大阪地区勉強会レポート


「先祖供養について」

大阪地区 T.Y

 8月の金沢地区学修会では、主人のことを先生はお尋ねされましたが、その後のことについてはご報告させて頂くことが出来ませんでした。しかし、私は私なりに主人のご両親様に対する供養をさせて頂こうと思いました。今までは、「主人のご両親様なのだから主人がすればいいのに」という思いがありましたので、形ばかりの供養だったかも知れません。

 そこで、まず主人のご両親様に対する反省から始めさせて頂きました。

 まず思い出しましたのは、私が初めて運転免許を取った時のことでした。初めて自分で車を運転する時、主人のお父様は郵便局を辞められた後、タクシーの運転手をされていましたので、お義父様に横に乗って頂き、大阪中で一番混雑する、天王寺、梅田、難波、天六まで行って練習させて頂きました。初心者の車に同乗する時は、横に補助ブレーキでもないと怖くて乗っていられないと世間では申しますが、お義父様とお義母様は、私の車に一緒に乗ってくださ いました。

 その後、半年ほど経った頃でしょうか、私は事故を起こしてしまいました。相手が電話で怒鳴り込んで来たのですが、主人には心配させまいとして黙っていましたので、お義父様にご相談いたしましたところ、すぐにお義父様とお義母様には、飛んで来てくださいました。

 事故の相手は、「こんな年寄りを出しやがって」と怒鳴ったのですが、その時、お義父様とお義母様は、私の前に立ちはだかって私を守ってくださいました。あの時の主人のご両親様のお姿を思い出しますと、今でも胸が込み上げてまいります。

 また、とてもきれい好きでいらっしゃって、いつも暇さえあれば小まめにお掃除をされていました。特にお義父様は、ちょっとした暇を見つけては、手袋をはめて仏壇の戸を磨いたりされていました。車のボンネットの中は、普通は埃だらけのものではないかと思いますが、お父様の車は埃を払って掃除してあるので、ボンネットを開けるとピカピカなのでびっくりしたものでした。

 また、主人が心臓の手術のため入院していました時、私が病院から帰りますと、留守番をしてくださっていた主人のご両親様が、掃除機をかけてお掃除してくださったようで、家の中がすっきり気持ち良く片付いており、疲れて帰って来た私にはとても心地良く感じられ、疲れも忘れてとても嬉しかったのを覚えています。

 忘れもしない、今年の6月25日、主人のご両親様は、主人の体に本当に哀れな姿でしがみつかれていたそうです。丸山先生には、主人の発表が終わるや否や、涙声で駆け寄って来てくださり、勿体無くも、ご両親様に、その場で「引導」をお渡しくださいました。

 お義父様が亡くなられてちょうど1年が経ちましたが、今度こそ主人のご両親様には、あの世にお還り頂けるよう、まず私自身が心を込めて「引導文」を上げさせて頂いています。

 もう1つ嬉しかったことは、実家の父のことでした。最近、丸山先生より「お父様の供養をしてあげてください」とご指導頂きました。

 今から3年前、2005年9月の伝道要員養成研修会に参加された方より、研修会の模様を詳しくレポートして送って頂きましたが、その中で、「自力による先祖供養文」を作成し、上げて差し上げることが大事ですと書かれてあり、その言葉に釘づけになり、「これをさせて頂こう!」と、心に強く思いました。

 早速、父親、祖母、祖父と順に供養文を作成させて頂き、反省を込めて心を込めて出来上った時は、上げさせて頂くのが楽しみで、夕御飯が終わるとすぐに始めさせて頂きました。父は会社を経営しておりましたので、人間関係に悩むことが多く、自分に都合の悪い人については、その人と自分との間に神仏様を置いて見ることをお話しさせて頂きました。

 また、夫婦、親子はすべて前世からの約束によるもので、離婚は神仏様との約束を反故(ほご)にするものであること等、夫婦、親子の関係についても、正法で学ばせて頂いたことについて逐一お話しさせて頂きました。

 ある日、金沢の姉と話していました時、姉が「お父さんがよく、私に養子をもらうのだと話していたけれど、母は自分が養子をもらって父母との板挟みになり、とても苦労したので、頭から大反対だったから、もちろん実現もしなかったけれどね……」と話してくれました。その姉の話を聞いて、私は本当にハッとしました。

 母は、兄夫婦に遠慮してついに同居せずじまいで、結局、今は施設に厄介になっています。もし、姉が養子をもらっていたとしたら、いずれ母は姉が引き取ることが出来る。家の商売は兄が継いだとしても一向に構わないし、それが母にとっても姉にとっても、家族全員が安心な道だったのではないかと思い、今迄思いつきもしなかったことを父が考えてくれていたことを知りました。そうしますと、今まで父は家族のことを何一つ考えてくれていないとばかり思い込んでいた私は、父が如何に家族の将来を思い、いろいろ考えてくださっていたかが分かり、心から申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。父の智慧が言わせた言葉だったのではないかと思いました。父の気持ちというものを何一つ理解していない、理解しようともしなかった、思いやりのない自分自身の心をまざまざと気付かせて頂き、心から父に申し訳なく、供養文の度に、深く深くお詫びさせて頂きました。

 それ以後、何度か、ふと父の姿が目に映ることがありました。その姿が何を意味するのか、はっきりとは分かりませんでしたが、その父の姿を見て、「ここが大事」と心に思わせて頂いたことを、また父にお話し申し上げるようにしました。

 特に、反省の大事なことをお話し申し上げ、その物差しがご著書にお導き頂いている「八正道」であることをお話し申し上げ、「心の指針」の「八正道」の所を読ませて頂き、その度に、私自身も学ばせて頂きました。 

 そうこうしておりますうちに、最近では父に対して何をお話し申し上げてよいか分からない状態になっておりました。そんな時期に、今回、金沢地区の学修会において、姉が、「私はどうしても、先祖供養が出来ないのです」と発表させて頂きますと、先生には、「それは、お父様はもうあの世に還っているのに……と分かっておられるからでしょう」とおっしゃられましたので、「そうなのか……父はもうあの世に還っておられるのか」と分からせて頂き、嬉しくなりました。

 私には、まだ半信半疑でしたが、とにかく、先生がそうおっしゃられるのだから、父は光明の世界に還られたのだと思わせて頂き、本当に安心いたしました。後で段々と実感が湧いて来まして、「本当によかったよかった……」と思わせて頂きました。 (父の供養は今後も続けさせて頂きます)

 次は、実家の母の番だと思いました。母は、記憶力がもうすっかり衰えて、こちらの言うことが通じません。「お父さん、どうした? じいちゃんは? ばあちゃんは?」と同じ問いの繰り返しです。

 母には、以前、私と姉から、毎日毎日口が酸っぱくなるほど、あの世に還る道についてお話しさせて頂きました。きっと母の心のどこかに残っているだろう、と思うことにしました。

 母の顔を見に行きましても、もうこんな状態ですから、私は、大阪の家で出来ることについて考えてみました。

 母への反省と感謝を込めて、母に言えなかった思いの総清算をしなければならないと思いました。直にお話し申し上げることが一番良いのですが、もうその時間も機会もありません。そこで、母への反省と感謝の文(今後、何回も書きかえられていくと思いますが)を書かせて頂き、「先祖供養」の後に読ませて頂くことにしました。

 母の守護・指導霊様に、「どうかこのことを母・南保芳子さまにお伝えください。願わくば元の意識のはっきりとした母に戻って頂き、あの世に見送らせて頂きたいのです。何卒ご協力ください」とお願い申し上げております。母への反省と感謝を読み上げさせて頂くことにより、父もきっと聞いていてくださるのではないかと思わせて頂いております。

(大阪府堺市・主婦)





「伝道させて頂いた悦び」

大阪地区 Y.F

 私如き者がまだまだ伝道のことを皆様の前で一人前に語れることでは決してありませんが、今日は唯一伝道させて頂きました悦びをお話しをさせて頂きます。

 昨年の10月18日に、丸山先生にレポートを提出させて頂き、有り難くもご指導頂きましたことにより、「こうしては、おれない!」という気持ちで日夜、偉大な主・高橋信次先生のご著書や月刊誌のバックナンバーの拝読に、心より真剣に取り組ませて頂く事の出来る環境を、神仏様より有り難くもお与え頂きました。そのお蔭様で北陸地方100万人の心在る魂に対する伝道の決意を固めさせて頂きました。

 それにより私は、7年ほど会っていなかったのですが、中学時代の友人に、昨年11月に伝道させて頂くことが出来ました。

 当会に入会されるのはなかなか困難だろうと思っていたのですが、神仏様からのお計らいと思えるような機会をお与え頂き、主人がその方のご主人様にご理解して頂けるようにと、お話しさせて頂きましたところ、その方は堂々とご著書の拝読が出来るようになられ、また、学修会にも堂々とご参加出来るようになられました。そして、当会の会員にならせて頂き、初めて先月、丸山先生にレポートを提出させて頂くことによりまして、本当に心温まるご指導を頂かれました。

 以前私も、丸山先生に娘婿の件でお話しさせて頂きました時に、娘をお腹に宿した頃の夫婦の状態がどうであったか、また、娘が中学2、3年生の頃、どのように接していたかを反省してレポートを提出するようにと、ご指導頂いたことがございました。その時私は、レポートを書きながら一日中自分の愚かさを悔い、涙がとめどなく溢れるなか、書きあげさせて頂いたことがありましたが、その方も、レポートを作成されている時、一日中涙が溢れて止まらなかったそうで、私に電話をくださいました時も一緒に涙しました。

 また、有り難くも、丸山先生にご指導を頂かれて、本当に長い間お嬢様のことで自責の念にかられていらっしゃったお心の重荷をやっと下ろされました時にも、お互いに悦びを分かち合えるようにならせて頂きました。

 ご著書『人間釈迦 第1部』51頁の「女の布施」の中に、「人間が、赤子のような心で、それぞれが調和され、助け合うことが出来れば、この世はそのまま仏国土になるはずであった。人々の悲しみをとりのぞき、喜びをわかち合う。こうした環境、そうした心こそ、人間本来の姿ではないだろうか」とお導きくださっています。

 私は今回、少しでもお心が楽になられるならと、私達の息子の病をお救い頂いたことをお話しさせて頂きましたが、この方のお心が救われることで私達の心も悦び、伝道とは悦びであることを初めて実感いたしました。お箸が転げてもおかしいような時代の友と、これからは法友として、お互いに手をとり、励まし合っていきたいと思っております。

 昨年は、愚かにも自分たちの事でまだまだ精一杯で、伝道させて頂けるような心にもなりきれず、知人にご著書は渡しても返事を頂けないケースが2度、3度ありました。正法を学修しているからという甘えの中で、主人の商売の危機(これも神仏様のご慈悲だと思わせて頂いております)に直面いたしました。

 丸山先生には、「事業は夫婦で一つです。あなたはあなた、私は私ではなく、ご主人を助けてあげることが良いと思います」というご指導を頂きました。先生のお言葉が、物事にとらわれ固くなり、ひび割れて乾きそうな心に染み渡って行きました。そして、ご著書の拝読や反省に取り組ませて頂きました結果、有り難くもご指導頂きました通りに、今年の4月に、主人の商売を手伝わせて頂く環境も、神仏様よりお与え頂きました。先日の学修会では、別の友人のお嬢様もご参加くださいまして、先生のご指導の深さに、大変感動感激され、翌朝、私のお店に感謝のお手紙を入れてくださいました。お母様の影響を受けられて、色々と自由に本などを読まれ、ご自分に必要なものを探し求めておられたのでしょう。当会が唯一法が在るところということを、お分かり頂けるように、お母様にもご一緒に誠心誠意お伝えしていきたいと思っております。

 これからも、偉大な主・高橋信次先生のご著書を拝読させて頂き、実践を怠ることなく、常に足元をしっかりと見つめ、己の心を調和させ、夫婦、家族の調和を築きあげ、悦び、報恩、感謝の気持ちで伝道に情熱を傾けていきたいと思っております。

(兵庫県西宮市・自営業)






「精進努力の決意」

大阪地区 M.I

 この夏の暑さで、法から遠のいている感じがしています。もっともっと己に厳しく、明日があると思うなかれという心で、一日一日、一秒一秒心を正して生きていかねばならないと思っております。

 毎日、炎天下で農作業をしておりますので、夜になりますと「心行・祈願文」の唱和の時に、ついご本を落としたりすることもあり、本当に心を引き締めてやらねばと思っています。

 先祖供養についても、「引導文」作成も大事なことですが、形だけで終わっていては、何もならないのではと思わせて頂きました。やはりその家族が仲良く明るく、相助け合った生活をすることが本当の供養だと思います。

 私は今、足元の調和を目指し、「八正道」を心の物差しとして精進しています。

 伝道については、ある酒造会社の代表でいらっしゃる方に、ご著書をお送りいたしました。お礼状を頂きましたが、その中に、「私は道教です」と自筆でお書きくださっていましたので、それを見た時に、「やはりダメか」と思ってしまい、そこで終わってしまっていました。

 その後、丸山先生より、「なぜダメだと思うのですか。そうではなく、今度機会があればこのように話そうと、いろいろ工夫することです。正しいことをしてダメなことはありません。あなたに自信がないからです。伝道は、その方をお救いすることになるのですよ」と、お導き頂きました。

 今年に入り、丸山先生の過去世が分かり、そして2008年8月号の『ひかり』誌から、偉大な光の大天使様であられますことが、心から分からせて頂きました。

 このような素晴らしい場におらせて頂けますことは、私にとって最高の幸せであり、悦びです。

 信を深くし、堂々と自信を持って周りの人々に法の種をまいてまいります。

 私の住んでいます兵庫県三木市の市長様に、ご著書をお送りしました。秘書課よりお手紙を頂きましたが、市長様にご著書が届いているのか心配になりました。このような立場の方には、直接自宅へお送りするべきなのではなかったかと反省しました。

 暑さにめげず、ご著書の拝読と反省を怠らず、精進してまいります。

(兵庫県三木市・主婦)





「初心者勉強会を開催させて頂いて」

大阪地区 K.T

 去る、5月25日(日)に開催されました、金沢地区学修会において、丸山先生より、初心者の方に向けて、地区委員が中心となって、ご講演会を開催していくようにとの、伝道に向けて大変有り難いご指導を頂きました。

 「最初は、3〜4人から始めてもいいのです。ご家庭で、ご家族やご親族の方に拝聴して頂いても良いのです。今年中の目標として、約40人を集めてください」というお話を頂き、大阪地区全体で、6月22日(日)に、梅田の駅前第二ビルにおいて、第1回目の初心者の方に向けてのご講演会を開催させて頂きました。続いて7月には、私の住んでおります高石市でも開催させて頂き、先日の8月14日には、主人のご実家にてご講演会を開催させて頂くことが出来ました。

 主人の母に、偉大な主・高橋信次先生のご講演会を、お盆に帰省されるお姉様方にも拝聴して頂きたい事をお話ししますと、お義母様からお姉様方にお話をしてくださいました。お義母様は、偉大な主・高橋信次先生のご著書を全部拝読してくださり、毎日、『心行・祈願文』を上げておられます。「偉大な主・高橋信次先生のお説きになられることは正しい」と、法を信じてくださっている事が大変嬉しく、このようにご協力くださることにも大変有り難く思っております。

 当日は、全員で『心行・祈願文』の唱和から始めさせて頂きましたが、お義母様が「私は毎日読ませて頂いているお蔭様で、元気にさせてもらってるのよ!」と、また嬉しいお話もしてくださいました。ご講演終了後、お盆ということもあって、『ひかり』誌に掲載されている、『お盆』についてのお導きもお話しさせて頂き、当会でお教え頂いている供養についてもお話しさせて頂くことが出来ました。

 先ほど、T.Y様より、8月9日(土)に開催されました、金沢地区学修会において、故M.K様のご供養について、「これで良かったのか、という反省がなければ大きな落とし穴になります」という、丸山先生のご指導をお聞きし、自分の反省として考えさせて頂きました。あの時は、私達は亡き法友様を思い、心を込めてご供養をさせて頂いたつもりでおりました。しかし本当は、残された家族が法によるご供養が出来ることが何より大事なことではないかと思います。そして亡くなられた方にとって、後に残された家族が法に帰依されていると思うだけで、こんなに心安らぐことはないと思います。

 私はまだ家族に伝道が出来ておりません。「伝道は足元からです」と、常に、丸山先生にお教え頂くように、主人や家族に対しての伝道に励まなければ、と思わせて頂いております。

(大阪府高石市・整体師)





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