「お救い頂いた悦び」


鹿児島地区 N.S

 私は、当会にご縁を持たせて頂いて初めて、誠に有り難くも、偉大な主・高橋信次先生の偉大な「真の正法」に触れさせて頂くことが出来ました。何の苦労もなく偉大な正法神理を今生学ばせて頂いております。何と有り難く、何と畏れ多いことかと感謝の思いで一杯になり涙が込み上げてまいります。当会にご縁を頂きまして、特に次の3つについて、お救い頂きました。

 @母との調和について

 最初の学修会において、丸山先生には、「貴方様はずーっとお母さんに育てられましたか? お母さんは何かお仕事をしておられませんでしたか?」とご質問されました。母は専業主婦で、ずっと家にいましたので、「先生は何故私にこんな質問をなさるのだろう。母とは今何も問題はないのに」と、当時の私には先生のおっしゃる意味が全く分かりませんでした。それでも先生には畳みかけるように、「では、お婆さんか誰かに育てられたとか、お母さんが何か他の事に意識が向いていませんでしたか?」とお尋ねになりました。

 それでも気付けない私に、隣に座っていた法友のE様が「日記に、『お母さんは、お姉ちゃんや弟ばかり可愛がるから嫌い。私のことは可愛がってくれない』と何度も書いてあったと言っていたじゃないの」と、小声で横から言われたのでした。それを聞かれた先生は、「そうでしょう。貴方様は、年の近い3人姉弟の真ん中の子供として育ったせいで、『愛情不足』になっています。お母様との関係をじっくりと反省されることが大事です。一つ一つ自分の心を見つめ、お母さんに何をして頂いたか、何をご恩返ししたか、嬉しかったこと、悲しかったこと、恨んだこと、すべてノートに書いて、正法という正しい物差しによって片寄らない正しい反省をしていくことが大事です。

 貴方が悪かったと思うことは反省し、謝り、どう考えても相手が悪いと思うことは、もう許してあげることです。そして、大宇宙大神霊・仏様に対して、心から深くお詫びすることです」とご指導くださいました。

 当時の私は、何故自分が母のことを反省しなければならないのか、全く分かりませんでした。しかし、確かにそう言われてみれば小さい時から、「何で私はこんなに母と壁があるのだろう、何で他の友達の家のように、母と仲良く心から打ち解けて話せないのだろう」と思うことがあり、母に対して距離を置いている自分が確かにありました。感じてはいましたが、この部分に蓋をして見ないようにしていた自分に気付かせて頂きました。

 日記を紐解いてみると、「母は、姉と弟ばかり可愛がり、自分はのけ者にされている」と書いてあり、辛くて、苦しくて、悲しかったらしく、涙で濡れている箇所が随所に見られました。「お母さん、もっと私の方を向いて!」と叫んでいた自分、母の愛が欲しくて欲しくて堪らなかった自分に気付きました。「此処に私と母とのわだかまりの原因があったのだ。丸山先生の申された『愛情不足』とは、こういうことを言うのだ」とその時初めて分からせて頂きました。

 毎月の学修会の度ごとに、丸山先生には「正しい反省は、法に沿った正しい物差しがないと出来ません。偉大な主・高橋信次先生のご著書を『はじめての人に』の小冊子の通りに、正しく拝読してください。そして、偉大な主・高橋信次先生のご講演を正しく拝見・拝聴してください」と何度も何度もお教えくださいました。私は、ご著書『心の発見』神理・科学・現証篇と『人間釈迦』1〜4部、『ひかり』誌に掲載されている『反省のかなめ』、そして『ひかり』誌を創刊号から取り寄せて必死に拝読させて頂き、偉大な主のご講演テープを毎日欠かさず拝聴させて頂くということを、来る日も来る日も続けていました。

 すると次第に、心から感動と感激が胸に込み上げ、太陽や草花を見ても、ほんのちょっとした人の優しさに触れても、何故か涙が溢れ出て来るようになりました。もう何とも言えない安らいだ気持ちになるのです。「凄い! 何でこんな気持ちになるのだろう。何て不思議なご著書なのだろう」と思いました。ご著書には、『大宇宙体を支配している意識こそ私たちの親であり、神仏である』『神の心は、万象万物そのもの。すなわち慈悲と愛の姿なのだ』ということをお説きくださっていました。そして、「私たちはみんな神の子であり、自分の心は神仏と繋がっており、私たちはこの地上で自分の魂を磨き、この地上を神意にそった仏国土・ユートピアを造るために、あの世とこの世を転生輪廻し続けている生命であり、人生はこの世限りではない」「私たちの一切の苦悩は、他人ではなく自らの心と行いが作り出している」等という、偉大な偉大な深遠なる正法神理を学ばせて頂いたのです。

 偉大な主・高橋信次先生のご講演『新復活』を拝聴させて頂き、「偉大な主・高橋信次先生には、私如きがお会い出来ることは絶対ないような、凄い御方『エル・ランティ様』なのだ。そんな偉大な御方のお説きになられたものを、私は学ばせて頂いているのだ。永遠に変わることのない不変不滅の神理を学ばせて頂いているのだ」と、天と地がひっくり返るほど感動、感激し、眠れないほど興奮し、嬉しくて有り難くて胸が一杯になりました。

 それから次第に、自分は今まで何と間違った思い、行いをしてきたのか。如何に自分の心がでこぼこで、お導きくださっている丸い心とは全くかけ離れた歪んだ心であることに少しずつ気付かせて頂くようになり、自分自身の愚かな様々な欠点に気付かせて頂き本当に情けなくなりました。

 私は小さいとき、自分の独りよがりの物の見方で我が儘一杯に、自分中心に物事を歪めて解釈していたのではないだろうか。母に対しても姉弟に対しても、自分中心の誤解した思い方を、もしかするとしていたのかも知れない。そうだとしたら、勝手にひがんで苦しんでいたのではないだろうか。母は、私をこんなに五体満足に産んでくださり、丈夫な体と元気で明るい子に育ててくださったのに、私は感謝の思いが一つも無かった、感謝どころか恨んでいたなんて申し訳ないという思いが溢れ出し、涙が止まりませんでした。

 母に、今までの親不孝を心から謝りお詫びしました。母は私の突然の態度に少し驚いた様子でしたが涙を流して悦んでくれました。すると心がとても軽くなり、胸につかえていた何か大きな重い塊が、段々小さくなり砕けて行くようでした。私は毎日毎日が嬉しくて嬉しくて、自然と嬉し涙がでるようになりました。何とも言えない安らぎを感じるようになりました。以前の物やお金に満たされた時の喜びとは全く違うのです。

 「凄い! これが、偉大な主・高橋信次先生の『法』を学ぶということなのだ」と、その時初めて思わせて頂きました。

 偉大な主・高橋信次先生には、ご講演の中で、「私達は少なからず、30年、40年、50年、60年と人生の体験を踏んでまいり、そして私達は、肉体を支配しているところの心、魂というもの、その魂そのものの中に、多くの塵や垢を詰めてしまいました。自己を完成するうえにおいて、この塵やホコリや、あるいは垢を除かない限り、自己完成は出来ないのです」

 「まず思念と行為、思ったこと、行ったことの一つ一つを正しい法則によって修正していくことなのです。それには、生まれて来てから現代まで、これを一つ一つ全部思いだして修正していった時に、今の皆さんの自分自身が、自分の性格がどのように形成されたかということを知るのです。それをもし、修正しないとしたならば、結局は大きなお荷物を持ったまま苦悩の人生を送るという結果になるのです」

 「常に、作用と反作用という作用があります。原因と結果です。今我々が苦しんでいるとしたならば、その苦しみの原因は、どこかで種を蒔いているということです。苦しみの原因は、必ずどこかで種を蒔いているから苦しみという結果が出ているのです。物理学の法則と全く同じなのです。その原因を取り除かない限り、私達の心は修正されないのです。それにはまず、八正道という中道の道、片寄らないという中道を通して自分を見つめることです」と、お導きくださっておられます。

 丸山先生には、私の顔を心の眼でご覧になるや否や、即座に私の心の奥の苦しみを見つけられ、自分では一生かかっても到底気付くことの出来ない「母との心の問題点」に気付かせて頂いたのでした。大人になって、自分ではすっかり忘れていても幼い頃に作り出した心の歪みは、一つ一つ正しい正法の物差しで反省して取り除かない限り、大人になっても残ったままで、ひがみや、妬みやイライラ等に姿を変えて出てくることを分からせて頂きました。

 今現れている自分自身の性格は、良い面も悪い面も、特に両親の何気ない言動に大きく影響を受けて形成されている。自分自身を知るということが正法の出発点である。そして、生まれてきてから今日まで思ったこと、行って来たことを、正法に沿って、正しい反省をしない限り、自分自身で作り出した心の苦しみは取り除くことは出来ない。正しい反省が自己を確立するうえに置いて如何に大事であるかということを、丸山先生に分かりやすく具体的にお教え頂いて初めて気付かせて頂きました。

 A法と思想について

 私は当会で「法と思想」について、事細かにお教え頂いて初めて「法が在る、法がない」ということについて学ばせて頂く機会を得ました。

 丸山先生には、「正法だと信じ、正しくないものを信じてきたこと、間違った神を信じてきたことを反省し、すべて心の中から取り除かない限り後光は出ません。また学修も進みません。浄霊をし、そして、今まで間違った神を信じて来たことを、大宇宙大神霊・仏様に心から何回も何百回も謝罪することです」とご指導くださいました。

 私は、当会に入会する前に、正法と信じて、かつて、偉大な主・高橋信次先生のお弟子様が主催されていた別の会に、1年半ほど入っていました。その会では、ご著書をしっかりと拝読することよりも、その指導者の書かれた、偉大な主のご著書の解説書等を勧められました。

 当会において、「偉大な主・高橋信次先生の一言一句がすべて法であり、偉大な主・高橋信次先生のご著書を自分の恣意を入れずに素直に何度も何度も拝読することが大変大事です」とお教え頂きました。

 偉大な主・高橋信次先生には、「思想というものは、一つの物の考え方を指す」「思想家、宗教家、信仰者が、えてして偏狭になるのも、ものの考え方に恣意が含まれ、神理から離れてしまうからだ。正法は大自然が身をもって教える生活の在り方である」とお導きくださっておられます。だとすると、それらのご本は、偉大な主のご著書の内容のことは書かれているけれども、それには、その方のお心の状態に応じた理解の仕方で書かれた思想であったのではと気付かせて頂いたのです。

 私は、偉大な主・高橋信次先生のご著書を正しく拝読していなかったために、何が正しいのか、正しさの基準が分からないままに、指導者の考え=思想を学んでいたのでした。偉大な主・高橋信次先生のご著書やご講演会、すなわち「法」を中心とした学修ではなかったのです。ですから、「法」のないところで、いくら学んでいても安らぎを得ることは無かったのです。しかしすべて自分の不勉強が招いたことだと思わせて頂きました。

 そこで、丸山先生のご指導の通り、一つ一つ思いだし、法に沿って、どこがどのように違うのか、その違いをノートに書き出し検証して行きました。自分が今まで間違って信じて来たものすべてを心から捨て去り、神仏様に対し、愚かな自分の思い、行いを心から何回も何回もお詫び申し上げました。そして、お教え頂いた浄霊の方法で、すべて形ある物は並べ(今まで知らずに神社やお寺に参拝に行って買ったお札やお守りや、姓名判断や占いの本、その他の思想的なご本等も思い出す限りすべて)、無い物は書き出して御礼を申し上げて物質として処分させて頂きました。

 生まれてから今日まで間違って信じてきたもの、思想が、心の中に入っていることに自分自身で心から気付き、自分で必死に反省して抜き取らない限り、その思想は容易には取れない。つまり、他力信仰や思想の反省なくして真に正法に帰依することは出来ないということを学ばせて頂きました。

 偉大な、偉大な主・高橋信次先生には、「人を頼りとせず、法を頼りとせよ。法に帰依せよ」とお導きくださいました。如何なる場合も、如何なる事象も、常に「法」を物差しとして、正しく見、正しく思い、正しく行うことがとても大切であり、「法が在るか、法がないか」を自力で判断出来る心作りは、何が正しいのか、正しさの基準を心で分かるようになることが大変大事であるということを、当会に入会して初めて気付かせて頂きました。

 B主人との調和について

 次に、丸山先生には、「貴方様とご主人様の魂はプラスとプラスの魂のため、お互いに嫌いではないけれどもイライラして来たはずです。貴方は女性として、この世では一歩謙虚に生きることです。一歩控えることです。一歩控えてということは、我慢することではありません。謙虚に生きることです。その次が愛の次元の修行を目指すことです。優しく愛豊かな女性になるように努力することです。女性はある時はお母さん役になり、ある時は女性になり、また妻にもなってください。その3つを使い分けてください。

 愛とは求めるのではなく、愛とは与え尽くすのみです。人に与えてこそ人からも頂けます。一生懸命にご主人様に対して、優しく優しく大切にして、愛を与え、与え尽くした時に、きっと貴方様は今までに感じたことのない悦びが心から溢れると思います。そしてご主人様も悦ばれます。

 貴方様は今まで自分中心の思いでご主人様を見ていたのです。『正しい』ということは永遠です。今の現象ではなく、過去の転生輪廻の中で作られるものです。自分の目の前に起こることは、自分に気付かせるために起こることなのです。悪いことも良いことも自分の心作りのために天からお与え頂いているのです」とご指導くださいました。

 私は先生のご指摘の通り、確かに主人とは大恋愛の末結婚したにもかかわらず、結婚したと同時に主人のことが何となく物足りなくなり、一緒にいるとイライラするようになったのです。でも何故急にそうなったのか、分からないまま、日々満たされない自分の心を外に外に向けるようになり、家庭を顧みず好きな仕事にばかり夢中になり、自分中心の思いで日々生活をしておりました。しかし、仕事が順調に行き、いくら物やお金に満たされても、「何か違う、満たされない、一体これは何だろう、どうしてこんなに心が満たされないのだろう」といつも叫んでおりました。

 でもどうして良いやら、何故なのかも、当時の私には分かるすべもありませんでした。

 当会に入会し、偉大な主・高橋信次先生のご著書を拝読させて頂き、そして丸山先生にマンツーマンでご指導頂くに従って、何と私は愚かな愚かな、傲慢で思い上がった自分中心の心で主人に接して来たかということにやっと気付かせて頂き、深い深い懺悔の気持ちで一杯になりました。主人に今までの私の生き方や行いを心から何度も謝りました。一度も私を責めることなく大きな愛で包んでくださっていた主人に対して、心から感謝の思いが湧いてまいり、今まで味わったことのない穏やかな安らぎを頂くようになりました。

 そこで私は丸山先生に、「主人と調和出来てとても幸せです」とお話しさせて頂きましたところ、先生には、「貴方様の今の幸せは半分の幸せです。ご主人様が法に触れられたらもっともっと大きな悦びを頂くことと思います」とお話しくださいました。当時の私は、これでも十分以前に比べたら幸せだと思っていました。主人は、私が正法を勉強することを反対したことは一度もなく、何かと協力してくださるのですが、どんなにご著書を勧めても、学修会のことや、丸山先生のご指導などをお話ししても、「それは貴方達のグループの考えでしょう。私は遠慮しておきます」等と言って全く聞く耳を持ちませんでした。

 丸山先生には、「まず身内です。自分の家庭も調和していないのに、心在る伝道は絶対に出来ないと思います」とご指導くださいました。主人の伝道に何年もかかっている私は、これ以上どうして良いか分からず、そのことが自分の苦しみに繋がるようになって行きました。

 しかし、これでは法を学ばせて頂きながら本末転倒になってしまうと思い直しました。「己を生かし他を生かす」というお導き通り、己を生かさなくて、他を生かすことは出来ない。私は自分が出来ていない、正法に沿って家庭で実践出来ていないから主人に伝わらない。まず自分だ、今までにお与え頂いている沢山のご指導をどれだけ忠実に実践しているか、そこが一番大事な点だと気付かせて頂きました。ある日の学修会で丸山先生には、「自分が正しい思い、行いをしていないのに、ご主人様ばかり責めてもこれはおかしいのです。相手に希望と勇気と悦びを与える言葉を出しているかなと、見ていくことです」とご指導くださいました。

 その時、私が何もお話し申し上げていないのに、先生には既にご存知で、そのようなご指導をくださったことに、私は大変驚きました。私は、主人に早く分かって欲しいと焦る気持ちが前面に出てしまい、強い口調になり責める波動が出てしまいました。優しく愛豊かな女性とはほど遠い言動をしていたのでした。偉大な主・高橋信次先生にはご著書『人間釈迦(1)』の中で、「正法を教えてやりたいという気持ちが先に立ち、悟りの心境を生のまま、言葉にしてしまった」「『実る程に 頭の下がる 稲穂かな』自然は、何も語らぬ。語らぬが、自然はその実感を、身をもって教えている。悟ったからといって、他人を見下すようなことがあってはならないのだ。謙虚な心とは、何もへりくだることではない。中身が充実し、その充実感が広く、深くなればなるほど、大宇宙のように無限の包容さを持って、万生万物を生かしつづける心であったのだ」とお導き頂いています。

 常に謙虚に、愛溢れる自分を作らなければ一歩も進まないことに気付かせて頂きました。主人は、私が愛豊かな女性になれるその時まで、私の修行のためにじっと待っていてくださっているのだと思えるようにならせて頂きました。

 そして、今から6年前、主人の父(2007年に91歳で亡くなりました)の介護をきっかけに、学修会での丸山先生のご指導のお話などを聞いてくださるようになったのです。ある日主人に、「何でそんなに悦んで介護出来るの?」と聞かれました。私は、「本当にお父さんの悦ばれる顔を見ていたら嬉しくて嬉しくて、ちっとも嫌じゃないのよ。心の底が温かくなって優しい気持ちになるの。でもこんな気持ちにならせて頂いたのは、偉大な主・高橋信次先生の『正法』のお蔭様だと思う。今はただただ二人で平安に何事もなく暮らさせて頂いていることが本当に有り難くて有り難くて……」と言いながら涙が溢れ出ました。

 それまで主人は、いくら勧めても「俺は絶対に読まない」の一点ばりでしたが、偉大な主のご著書を、「分かった、読んでみるよ」と、それ以来毎日拝読するようにならせて頂いたのです。

 そして、鹿児島に来させて頂き、大変静かで穏やかな環境をお与え頂き、代表委員のN様をはじめ、皆様の温かいお心に囲まれて、今年の1月、主人は初めて学修会で、丸山先生にお目にかからせて頂いたのでした。今までどんなに勧めても振り向きもしなかったので、私にとっては本当に夢のような出来事で、嬉しくて嬉しくて涙が止まりませんでした。現在は、何か問題が起こった時は、偉大な主・高橋信次先生のご著書を教科書にして、二人で何事もじっくりと話し合って正法に沿って解決しようと努力するようになりました。このことがどんなに有り難く幸せなことかと、心から噛みしめさせて頂いております。

 『貴方様の今の幸せは、半分の幸せです』という丸山先生のお言葉の意味に、やっと今気付かせて頂きました。偉大な主・高橋信次先生には、ご著書の中で「夫婦の縁生をよりよく前進させるには、法を正しく理解し、行うことだ。それによって、ますますより価値の高い調和へと導かれてゆくものだ」とお導きくださっておられます。お互いに「法」を正しく学び、正しく行わない限り、真の調和された夫婦にはなれないことを学ばせて頂きました。まだまだ夫婦の調和の入り口に立たせて頂いたばかりの未熟な私達ですが、神仏様に日々感謝をお捧げ申し上げて、二人で「正しい」という物差し、「正法」に沿った正しい思い、正しい行いが出来る、調和された夫婦になれますように、今後とも精進努力してまいりたいと心から思わせて頂いております。

 丸山先生には、私の心の奥に記録された歪み、それも遠い過去の幼い頃に作り出したもの(母に対する恨みや、愛を求める心、姉や弟に対する嫉妬や妬み等)や、表面的には分からない不調和な夫婦関係などを、即座に心の眼で見つけてくださいました。そこには、今まで全く気付くことの出来なかった私の心の奥に眠っていた(しっかりと蓋をして見ないようにしていた)苦しみが厳然とありました。丸山先生には、その苦しみの取り除き方、反省の方法、今まで誰にも教えて貰うことのなかった、心の正しい在り方をはじめ、愛溢れる女性としての心の持ち方や、円満な夫婦になるための調和の仕方について等、正法に沿ってどのように実践すれば良いかを、具体的に愛一杯にお教えくださいました。

 私は、「法」の在る当会にて正しい師につき、具体的にお教え頂かなかったならば、愚かな私はいつまで経っても今までの自分自身の思い、行いの間違いに気付けず、外にばかり目を向け、心を内に向けて自分を見つめて生きることなく、心に苦悩を一杯背負ったままで、この世を終えていただろうと思うと、知らなかったとはいえ本当に恐ろしくなります。大宇宙大神霊・仏様に対しまして、丸山先生に対しまして、心から深く感謝申し上げます。

 私たちは今後、法灯を曲げてはいけない、消すようなことがあっては絶対ならない。今一度原点に戻り、一層自己確立に向け精進努力を重ね、今こそ正法によってお救い頂いた悦びを、体験を通してお導き頂いたご指導を、声を限りに勇気を出して一人でも多くの人に叫んで行かねばならないと、心に強く強く誓わせて頂きました。

 このレポートを書かせて頂き、改めて自分の原点に戻らせて頂くことが出来ました。本当に本当に有り難うございました。

   (鹿児島県志布志市・主婦)





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