ひかり』誌を拝読して

福岡地区 S.F

 丸山先生、いつも温かいご指導を頂きまして有り難うございます。

 2008年3月の『ひかり』誌を拝読させて頂き、間違った思い方をしていたことに気付かせて頂きましたので、そのことについてレポートさせて頂きます。

 「伝道だより」(67頁の下段後ろから5行目)の中で、法友様が「朝、車の運転をしている時、急いでいるのに自分の前でゆっくり走る車がいると、『邪魔な車だな』と思ってしまいます。自分の都合で物事を考えているのだなあと思い、今は、自分の都合を入れないで考えるように気を付けています」とご発表された方に対して、先生は、「そうなさるためには今、一番大事なことは何だと思われますか」とお尋ねになられました。その方は、「相手に対して思いやりを持って考えることでしょうか」と答えられると、「相手にいく前にその手前に問題があります。自分の思いです。自分の今思っていることが自己中心なのです。他人様の立場に立っていない、自分の立場に立って物事を考えるから、そういう発想が浮かんでくるのです……」と、正法に沿った思い方を、分かりやすくご指導されている先生のおことばを読ませて頂き、私もこの発表された法友様と、同じような自己中心的な思い方をしていたことに、気付かせて頂きました。

 私の勤務させて頂いている会社の駐車場から、道路に出る時に、目の前に西鉄電車の駅がある為、よく、送迎の車等が駐停車しております。道幅が狭いので、駐車場の入口の近くに駐停車されると、スムーズに出られなくなり、切り返して出ておりました。そんな時に、「あ〜また、車が停まっている。『駐車場の出入口』があるのだから、車の出入りのことを考えて駐停車してくれたら助かるのに、もう少し気遣いが欲しいなあ」と、相手様に対して、求めることばかり思っておりました。でもそれは、「自分中心の思いであって、相手様のことを考えないで、自分の立場で物事を考えていたのだ」ということに、気付かせて頂きました。反省させて頂きますと、自分が急いでいるときに限って、車が駐停車していたように思われてきました。まず、車が駐停車していても、慌てないように、少しゆとりを持って出るようにいたしました。

 そうすると、不思議と駐停車の車がなく、また停まっていても気にならずに出られるようになりました。そして、「他人の姿は己の姿なり」というお導きが心に浮かんでまいりました。私も同じように『駐停車していたことがあった』ということに、やっと気付かせて頂きました。「貴方も同じことをしていたのですよ」と心の中から聞こえてまいりました。本当に有り難いお救い、お導きを頂いたと、心より感謝申し上げます。これも、神仏様のお計らいによるものだと、畏れ多くも思わせて頂きました。そして、毎日乗せて頂いている車に対しても、報恩感謝・思いやりの気持ちがなかったと気付かせて頂きました。車に対してお詫びをさせて頂き、「感謝の気持ちを常に忘れずに、大切に乗らせて頂かなくてはいけない」と心より思わせて頂きました。

 偉大な偉大な主・高橋信次先生には、八正道の正しい基準は神界にあり、そして、神界とは、「人から損害を与えられても人を非難しない。人を非難する前に、まずその原因をふりかえり、二度と再びその原因を作らないように努力する世界。つまり『正しさ』の尺度を他に求める前に自分に求め、第三者の立場で常に前向きにつとめていく人々の集団社会」とお導き頂いております。

 正しさの尺度を自分に求める前に、他に求めていては、正しい反省をすることは出来ないと、改めて思わせて頂きました。一秒一秒をしっかりと意識を持って過ごさせて頂き、正しい基準で反省させて頂けるように精進してまいります。

 反省の機会をお与え頂きまして、大宇宙大神霊・仏様、本当に、本当に有り難うございます。

   (福岡県春日市・会社員)





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