「母への反省」


大阪地区 N.Y

 日々ご両親様へのご供養をさせて頂く中、去る7月24日の深夜、私は号泣いたしました。嬉しくて、たまらないほど嬉しくて号泣しました。その時、私の心の底から「よし、やるぞ!自分の弱い心に打ち克つぞ!」といった勇気を頂いたように思います。ご供養させて頂く私が、今は亡きご両親様より、生前同様に「慈悲と愛」を頂いたように思います。あの世に還ってからも、私に勇気と希望をお与えくださいましたご両親様に、心から感謝申し上げます。なんとなんと、親とは有り難いものでしょうか、神仏様のように思えてなりません、感謝せずにはおられませんでした。その、悦びの体験をお話しさせて頂きます。

 それは、この度、「ご両親様へのご供養」で、私自身が、かつて、丸山先生よりご指導頂き、掲載して頂きました月刊『ひかり』誌の発表原稿をご供養の中で使わせて頂きました。その原稿は、次の3部でございます。

1.平成10年2月号 「母へのお詫び」(先生より母への謝罪の仕方をお導き頂く)

2.平成11年1月号 「母に神仏の光を頂いて」(先生より病気の母へ神仏様の「御ひかり」の入れ方をお導き頂く)

3.平成12年6月号 「母をお救い頂いて」(先生より御年84歳の母へ「あの世がある」ことを教えて差し上げることの大切さを教えて頂く)

 これらのご指導は、どれもこれもすべて大切な御教えであり、丸山先生には当時、手取り足取り分かりやすくご指導してくださいました。かつての原稿を何度も読み返すなかで、その重要さを改めて気付かせて頂きました。そこで、ご指導内容を整理させて頂きますと、

 1.「母へのお詫び」の原稿では、丸山先生より、最初のご指導として「今まで親元から足が遠のいていたのですから、これからは精々ご両親様の家を訪ねてあげてください。そして『長い間、ごめんね』とお母さんの手を取って≠ワずお詫びすることです」とお導き頂きました。

 その結果、母の手を握りしめ、今までの親不孝を心からお詫びをさせて頂くことが出来、先生のご指導通り、その後は休日毎に、兵庫県竜野市の実家に両親を訪ねて、今までの親不孝の数々を一つ一つ具体的に謝り、不十分ながらも私なりに親孝行をさせて頂きました。そして、やっと正法を学ぶ入り口に、立たせて頂いたように思います。

 2.「母に神仏の光を頂いて」の原稿では、丸山先生のご指導のもとに、持病の腹痛で苦しむ母に対して神仏様の「御ひかり」を入れさせて頂き、何十年にわたる持病が癒されました。

 丸山先生より、「貴方より、お母さんに光を入れてあげてください。その前にまず、貴方ご自身が大宇宙大神霊・仏様に対して、今日までの親不孝の数々をお詫びしたうえ、心に光を戴き、それからお母さんの痛む患部に手を当てて光を入れてあげてください。心から湧き出てくる愛の気持ちのままに、祈らせて頂いたらいいのです」と神仏様の「御ひかり」の入れ方をお導き頂きました。

3.「母をお救い頂いて」の原稿では、丸山先生から、「人間は、死ねばお墓の中に入るのではなく、光明の世界に還ることを、しっかりご両親様にお話しください」とご指導を頂きました。

 ご指導通りに、母は病気を縁として、生きているうちにあの世があることを体験させて頂きました。そして、ご両親様が光明燦然たる天上の世界に、まっすぐ還る為のお手伝いをさせて頂くのが、子供にとってこの世で一番の親孝行であると、丸山先生よりお導き頂きました。

 このように、「ご両親様に対する反省と親孝行」の大切さをご指導頂き、「親孝行に励めば家庭も調和し、仕事も全力投球出来るようになり、すべての環境が調和してきます。ご両親様と調和することが愛豊かな魂へと成長するための根本です」と、親孝行の大切さをご指導して頂きました。また、「親孝行とは、親に心配をかけないこと、生れてからこれまでお世話になった御恩を、物心両面においてお返しさせて頂くこと」そして、「世の中で、正法を学んでおられない方でも、親孝行な人は社会で立派に仕事をしておられます。一方、親に感謝の小さい人は何をしても成功することはありません。親孝行をすることによって、人は一人前の人間として自立していくことが出来るのです。そして愛の根本は、ご両親様、並びにご家族との調和が大切です」とお導きくださいました。

 そのようなご指導のもとに実践していくと、不思議な事に、次の様な有り難い現象が起こりました。

 それは、平成12年2月発行の勤務先の機関紙に私の営業に関する記事が掲載されました。その記事が全国的に評判となり、九州の福岡で1年に1回開催されます「自主研」の講師を依頼されました。1000人以上のご参加で1時間30分の「営業講話」をさせて頂きました。

 次に四国郵政局の要請で、四国のトップクラスのセールスパーソンが中心で、300人程ご参加の研修会にも招かれ、ここでも1時間30分の「営業講話」をさせて頂きました。その時の話の導入では、「私は、親不孝の限りをしてきた人間です。今、その反省をさせて頂くなかで、お客様への営業活動で一番大切なのは、すべてに感謝する、『心のセールス』だと学びました」とお話しさせて頂きました。その時、四国郵政局の保険部トップの保険事業部長が参列しておられ、私の話を聞いておられました。その方には不思議な事に、その年の人事異動で、近畿郵政局の保険事業部長にご栄転され、私の直属の上司になられました。そして、その時点から、私は、一番好きな営業活動の世界から、「組織における調和」を学ぶための「マネジャーへの道」が始まったように思います。

 正法により「ご両親様の反省と親孝行」を真剣に実践させて頂くことによって、仕事も健康も何もかも良くなっていくのだと今、改めて本当に改めて気付かせて頂きました。丸山先生、有り難うございました。これまでの我が人生を振り返ってみた時、丸山先生のおっしゃる通りでございました。「親孝行」の大切さを改めて、改めて気付かせて頂いたように思います。本当に有り難うございました。

 このような反省をさせて頂くなかで、毎夜のご供養をさせて頂きました。そして、「ご両親様へのご供養」の中で、上記の『ひかり』誌の3部を読みあげさせて頂きますと、本当に勇気を頂くようになりました。本当に元気がみなぎって参りました。そしてその翌朝、毎日のご著書の拝読で開いたページに、不思議な事に次の様なお導きがございましたので転載させて頂きます。

【心の発見(科学篇)P232〜233】

 「子供達は、環境や親のしつけによっていろいろと精神面も発達して行くのであるが、未だ煩悩の動きは小さい。やがて自己意識が発達し、親から離れるようになると、神仏のことや感謝の念すら忘れ去って行く青少年が多くなり、学校では学問の詰めこみ主義、智のみ発達して心の教えを受けることは無に等しい環境におかれ、神の子としての本性を忘却してしまう。

 年頃になると、恋愛、結婚、そして家庭、子供、隣人など、不調和な要因はますます多くなり自ら苦しみの原因を人生の上で作るようになる。そして、エゴイスティックな生き方を多くするようになり、結果に対して責任の稀薄な人間と化して行く。

 そうした人生の中で、精神的な悩みや生活の苦しみを逃げるため、ある者は形式的宗教に自己逃避し、ある者は過激な思想に走る。狂信、盲信の果てはいずれも己の意識を自縄自縛し、組織の細胞と化したり、自己の脳細胞までも狂わしてしまう結果を招くようになる。

 自分が生まれてくるとき、あの世で約束したことなど上の空となり、神仏などはナンセンスと物質経済のみを追い求めるようになって行くのが人間である。煩悩の愚かさといえよう」とのお導きを頂きました。

 このお導きを拝読させて頂いた時、私はハッといたしました。それは、このお導きを「私自身のこと」のように思わせて頂きました。つまり、親に感謝することなく、学生時代に親不孝を積み重ね、家を飛び出した私は、神の子の本性を忘れ去りその時∴リれ多くも、「神仏様を捨ててしまった」のだと反省させて頂きました。

 それからは、何をしても失敗ばかりで、病気、仕事上の人間関係のトラブル、何もかも上手くいかない、暗い、本当に真っ暗な人生を過ごしました。

 昭和63年6月4日、丸山先生との運命的なお出会い≠頂き、神仏様の「御ひかり」を心臓に入れて頂き、私の命を救って頂きました。ここから、私の人生は開かれて行きました。

 そして今、偉大な主・高橋信次先生の偉大なご著書の「この一文」のお導きによって、今初めて、私は「神の子」の自分に目覚めさせて頂きました。偉大な主より、その気付きを戴き、私は神性仏性に目覚めさせて頂き、心から心から涙、涙に号泣いたしました。そして、元気が出て、勇気が湧いて来たのだと気付かせて頂きました。もう怖くはありません。神の継承者としての神の子は、「慈悲と愛」そのものだとお導き頂いております。その実践を、郵政グループ・初心者勉強会の皆様を始め、大阪地区会員の皆様方と調和を図り、更に、全国の法友の皆様と、互いに補い合い、助け合い、手をとりあって、前に進めて参りたいと思います。

 その実践の第一歩は、偉大な主のご著書の拝読を大切にして「ご両親様の反省」と「夫婦の調和、家族の調和」だと、今、気付かせて頂きました。

 大宇宙大神霊・仏様、有り難うございます。

 丸山弘先生、本当に有り難うございます。私は、この命尽きるまで、正法の伝道に、我が身命をお捧げ申し上げます。

   (大阪府堺市・元公務員)





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