は、ご講演テープとご著書を人様に貸して差し上げられたり、父の周囲には、偉大な主・高橋信次先生の御名前をご存知な方が何人もおられたりして、父は正法とのご縁が私よりも深いのだろうと思っていました。なのに『ひかり』誌を独占し、一人で学修会に行った事を、私は悔いていました。私は、父が一度でも丸山弘先生にお目にかかっておられたなら、父の余生にも、父の死後にも「丸山弘先生にお会い出来てよかったね」とずっとお話が出来て、父がまた生まれ変わられても、丸山弘先生にお会いする事が出来るのではなかろうかと、ずっと続く永い悦びを頂けると思っていました。

 私は父が大好きなので、以上の事を丸山先生に聞いて頂きたいと、私の思いばかりでご無礼ですが、思っていました。

 学修会が始まる前に、発表のお席を頂いて、「ついにこの日が来た」と嬉しくなり、泣いては心の中で「嬉しい」と言い続けていましたら、約18年前に亡くなりました祖母(父の母)が現れられた感じがしました。祖母は亡くなられた後、たまに私の夢に生きているかの様に現れておられました。祖母は亡くなった事に気付いておられないだろうと思い、約2年前にやっと夢の中で「おばあちゃんは、もう死んだんやで。元の世界に還らなあかん」と言うと、祖母は泣きじゃくっていました。夢が覚め、「元の世界じゃ分からんか、もっと詳しく話してあげたらよかった」と思いました。その後、ある日の大阪地区学修会において、学修会の最中に祖母の夢の事を思い出しましたら、祖母が私の左に現れた感じがしました。

 私の発表の時に、丸山先生に、夢の中で「おばあちゃんはもう死んだんやで」と話した事だけを申し上げますと、丸山先生には、祖母が私の左肩を触っていることをお話しされ、祖母に対しまして「光明の世界に還りなさい」とお手をかざされて、お祈りをしてくださいました。

 丸山先生には、私に祖母に対する「引導文を書いて読み上げなさい」等ということは申されませんでしたが、私は、その晩から祖母の名前を呼び、「私は貴方の孫のTです。今日、おばあちゃんに『光明の世界に還りなさい』と言ってくださったのは、丸山弘先生ですよ」と話しかけさせて頂きました。

 「丸山先生は、お釈迦様がお悟りを開かれた様に、お悟りを開かれた、偉大な主・高橋信次先生と申される、凄く偉大な先生のお弟子様です。偉大な主・高橋信次先生も、丸山弘先生もウソはおっしゃいません。だから、光明の世界は本当にありますよ」とお話し申し上げ、光明の世界はどの様な所かをご説明して、「丸山先生に『光明の世界に還りなさい』と言って頂いてよかったね」と祖母の人生は終わった事、光明の世界に還るためにはどうすればよいか等、正法を全く知らない祖母になるべく分かって頂けるように書き直しさせて頂きながら、約1カ月毎晩手紙のように読み上げさせて頂きました。併せて、祖母への感謝と反省をさせて頂きました。ただ祖母の事で気になることがありました。

 私が7歳の頃、伯母(父の姉)宅で、ねずみの赤ちゃんが見つかりました。私はねずみに牛乳をあげようとしました。伯母は駆除しなければならないと言いましたが、伯父(おばの夫)は、「好きにさせたらいい」と許してくれました。伯母夫婦の会話を知らない祖母は、私の目の前で、数匹のねずみを一匹ずつ、ひょい、ひょいと家の下の畑に投げました。私はねずみが忌み嫌われ、駆除しなければならないのは知っていましたが、私が信じていた程、祖母は優しくなかったのだと驚きました。その後の学修会にて丸山先生にお話ししましたら、「今度お墓に行ったら『おばあちゃん、そういう行為は本当に正しかったどうか反省してね』と言ったらいいです」とご指導くださり、その数カ月後、お墓に行った時「おばあちゃん、丸山先生からの伝言ですよ」と言って、お話をさせて頂きました。丸山先生に上手くお話し出来なかったのですが、私が2歳の頃、我が家に出没するねずみを、父が捕まえました。私は悦びました。翌日、私が居ない間に父がねずみを駆除していました。そうとは知らない私は、「畑の家に帰ったんだ。良かった」と思いました。

 この体験も考えますと、父と伯父の様に、子供の前で動物を殺生しないことは、子供への優しさであり、駆除をするのは仕方がないとはいえ、ひょい、ひょいと投げる時の心の中に動物の命への慈しみがあったかどうかという事を祖母に伝えたかったのだと思います。

 祖母の夢は見なくなりました。でも、その後時々、一人で居る時、夜に「心行」をあげている時、祖母に見られている感じがするようになりました。いつも丸山弘先生は「ニコニコ顔なら光明の世界に還っておられますよ」と申しておられるので、祖母の顔を思い出してみましたがよく分かりません。生前の祖母のニコニコ顔をあまり見たことが無く、孫の中では、私は結びつきの薄い孫であり、悲しませた事もありましたので、祖母に対して、私は心を開いていなかったのだと改めて思いました。そのため、光明の世界に還られたかどうか疑問に思っていました。また、私なりに祖母に手紙を書こうかと思いつつも、生活に追われて、していませんでした。

 1カ月前から私の心の中で、祖母は、一人で三人の子を育てながら、認知症の舅のお世話もしていたので、苦労を苦労だと言わない強い人だったのだと気付かせて頂くようになりました。

 2011年4月24日、金沢地区学修会にて丸山弘先生が、丸山先生のご両親様、小学校の先生方、校長先生が会場に、ニコニコ顔でお越しになられて、一緒にお歌を歌われた事をお話しくださいました。「今日は嬉しい日です。皆様方もご親戚一同を引き連れて、ここにお集まりかと思います」とおっしゃいましたので、私は「祖母がいる」と確信しました。

 発表の時には、父の事は少しだけお話しして、「祖母の事をお聞きしなければ」と思いました。

 丸山先生に「今日は祖母がついて来てくださっている気がします」と申し上げると、「光明の世界に還られましたよ」「光明の光に包まれていますよ」とお話ししてくださいました。祖母は、丸山先生にお礼を申し上げると共に、父と私に光明の世界に還られた事をお伝えされたかったのだと思いました。「光明の世界に還りなさい」とおっしゃって頂き、祖母にとって、丸山先生のお言葉は、地獄に仏様だったのだと思わせて頂きました。学修会より数日経ちましたが私は嬉しくて、「おばあちゃん、良かったね。おめでとう」と泣いてしまいます。この悦びは肉体で感じる悦びではなく、意識の世界の悦びなのだと思わせて頂いています。祖母は嬉しくて仕方がないという感じがして、光明の世界は、私の想像を超えた素晴らしい世界、悦びしかない世界なのかと思わせて頂いています。

 祖母の最期は、自分自身を恨み、自分を粗末にして、世をはかなんで迎えたと思います。父は「死に顔は悔しいと言った顔をしていたので、なかなか還れないぞと思っていた」と話しています。

 偉大な主・高橋信次先生の御名前も存じあげていなかった祖母をお救い頂き、今生では祖母に正法のお話をする事は出来ませんでしたけれども、光明の世界から、私が正法をお習いしている事を知って頂く事が出来、生前に比べると祖母との関係がずっと近くなった感じがしています。

 偉大な主・高橋信次先生、丸山弘先生、私の祖母である、I.Oを地獄の世界から光明の世界へとお救いくださいまして、誠に誠に有り難うございます。心より深く感謝をお捧げ申し上げます。祖母がとても悦んでいると思います。本当に有り難うございます。

 さらに丸山先生には、主人に対しまして「ポリープは消えていますよ」とお教えくださり有り難うございます。次回の検査を二人で楽しみにしています。

 あと一つ不思議に思う事がありました。学修会会場に向かう列車内でT.Y様が「源氏と平氏」の「平家」について、お話しをしてくださいました(高野山の山また山の山奥の村に、平家の平惟盛のお墓があるというお話)。会場内でも「平家」について、お話を聞きました。そして、帰りの金沢駅に向かうタクシーの運転手さんも「平家」について、お話しをしてくださいました。私の両親は共に徳島県の山奥の平家の落人が開いた村の出身です。今回の学修会は、肉体的ご先祖様の縁生が関係している学修会だったのかなと思わせて頂きました。

 大宇宙大神霊・仏様、学修会に出席させて頂きまして、誠に有り難うございました。心より深く感謝をお捧げ申し上げます。





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