小冊子「偉大な主・高橋信次先生のお計らいによる難病等が癒された現証」を拝読して


名古屋地区 T.S

 いつも温かいご指導を頂きまして、誠に有り難うございます。

 小冊子「難病等が癒された現証」を拝見して、偉大な主のおことば「光の器を」の中の「我を信じよ。我を信ずるとは法にそって生きることだ」というお導きが思い浮かびました。私達人間は神の子として自らの魂を磨き、この地上界に調和のとれた仏国土・ユートピアを建設するための使命を神仏様と固くお約束させて頂きこの肉体を頂き、この世に生を受けたにもかかわらずこの世の事・物にとらわれ、自らの心だけではなく、身体まで毒してしまっていることの愚かさを改めて感じました。

 過去世の方々はお悟りになられた師を求め何百キロも歩かれ、命懸けで正法を学ばれたと、ご著書の中でお導き頂いております。私達は現代に生まれ、ご著書やビデオテープ等により、偉大な主・高橋信次先生の偉大な御教えをいつでも拝見・拝聴させて頂けるという、過去では想像も出来ない有り難い環境を頂いておりながら、いつしか「正法に出会わせて頂いた悦び、正法を学ばせて頂くことの悦び、精進によってお救い頂いた悦び」が薄れてしまい、自分は「自力」のつもりであっても、いつの間にか心は「他力」へと変化し、偉大な主・高橋信次先生をお信じ申し上げているつもり、正法を信じているつもりになっていないか、深く反省する機会を頂いたように思います。

 あくまで正法は「自力」、「偉大な主・高橋信次先生の御教えに沿った正しい精進努力」であって、「自力」を出して命懸けで精進努力した結果、神仏様からその精進努力に比例した分だけお救い頂けること、その精進努力も正法に沿った正しい努力、感謝の心が必要であることを学ばせて頂きました。

 神仏様は愚かな私達の思い、行いに対して「病気」という反省の機会をお与えくださいました。これは「罰」ではなく、神仏様の「慈悲と愛」であることを学ばせて頂きました。私達は正法に出会わせて頂き、「反省」の大切さ、有り難さ、そして反省の方法を学ばせて頂いております。自らの思い、行いによって神仏様の『御ひかり』を遮り、自らが「病気」になっていることを考えれば、まずは必死で「自力」を出して神仏様の御心に反した思い、行いをしたことを「反省」をさせて頂き、いつ、いかなる状況であっても、神仏様の御心に沿った思い、行いが出来る心づくりが大切であると思わせて頂きました。

 世界的な不況が長引く中で、経済にとらわれ自らが生き残るために心を汚し、正法から大きく離れてしまうだけではなく、いつしか「自力」を出すことを忘れ、世の中や他人を恨んだり、妬んだりして自らを省みる機会が少なくなり、正法を学ばせて頂いている者であることすら忘れてしまうことがあってはならないと思います。

 今一度自らの心を止観し、神仏様を心からお信じ申し上げているか、この世的なことではなく、正法を心の物差しとして生きているか、他力ではなく、正法に適った「自力」を出す努力をしているかを反省させて頂きます。

 このレポートを書かせて頂き、自分の心を反省させて頂く機会を頂けましたことに心から感謝申し上げます。

   (静岡県浜松市・会社役員)





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