長野県佐久での伝道


金沢地区 S.K

 10月31日から11月2日の3日間、偉大な主・高橋信次先生のお生まれになった長野県佐久市を中心にした地域に行ってまいりました。このきっかけとなったのは、H大学薬学部の卒業生が薬剤師として「S病院」に勤務し、素晴らしい医療に携わっていることを知ったことからでした。

 S病院は、広範な地域緊急医療に貢献していることでも有名な病院です。研修医が全国で多いことも理解出来るほどです。卒業生は、ここで30人の薬剤師の1人として、年間365日の医療に貢献していました。認知症の患者さんを担当して、患者さんから慕われ、献身的に対応しているその姿は、正に医療人に相応しいと感じました。

 今回は、この卒業生に伝道することを目的に佐久へ向かいましたが、もう一つ、私の知人で、薬剤師向けの雑誌を出版している有名な雑誌社の社長様と同道することも目的でした。実は、卒業生も、今は東京に在住しているこの社長さんも佐久の出身だったのです。それどころか、驚くことに、同じ高校の同級生であることが分かったのです。卒業生には、以前に、偉大な主・高橋信次先生のご著書『心の発見・科学篇』と私達がお救い頂いた三男のことを書かせて頂いた『ひかり』誌をお送りしてあったのです。

 2日目の午前中、宿泊した宿でお会いし、伝道のお話を始めましたら、「高橋信次先生のお名前は前から知っていました。私は、生来無宗教できましたが、最近、神というものに大変興味を抱いてきまして、とりあえず、日本の神道を調べ始めているところですが、いろいろ調べているなかで、高橋信次先生のことを知ったのです」と話してくれましたので大変驚きました。

 ご著書は既に拝読されていましたので、この世で絶対的に正しい道をお教え頂いているのは唯一、偉大な主・高橋信次先生だけであることと、正法を学ぶことの大切さをお話しさせて頂き、私達がお救い頂いた三男のことをもう一度詳しくお話しさせて頂きました。そして、ご著書『心の発見・神理篇』をお渡しさせて頂きました。卒業生は、「これを機会にご著書を改めて真剣に読ませて頂きます」と言ってくれました。

 宿泊した宿は「中棚荘」といって、島崎藤村の「千曲川旅情の詩」の一節に出てくる歴史のある有名な宿でした。本当に人の縁というのは不思議なもので、この宿のご主人が、知人の社長様の出身高校の同級生ということでした。つまり、卒業生を含む三人が、なんと同級生であったのです。家内は、早速、この宿の奥様にいろいろ話しかけ、奥様やご主人様にご著書『心の発見』を読んで頂ける様にしたばかりか、島崎藤村の遺作本などを飾ってある宿の宿泊者の憩いの間になっている部屋の書棚にご著書『心の発見』を置いて頂けるようにしたのでした。

 ご著書には「縁の糸」という題で、「縁というものは私たちの智や理屈ではない見えない糸で結ばれている。さらに学友になると、その親しみは深くなる。特に親子、兄弟という関係は深い縁によって結ばれている」とお導きくださっていますが、本当にその通りであることを深く思わせて頂きました。

 2日目の夕食は、軽井沢のホテルでとりました。この時には、社長様と編集者として同行された女性の方を含め5人で心の問題についてお話をさせて頂きました。社長様は、卒業生同様に無宗教と言っておられましたが、心の問題が重要なことについては、よく理解を示されたので、是非、ご著書を読んでもらえるようにお話ししました。女性の方は、心の問題については分かって頂けましたが、ある宗教に帰依しているのでと辞意を示されましたので、お勧めしませんでした。

 3日目の朝、社長様にご著書『心の発見・神理篇』と『ひかり』誌をお渡しさせて頂きました。

 今回の長野への伝道旅行では、人の縁の不思議さと大切さを学ばせて頂きました。卒業生1人のことから始まった出会いが、4人もの方々にご著書をお渡しさせて頂き、拝読して頂けるきっかけを作らせて頂けましたのは、正に、偉大な主・高橋信次先生のお導きによるものであると確信させて頂きました。特に、3日目の昼、軽井沢から佐久を経て小諸への移動中、車窓から見せて頂いた「虹色の大ご光輪」は、佐久にお生まれになられた、偉大な主・高橋信次先生が、私達に「もっとがんばるように」と声援を、ご指導をくださったものと心から嬉しく、有り難く思わせて頂きました。

 このご光輪について、金沢地区委員のK様とK様へメールでご連絡させて頂きましたところ、「丸山先生は『天には祝福されておられるのですね』とおっしゃり、大変お悦びでした」とのご返信を頂き、また、先生からのご指導で金沢の法友の方々へもご光輪の件をご連絡くださり、皆様から感動のお心を頂いたと知り、大変驚くやら、恥ずかしく感じさせて頂きました。更に、本部へもご連絡くださり、その結果、全国の法友様からも悦びのメールを沢山頂いたとお聞きし、偉大な主・高橋信次先生のお導きを目の当たりにさせて頂きましたことを、心から嬉しく、感謝申し上げました。

 1986年8月20日、「高橋信次先生のご生家をお訪ねする研修会」が、丸山先生とご同行する形で開催されました(『ほくりく』誌1986年9月号)。その時の報告を読ませて頂きますと、新潟県に入った頃から窓外の景色はまるで天上界に居るのではないかと思われるほど感激と感動に包まれ、ただ、息をのむ思いであったと書かれています。小諸から佐久へ入り、『高橋信次』という表札が埋め込まれた白い建物は、偉大な主・高橋信次先生がご創業された高電工業という会社の工場であったそうです。この裏手に先生のご生家があり、先生のお母様がおられて、親しくお話しさせて頂くことが出来たと書かれてあります。

 その帰路、直江津辺りからの夕陽は格別の美しさであったと報告されています。また、この時、佐久から直江津に向かう道中では、連続する山々に虹が次々と架かっていたと丸山先生からお聞きしたことがございます。今回、私たちが拝見させて頂いた「虹色の大ご光輪」は、まさにこの研修会を通して、丸山先生が天上界へ道をつけてくださっていたからということを改めてはっきりと分からせて頂きました。

 丸山先生からの全国の法友様からのお声、さらにK様からの金沢地区の法友様からの熱いお声を聞かせて頂き、私たちも心を熱くさせて頂きました。

 これを新たな出発として、これからも機に応じて、人の縁を大切に、常に伝道させて頂く事が、偉大な主・高橋信次先生には最もお悦びになられることだということを胸に秘めて精進させて頂かなくてはと決心させて頂きました。

 大宇宙大神霊・仏様に心から感謝申し上げます。

   (石川県金沢市・前H大学学長)





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