「45年間の難病からお救い戴いて」


大阪地区 T.Y

 私は今から45年前、高校に入学して間もない頃、クラブ活動(硬式テニス)をしていて、右足に大怪我をしてしまいました。病名は「半月板損傷」、そしてつい最近になり分かったことですが、膝の関節を繋いでいる前十字靱帯も切れていたことが分かってきました。当時は手術のすべがなく、長い間、右足の怪我は放置されたままでした。そのため、不意な方向転換やバスケットボールの時などのように強い着地をすると、膝が捻挫してしまい、45年間にわたる長い年月、何度も捻挫を繰り返していました。

 今から30年前、ようやく「半月板部分切除」の手術を受けましたが、到底回復には至りませんでした。若かったこともあり、さして気に留めることもなく、それから更に30年が経過してしまいました。

 最近になり、ここ2、3年の間、特に膝が不安定になり、ちょっとの躓きで捻挫を繰り返し、困ったなあと思っていたのでした。

 2010年7月1日夕方、立っていると突然ボキボキと音がして、何が起こったのか分からないでいると、右膝がドンドン腫れて来ましたので、捻挫したことが初めて分かりました。今までの習慣で、病院に行っても治らないと思い込み、普段通りの生活を続けていたため、右足がドンドン腫れてきて、もう痛くて歩くこともままならない状態となりましたので、主人の勧めで、ようやく近くの大きな病院で診察を受けました。

 今から10数年前40代後半、やはりひどい捻挫をしていて、病院でレントゲンを撮って頂きましたが、その時写真を見られたお医者様は驚いて「あなたの足は軟骨がすり減って、70歳か80歳のおばあさんの足です。長歩きは決してしないように。階段も手すりを掴まり掴まり上がってください」と言われたものですから、それ以来、病院に行くのが恐くなり、その後、膝のことで一度も診察を受けたことはありませんでした。

 今から19年前(1991年)、富山の学修会に参加させて頂き、帰りの列車の中で丸山先生とご同席させて戴きました時、ふと「あなたはどこの高校を出られましたか」とお尋ねくださいました。私は突然のご質問に内心驚きながら、「担任の先生が『無理だからやめなさい』と止められたにも関わらず、負けん気を起こして念願の高校に合格させて頂きましたが、入学してからはすっかり勉強に嫌気がさし、落ちこぼれてしまいました。そして入学間もない頃、右膝に大怪我をしてしまいました。ですから、あんな高校に入らなければよかったと今でも思っています」とお話し申し上げました。

 丸山先生にはすかさず「それは自分の心に抵抗したからですよ。現に、あなた自身、今、そのことを言ったじゃないですか」とおっしゃられました。私は「自分の心に抵抗した」という初めて聞かせて戴きましたお言葉の意味をもっと知りたくて、帰宅して直ぐに丸山先生にお電話させて頂きました。

 丸山先生には「あなたは感謝がなかったからです。成功したんだからいいじゃないですか。よくやったと自分を褒め称えることですよ」「やれば何でも出来ないことはないということを、神がお示してくださったのですよ。これまで辛い思いをさせてごめんねと、よく自分自身に謝ることですよ」「神の子の自覚をもって生きる時、今生において不可能なことはないと私は思います」と今までお聞きしたこともない、温かい、愛に満ち溢れたお言葉に触れ、長い間、私の心の中で永久凍土のように固く凍結し、冷え切っていた氷山の一角が雪解けのように暖かく溶けて行くような思いでした。

 自分の心に素直でなかった私は、偉大な主・高橋信次先生のお説きくださいました正法に触れ、丸山先生のご指導により、初めて「反省」ということをお導き戴きました。

 生まれてから今日まで、知らず知らずに汚してしまった心の垢を取り除くことにより、人間本来誰もが持っている「神仏様に通じる善なる心」「他人にはウソがつけても、自分には絶対にウソがつけない善なる心」を取り戻す道をお教え戴きました。

 反省の中で最も大切な両親様との関係を長年にわたり、丸山先生には手取り足取り、辛抱強くお導きくださいました。長年にわたり封印していた私の父や母への思いは、いきなり蓋を開けても、長い間何も出て来ませんでした。

 今から2年前、ようやく父の家族に対する愛情が心に落ちた時、丸山先生には「あなたのお父さんの気持ち、分かるわー、本当に。でも分かって本当によかった」とまるで自分のことのようにお悦びくださいました。

 さて、問題は主人との関係でした。今生、父との間で成し得なかったことは、主人との間で実践していこうと心に決めたのですが、現実となりますと、いくつも私の心に抵抗が生じて来ました。

 ある時、丸山先生に「主人は何でもかんでも私に用事を言うのです」と申し上げますと、先生にはすかさず「それはご主人に言われてからするのですか、それとも自分からしてあげるのですか」とおっしゃられ、ハッといたしました。そして続けて「うちの家内はね、あれしてあげようか、これしてあげようかと絶えず言うのです。男というのはね、そんなふうに言われると嬉しいものですよ」とおっしゃられました。

 私の答えは明確でした。主人が用事を言うのを待っている姿勢です。

 丸山先生には、夫婦で絶えず重なり合った仕事をしていくこと、これは自分の仕事、これは主人の仕事と分けてしまわずに、お互いの仕事を取り合うように、常に重なり合った仕事をしていくことが大事なことをお導きくださいました。

 次に、感動感激を自分一人の胸にしまわずに、絶えず夫婦で語り合うということです。素晴らしいなあ、嬉しいなあと思った時、自分一人が悦んでいれば自分一人の悦びに終わるけれど、それを直ぐに人にも話せば、悦び、感激は何倍にも大きくなることをお導きくださいました。

 小さい頃から特に母親との間で豊かな対話のなかった人は、どうしても自分一人の世界を作ってしまい、その世界の中で、いろいろなことを想像したり、思ったりして、自分の心を慰めるようになります。そんな「自分の世界」という寝袋を一時も早く叩き壊してしまわない限り、人の話を正しく聞くことも出来ないし、正しく語ることも出来ない。つまり本当に思いやりある人間にはなれないことをお導き戴きました。

 しかし、その後の実践となりますと、感動感激を自分が語るのと主人の話を聞かせて頂く立場では、また大きな違いのあることに気付かせて頂きました。

 主人は退職以来、今迄の勉強の遅れを取り戻すかのように、この一年毎朝毎晩一日中、正法の学修に没頭する日々を送っておりました。主人は、毎日のように気付かせて頂いたことを昼でも夜でも深夜でも時間を問わず、わぁーっと熱く熱く私に話すのです。

 丸山先生の奥様は先生が『こんなことが分かった!』と熱くお話しなさると、『ああそうなの!』と直ぐにツーカーと受けられ、一日中でも熱く熱く語り合っておられることをお聞きしておりましたが、私は、時には、主人の迫力に押されて、(しんどいなー)と思うことがありました。

 そこには自分の思いがどっかりとあり、自分の用事が遮られると、ちょっと待ってとか、今、この仕事をしているからとつい、自分の都合が出てしまうのです。また直ぐに自分の思いを横に置いて、主人の話に集中することが難しいことも分かって来ました。主人が熱く語っている時に、ふと気が付くと、いつの間にか自分の思いの世界に入っていることにも気付かせて頂きました。

 「正しく聞く」ことが如何に愛情深くならせて頂く修行なのか、改めて分からせて頂き、日々挑戦と失敗の繰り返しでした。

 さて、近くの病院での診断結果は、「膝の関節は相当悪い状態です。しかも膝の関節を支える十字靱帯が切れてしまっています。しかし、靭帯の再建手術をするには、あなたは年齢が行き過ぎているから無理です。かと言って『人工関節』を入れるには、『人工関節』にも10年から15年という寿命があり、あなたの年齢で『人工関節』を入れると、もう一度入れ直しの手術を受けなければならなくなる、さて、どうしたものだろうか。もう一度考えてみますか」とのお医者様の言葉で、私は「はい」と二つ返事で主人と一緒に病院を出ました。

 しかし奇しくも、娘の勤務先の病院の先生から、大阪のある病院に膝の大変な名医がおられることを聞かせて戴いていましたので、直ぐにその先生の診察を受けることに決めました。

 しかし、診察日は来週火曜日までありません。この一週間が、神仏様より戴きました大切な「反省」の猶予期間であることが理解出来ました。

 しかし、いざ反省となりますと、一体何をどう反省したら良いのか皆目見当がつきませんでした。

 長年、正法を学ばせて戴きながら、その結果がこれだったのかと愕然とした思いが心を占めました。

 その日の晩、「心行・祈願文」「先祖供養」「健康祈願文」を上げ終わった時、ふと「自分の書いたレポートの中で、特に、偉大な主のお導き、丸山先生のご指導は何度も拝読しなければいけない。そこからまた改めて深く教えて頂くことがある」との主人の言葉を思い出しました。その時、一瞬、2010年7月号『ひかり』誌68頁下段の私のレポートの一節が閃きました。

 その時、遥か彼方の何処からか「誰が言っていると思っているのか!」と大喝されるお声が聞こえたのです。私は「あっ、これは天上界の方が叱っておられるのだ」と思いました。私は、丸山先生のご指導はそのまま素直に実践することが大事と人様に申し上げておきながら、自分は先生のお言葉通り実践しておりませんでした。

 その為に、主人と自分という長年の習慣の中で、主人が言っていると簡単に受け止めていたことに気付かせて頂きました。もう明け方でしたが、主人の所へ行き、「お父さん、私は考え違いをしていました。今迄の習慣の中で、ついお父さんが言っている、お父さんの言葉だと軽く受け止めていたけれど、お父さんの言葉を、そこに天をおいて考えることを忘れていました。今、天上界の方から厳しく叱られたように思いました」と言うや否や、涙がわーっと溢れて止まらなくなり、泣き泣き主人にお詫びさせて頂きました。主人は「分かってくれたらいいんや。あんたにだけは分かって欲しかった。どんな人でも、最後に夫を支え頼りになるのは奥さんしかいない」と静かに言いました。私は主人が熱く熱く語って来ることに対して「そうやね、お父さんほんとやね! 凄い事に気付いたんやね!」と、いつまでも主人と一緒に熱く熱く語り合い、共に悦び、共に感激し合う、それが法を学ぶ夫婦の本当の調和なのだと、心から思わせて頂きました。

 私は心から申し訳なく、泣き泣き主人にお詫びさせて頂きました。主人は「足はもう、きっと大丈夫やと思うよ」と優しく言ってくださいました。

 そして一週間後、病院で診察を受ける日を迎えました。その日のうちに、トントンとレントゲン、MRIの撮影が済み、さらに診断をして戴くことが出来ました。

 そのレントゲンに写った私の両膝の写真を見た時、私も主人も、思わずえっと意外さに息を飲み、茫然と写真に見入っていました。お医者様もしばらく黙ってレントゲン写真に見入っておられましたが、「貴女は足を大切に使って来られましたね。貴女の足は思ったよりひどくありません。貴女は足を大事に使って来られましたね」と労わるようにおっしゃって頂き、ああ、お医者様もやはり意外に思うほど、私の膝の関節は綺麗なのだと驚きました。

 「でも、他の病院では、60歳を過ぎた私の年齢では、十字靱帯の再建手術は出来ないと言われたのですが」と申し上げますと、お医者様には少し驚いてカルテを見られてから、「年齢には関係ありません。今の貴女の足は若者の膝のようです。ですから、十字靱帯の再建手術をしようと思ったのですよ。貴女の膝は100点満点で言えば、70点の膝です。その70点の膝を95点の膝にしようという話を今、しているのです。これが30点の膝なら十字靱帯の再建手術をしようとは言いません。足が治れば、普通通り何でも出来ます。恐がらずに、もう足が悪かったということは忘れてください」とおっしゃって頂き、私はお医者様の愛に満ち溢れた希望と勇気のお言葉に、嬉しくて涙が溢れるほど感激させて頂きました。

 私は病院へ行く前夜、神仏様に「もう一度、偉大な主の御教えを広めるために、主人と共に、何処にでも飛んで行ける丈夫な足をください」とお祈りさせて頂きました。本当に本当にその通りに願いを叶えて戴きました。

 また、悪かった右足は今まで懸命に私の体を支えてくださり、私の修行に協力してくれていたことを知り、さらに通常は長年悪い方の足を庇っていると、良い方の足まで悪くなるものですが、私の左足は相当しっかりとした足ですとお医者様がおっしゃられ、左足も懸命に悪い右足を庇い、私の全身を支えてくださっていたのかと思いますと、胸が込み上げ、私は両膝を代わる代わる懸命に撫でて、心から「痛い思いをさせてごめんね。今まで本当に有り難う、有り難うございました」と心から感謝させて頂きました。

 手術の日は、8月5日(木)と決まりました。

 手術の当日、お医者様が病室に来られ、主人にご説明くださいました。「十字靱帯の再建手術は、普通は20代から30代の人の手術です。お年を召した方は関節が相当傷んでおられますから、十字靱帯だけを付け替えても、術後も経過が思わしくないのです。ですが、Yさんの場合は関節の状態が非常に良いので、今から若者の手術をします」と宣言され、さーっと病室を出て行かれました。

 病室に残った主人は、私が手術を受けている間、一心に「光の器を」「心行・祈願文」「健康祈願文・心行3回」再び「心行・祈願文」「健康祈願文・心行3回」を上げてくださいました。そして、ちょうど1時間30分、上げ終わったその時、病室の戸がガラガラと開いて、ベットに乗せられた私が病室に帰って来たとのことでした。

 そして手術を終えられたお医者様が再び病室に入って来られ、「手術はトントン拍子に進みました。予定時間より少し早く終わりました。この点も非常にいいですね。もう足は大丈夫です。治りました」と宣言され、またさーっと病室を出て行かれました。

 私は麻酔で朦朧とした意識の中で、お医者様のお言葉を聞かせて戴き、何と有り難いことだろうと思わせて戴きました。

 そしてお蔭様で、8月21日無事予定通り、退院させて戴くことが出来ました。

 今後は、神仏様より戴きました新しい足を丈夫な足に復帰すべく、足の筋肉をつけるリハビリトレーニングにも励む毎日を送らせて頂いております。

 8月22日の金沢地区学修会におきまして、丸山先生には「この会は天と直結です。これから通信を受けられるようなお心をつくってください。正法から外れなかったら、天には、お導きをくださいます」とおっしゃられたことを聞かせて頂きました。この日の学修会に私は参加させて頂けませんでしたが、私如き者でも、コツコツと精進させて頂けば、常に天からお導きを戴けるのだと確信させて頂けるような有り難い有り難い体験を戴きましたので、ここにご報告させて頂きます。

 大宇宙大神霊・仏様

 丸山 弘先生

 常にお導き、お見守りくださり、心より心より有り難く感謝をお捧げ申し上げます。本当に有り難うございました。

   (大阪府堺市・主婦)





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