5月10日の金沢地区学修会に参加させて頂いて

大阪地区 T.Y

 5月の金沢地区学修会に参加させて頂き、誠に有り難うございました。大阪に帰りましたら、先生よりお電話を頂いておりましたので、直ぐにかけさせて頂きますと、頂いていたのは間違い電話であったようでしたが、そのお蔭様で、大変貴重なお話を聞かせて頂くことが出来ました。まるで2回、学修会に参加させて頂いたような大変有り難い気持ちにならせて頂きました。本当に有り難うございました。

 その一つは、M.K様のご供養についてでした。人がお亡くなりになられたときに、まず一番先に言って差し上げなければならない大事なことは、

 @これから何日後、何日何時からお通夜、お葬式をしますから、絶対に葬式に出てはいけないこと。出れば生きている人と同じように、弔問客が多いとか少ないとか、あんなに面倒見てやったのに香典が少ないとか、いろいろ見たり思ったりするでしょう。大抵の人はそんなことにとらわれて、暗い世界に堕ちて行くのです。ですから、絶対お葬式には出ないよう言って差し上げることです。

 A次に、肉体からすぐに離れなさい、火葬場には絶対ついて行ってはいけないことを言って差し上げることです。

 B次に、21日間自室での反省が最も大事なことを言って差し上げることです。

 葬式には決して出ないで、誰も人の来ない自分の部屋に閉じ籠って、今までの人生の一切を反省することです。お腹が空いたらお供えのお饅頭でも食べて、徹底的に反省することです。とにかく21日間の反省が最も大事なのです。

 21日間で今迄の人生を充分反省出来れば、その反省の度合いに応じて、やがて光に満ちた魂の兄弟が迎えに来られますから、その方に導かれて天上界に還ることが出来ます。しかし反省が充分でない時は、暗い世界、地獄へ行って反省をせねばならないのです。このため正法を学んでいる私たちは生きている今のうちから、せっせと反省をすることが大事です。

 正法を知らない人たちは、反省の仕方さえ知りませんから、ほとんどの人たちは暗い世界へ行くことになるのでしょう。ですから、21日間の反省が最も大事なのです、とお話しくださいました。

 私は21日間が過ぎて一旦はあの世の反省道場に帰り、残りの28日間で人生の反省をし、49日目で自分で天国か地獄かを決めるのだと理解しておりましたが、先生は21日間の反省で天国か地獄かが決まるとお話しくださり、改めて、この世にいる21日間の反省が特に大事なことを肝に銘じました。

 そして、先生には、「M.K様には突然の死で、何が何だか分からなかったかも知れませんが、法友様が駆けつけてくださり、毎日『引導文』を上げたり、ご令息様を交えてお話をされておられたその皆様のお話を聞かれて、M.K様には反省なされることが出来たのではないでしょうか。そして、ご昇天されたのではないでしょうか。ご親戚の方が、M.K様とお母様が階段を上って行かれる夢を見られたということが、その証ではないかと思います」と誠に勿体ないお言葉を頂きました。私達に取りましても、大変貴重な体験をさせて頂き、本当に有り難うございました。

 次に『ひかり』誌5月号「伝道だより」に書かれてありますように、「北陸百万人の伝道」についてですが、昨年末、家の整理をしていた時に、私の母校(高校)創立百周年記念に出版された名簿が出てきました。そこで昨年末から、約350名ほどの方にお手紙を出させて頂きましたが、そのうち転居などで約半数が戻って来ました。

 今年5月の連休を前に、住所が確定していると思われる方に、直接、お電話をしてみることにしました。先ず、河内長野市、堺市近辺の方から電話してみることにしました。その日は朝からご光輪を拝見させて頂き、そのご光輪に勇気を頂きました。

 始めに奈良の方にかけさせて頂きましたが、お便りが届いていないとおっしゃるので、口頭でご説明させて頂きますと、一度インターネットを見てみますと言って頂きました。

 次に2人目3人目くらいだったでしょうか、河内長野の自宅からほんのご近所に住んでおられる方で前々から気になっておりました女性の方です。お電話するや否や、「ああ、Tさんですね。いつもお便りありがとうございます」と私から差し上げました二度のお便りを見て頂いているようで、私の電話を待ってくださっていたかのように温かく迎えてくださいました。そして「私も何かお手伝い出来ることがあればと思っています」とおっしゃいますので、5月7日に自宅に来て頂くことにいたしました。

 私と違ってまるでお姫様言葉のように、おっとりと明るく丁寧な言葉使いの方でした。実際にお会いしますと、何か子供の時の幼馴染というか、親戚縁者のような親しみがあり、お互いの自己紹介のようなお話から始まりました。この方のご主人様は、現在娘が勤めさせて頂いている大学の医学部のご卒業で、大阪南部のいくつかの病院にお勤めの後、退職され、現在は堺市内の病院にお勤めとのことでした。

 またこの方ご自身は、東京のある大学の英文科のご卒業で、堺市内の中学校で英語の先生をしておられたそうです。男の子三人のお母様でもいらっしゃいます。 「英文学というのは、キリスト教が基礎になっているので、まず聖書から勉強するのです」というお話から、イエス様のお話に移ろうかと思った時に、急用がおありで、お帰りにならなくてはならなくなってしまいました。残念に思っていますと、後日、この方からお電話を頂きました。

 「先日は慌ただしくて失礼いたしました。でも素敵なお家で、ご主人様とも仲睦まじそうで……」とおっしゃいますので、私はつい本音が出てしまい「努力したうえでのことです」と申しますと、「ヘエー、努力が要るんですか」「ハイ、相当要ります」「そうですか。私は主人との間で努力することを忘れておりました」とおっしゃいました。

 そう言いながら、自分でも、「そうなのか、自分は正法に触れて、両親との調和、夫婦の調和、親子の調和に努力させて頂いたのだ。対話は愛情で、家族の調和、人との調和になくてはならない大切なものということを、正法に触れて初めて学ばせて頂いたのだ」ということを改めて噛み締めました。

 夫婦、親子の間でツーカーといかない対話ほど歯がゆいものはありません。子供の時、母親と充分な対話のない人は、「寝袋」という自分の孤独な世界を作ってしまい、人と話をしている最中も、この自分の世界という「寝袋」に入ったり出たりするので、相手の話を聞いているところと聞いていないところが出来てしまう。そこで相槌が途切れたり、反応が鈍かったり、話が噛み合わず、相手をイライラさせてしまう。

 まず相手の方と対話する時は、自分の思いに耽る、つまり考え事をしながら聞かないこと、自分の思いをちょっと横において、相手のお話に集中して聞くこと等と、丸山先生に対話の初歩からお導き頂きましたことを改めて思い出させて頂きました。

 夫婦、親子の間で対話がない、弾まないというのは、小さい時に母親とどれだけ豊かな対話をして来たかで決まることをお導き頂きました。

 この方には、次にお会いするまで時間がありますので、私の体験を書かせて頂いたお手紙とご著書『心の発見・神理篇』をお送りさせて頂こうと思っています。

 次に『ひかり』誌5月号に「ただ黙々と伝道する。その黙々が難しいのです。そろばん勘定という打算があっては伝道出来ません。無所得の心でないと伝道は出来ないのです」とお導き頂いています。私はここの所が一番心に響きました。私の打算とは、「人にどう思われるか。嫌がられないだろうか。人から断られたら恥ずかしい」という偽我の心が根強くあることに改めて気付かせて頂きました。

 一人二人でなく、「次々と黙々と伝道させて頂く」ここが今、私の一番欠けているところで、目標とせねばならない所だと痛感しております。

 先生には、「この方と大の親友になりなさい。そこが大事です。そして絶えずお手紙を出したりお電話を差し上げたりして、頂いたご縁を大事に、この方との仲を熱く熱く冷やさないようにすることです。そこからまたご縁が広まっていくでしょう」とお導き頂きました。学生時代に戻った気持ちで、親友作りに努めます。

 そして、もっとご著書の拝読、反省を深め、「北陸百万人の伝道」、「一日お一人の方に伝道」を目指して精進努力していきたいと思います。

    (大阪府堺市(金沢出身)・主婦)





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