お導き頂いて

オーストラリア R.M

拝啓 早3月となりましたが、『ひかり』誌を拝読させて頂きますと、丸山先生の益々お元気そうなお姿が目に浮かんでまいります。

 今年に入り、少しずつながらも、他人様から、自分の思いもよらない欠点を教えて頂くことがあり、正法の偉大さを身にしみて感じております。

 1月は2週間ほど、主人の実家で、主人のご両親と10人以上の甥、姪達に囲まれて過ごしました。その間、幼い彼らの態度から教えられることが多くありました。主人の実家で、彼らの行動、言動を見て、私の心に浮かんだものは、「いったい、彼らのご両親はどうやってこの子達を育ててきたの?」という批判でした。今思えば、私は正法をかじっている、という驕りがあり、相手に厳しくなっておりました。

 「母親の愛が大事」ということを頭で分かっていながらも、いざ、甥や姪のように、母親の愛を受けていない子が、母親から受ける命令口調そのままに、私に対して言うことに対し、「この子、私に言っていることが解っているの?」と、驚きを超えて、怒りになってしまったのです。しかし、私の思いはそこで止まってしまって、そこからどうして「神様、かわいそうなこの子に対し愚痴をこぼす愚かな私をお許しください」と反省し、「彼らの心に『ひかり』をお与えください」と祈ってあげられないのか、この子たちを膝に乗せ、話を聞いてあげられないのか、ということに気が付きました。こんな小さな子供でも、母親の言葉から毒をもらって苦しんでいるのです。どうして自分の子供は抱いてあげられても、人の子にはやさしく出来ないのでしょうか。どうして実践が出来ないのでしょうか。私はまだまだ他人様に愛を差し上げられるほど心が広くない、ということを、甥、姪を通して分からせて頂きました。

 もう一つ、気付かせて頂いたことがあります。

 主人の実家に滞在中、お義母様が、暇があると私をドライブなどに連れ出そうとしてくださるのですが、私は、「どうして、私にそうかまうの? ガソリン代も高いことだし、私に気を遣わず自分のことをしてくださったらいいのに」と思っていました。しかし、お義母様の、「○○の美術館に行かない? そこがいやなら、ビーチを散歩しようか」等のお誘いを受けているうちに、ハッと思い当たることがありました。

 「お義母様は、私を気遣って言ってくださっているのではなく、私と一緒に楽しみを分け合おうとしていらっしゃるのだ」ということに気付きました。考えてみますと、主人の実家にいるときは、出来るだけ邪魔にならないように、また、田舎なので、どこに行くのにもご両親様に車を出して頂かなければならないので、出来るだけ外出を控え、ガソリン代だけでも出費を軽くしよう、と思っていました。私は、ここでの滞在を「迷惑にならないようにするにはどうしたらいいか」とばかり気を遣い、「楽しいものにしよう」と考えたことはありませんでした。

 私は小さい頃から、家族の誰かと話し合った思い出もなく、母と何かをして遊んだり、楽しいことをした記憶もありません。いつも親の目から離れて「手のかからない、いい子」つまり「孤独に耐えられる子」でいたのだと思います。ですから、お義母様の申し出の本当の意味が分かったときには嬉しくもあり、ショックでもありました。

 私は家族との楽しみ方をずっと知らずに生きてきたのです。クリスマス、誕生日など、楽しむ機会はもちろんあったのですが、私は人と楽しく話すことを知らないので、「料理をどうしたらいいか? ○○の手配は? 後片付けは?」等と、パーティーを楽しむより、自らを忙しくして、楽しめない苦痛をまぎらわせてきたのです。

 私の母は決して意地悪で私との楽しむ時間をなくしたのではなく、時間に余裕がなかったのだと、以前「母の反省」をして分からせて頂いていましたが、自分の今までの態度の中に、このように出て来ていたものとは知らずにおりました。私に「楽しむこと」を示唆してくださったお義母様には、いくら感謝してもしきれません。ですから、私の小さいころに得られなかった、今の主人の実家のこの環境がとても有り難く思えるのです。私に気付きを与えてくださった甥、姪、そしてお義母様に感謝させて頂きました。また、この環境を私にお与えくださった神仏様に、心から感謝をお捧げ申し上げました。その後、出来るだけ、子供達とキャッチボールやピクニック等に出かけるようにしていますが、まだまだ、「自分のしたい事」を優先している時は反省し、思わぬところに巣食っている自我に気をつけるよう実践しております。

 1月の末、オーストラリアの小学校では新学期が始まり、私も、今までの臨時の学校での仕事のほかに、週に1日、子供の学校の図書館での仕事を頂き、嬉しく思っておりました。その頃、『ひかり』誌2008年1月号を送って頂き、冊子のぶ厚さ、内容の深さに大変感激いたしました。拝読させて頂きながら、私は「伝道」という言葉にまだひっかかるものがあることに気付きました。前に所属していた宗教団体で、他人様を折伏する心の苦しさ、その宗教団体に所属していた為に持った心の苦しさに対して、神仏様、そして自分自身にお詫びしていなかったことに気が付きました。

 ちょうどその頃、熊本のK様からお電話を頂き、以前に信じていた思想などの反省をしていらっしゃるとお聞きしました。偉大な主・高橋信次先生のご著書の中から、他力についての間違いをお導きくださっているところを何度も拝読し、反省をしておりますと、他力本願というものが、習慣や親から教えられたこと等という形で、根強く残っているのに気付きました。また、大学生活、海外での生活と、心をいかに汚すものであったか、ということにも気付かせて頂きました。そして、もっと恐ろしいことに、以前の『ひかり』誌に、丸山先生がお書きくださっていましたが、私の気付かぬうちに、「正法」が私の心の中で「他力」になってきているのではないか、「正法をしているから大丈夫」という安易な心、驕りの心が心の中に広がっているのではないか、と気付かせて頂いたのです。そのころ、少し体の調子も悪かったのですが、深く反省をすることなく、ずるずるとした毎日を過ごしていました。

 そして3月7日金曜日、「反省を怠っているでしょう?」と、天からお叱りを受けるようなことが起こりました。学校の図書館で仕事をしている間に、ドアで足首を打ち、8針縫う怪我をしたのです。この怪我はどうして、私に与えられたのでしょうか。改めて、反省の機会をお与えくださったと思い、横浜のN.U様に反省の要点をお伺いし、その時の状況から思い出すことにいたしました。

 そのとき私は、次男の通っている学校の図書館で仕事をしておりました。この学校の図書館の敷地は片側が図書館、もう一方がコンピュータルームとして使われています。昼食が終わり、全校生徒は中庭でブラスバンドを聞く予定になっていましたので、図書館には誰もいませんでしたが、コンピュータルームには、2年生の1クラスが入ってきました。

 担任の先生は「コンピュータルームが使えるのは週に1回のこの時間しかないから、ブラスバンドは聞きに行きません。それに、図書館のドアを開けておけば音楽が聞こえるから」と言って、ドアを開けたままにしておかれました。私は図書館のエアコンもあるし、2年生の小さい子にコンピュータと音楽の両方には集中出来ないのではないかと思い、担任のシャロン先生に「中庭に出てブラスバンドを聞いてきたらどうですか?」と、話してみましたが、シャロン先生は意見を変えられませんでした。私は「図書館に人がいないから、まあいいか」と思い、ドアを開けたままにしておきました。しかし、ブラスバンドが終わって、全校生徒が教室に戻っても、まだ図書館のドアが開けっぱなしになっていたので、「仕方がないな」と思いながら、ドアの止め具をはずし、後ろを向いたとたん、ドアが勢いよく閉まり、ドアの下の部分で、アキレス腱のところを深くすりむいてしまいました。

 「シャロン先生がこのドアを閉めるべきじゃなかったの?」と、彼女を一瞬責める気持ちがよぎりましたが、「どうして神様は、この場、この時にこの怪我という機会をお与えになったのでしょう」「どうしたら他の先生、生徒に迷惑をかけずに、保健室までいけるのかしら」という思いが痛みと交錯し、しばらく足を抱えてうずくまっておりました。やがてそのシャロン先生が私に気が付き、ティッシュペーパーと救急絆創膏を持ってきてくださいました。それで傷口を押さえ、とりあえず、保健室まで、片足でぴょんぴょん飛んで行きました。

 こちらの学校には日本の学校で言う「保健室の先生」という方がいらっしゃいません。事務所の方が軽い怪我の手当てをするぐらいです。ですので、事務の方達に私の大きな怪我を見せたら申し訳ない。痛いけど私が取り乱したら彼女らを慌てさせてしまう。ここで倒れてはいけない」と、ショックで自分の顔が冷たくなっているのに平静を保つのに一生懸命でした。車で病院に連れて行ってもらい、ベッドの上でお医者様を待っている間、「大宇宙大神霊・仏様、私の心に光をお与えください、私の心に安らぎをお与えください。私を助けてくださった事務の方々、シャロン先生、私を運んでくださった車、この病院、そしてまだ見ぬお医者様に感謝いたします」と心の中でずっと祈っておりました。

 こうお祈りさせて頂く事によって、平静とはいかないまでも、落ち着きを少しでも取り戻すことが出来ました。正しい祈りとはこういうものか、と改めて感謝いたしました。前の宗教(他力本願)では、おそらくやみくもにお題目をあげ、感謝の心どころか、ドアへの八つ当たりや、「これからどうしよう」という不安で自分を見失っていたでしょう。

 私の足は、アキレス腱は大丈夫でしたが、傷口を縫って頂きましたので、足先を地面につけたり、足首を伸ばしたりすることが出来なくなりました。

 家に帰ると、次男が学校の職員の車ですでに早引きで帰ってきており、家事を手伝ってくれました。有り難いことです。ハイスクールの長男はいつもの通りにバスで帰ってきましたが、掃除や洗濯をしてくれて助かりました。私は松葉杖をついたり、キャスター付きのいすに座って、家の中を動くことになりました。主人は飛行機のパイロットをしており、怪我をした日の夜(金曜日)に帰宅し、翌日の朝6時から火曜日の夜まで勤務でしたので、家にはほとんどいない状態でした。ですから、子供たちが家事を手伝ってくれました。慣れない家事を子供たちがするので、私の目から見たら、足りないところも出てきますが、せっかく私のためにしてくれているのだから、と思い、子供達には、してくれたことに対して「ありがとう」を言い、私に出来ることは、少しでもしていこうと、洗濯物をたたんだりしていました。

 怪我をして3日目、次男が夕食のスパゲッティを作るというので、台所で手伝ってもらったのですが、彼の関心はビデオにいっており、台所から一刻も早く抜け出したいという雰囲気でした。「まあ、いいか。野菜を切ってもらったし」と思い、私が中途半端のトマトソースを作り、スパゲティをゆでました。しかし、次男が言い出したトマトソースを最後までさせなかったことに、わだかまりを感じました。

 そこに、2回目のU様のメールでした。怪我をした時の心の状態について、第三者の立場に立って反省されたという、ご自分の体験をお知らせくださり、私は改めて、反省を見直しました。

 図書館のドアで足を怪我する前、「彼女がドアを閉めないなら仕方がない、私がやってあげよう」という、半ば、彼女からの御礼、見返りを求める気持ちであったこと。また、怪我をした時、「シャロン先生がドアを閉めてくださっていたら、私は怪我をすることはなかったのに」と、相手に責任転嫁してしまったことです。どうして私は見返りが欲しかったのかと考えてみましたら、それは、「自分が正しい」という自己保存の心の為でした。『自分が正しいという心がある、私心のあるうちはものを正しく見る事も思うこともできないものである』というお導きが、偉大な主・高橋信次先生のご著書にありました。「自分は正しく見、正しく思うことが出来なかったのだ。私がいけなかった」と思わせて頂いたのですが、まだ私の心の中に、シャロン先生から「ごめんなさい」と言われることを望んでいる、責任転嫁しようとしていることに気付き、どういうことなのだろうと思いました。

 そのとき、ご著書「人間釈迦 第1部」の中の、『自分以外のあらゆる存在は、自己を認識するための材料であり、魂の向上に不可欠なものであろう。親子、友人、隣人の関係を通じて、自己の魂を正しく磨いていける現象界は、天が人間に与えてくれた慈悲でなければならない』というお導きに触れ、間違いを分からせて頂きました。

 シャロン先生がドアを閉めなかったのは、決して意地悪ではなく、神様には、シャロン先生を通して、このような状態を私に起こしてくださったのだと思わせて頂くようになりました。「他人様の責任にする前に、神仏様を通して、人の存在の意味を理解しなければ、いつまでたっても、事がある度に責任転嫁をすることになる」と、神仏様には、私にお導きくださったように思わせて頂きました。丸山先生がいつも仰いますが、「神仏様は身近にいらっしゃるのです」、「人と自分の間に、神仏様を入れて見なさい」というご指導を、少し分からせて頂いたように思います。そして、まだ私は三次元の神の姿を心に持っていたことにも気付かせて頂きました。

 次男のトマトソースの件も解決しなければなりません。U様は、「第三者の立場に立って」とおっしゃってくださいました。もし私がこの立場で第三者であったなら、すぐ、「ジェイソン(次男)にやらせなさい」と言ったでしょう。次男は私が怪我をしているから、「トマトソースを作る」と言い出しながら、ビデオにとらわれて、最後まで責任を持ちませんでした。私は、火加減、味加減を見るために、ビデオを見ている間に何回も台所に呼び出しましたが、次男は「今行く」と答えても、顔は怒っていましたので、「怒ってしてもらうくらいなら、足が痛くても自分でいすに座ってしたほうが、よっぽどましだわ」と思ってしまい、結局は私が作り、「私は怪我をしているにもかかわらず、作ってあげたのよ」と、恩着せがましい態度になってしまったのです。ビデオに執着を持っている次男に、私は、「料理かビデオかどっちかにしなさい」と言えばよかったのでしょうが、そうはせず、次男の態度にわだかまりをもち、次男の責任を十分に確認せず、愚痴をはじめたのです。私の方こそ、「料理か、休養かどちらかにしなさい」ということをすっかり忘れ、他を殺し、己を殺してしまったのだと思いました。

 これらの事を反省して4日経ち、足の怪我も大分良くなりました。その間、ご著書と『ひかり』誌、『ほくりく』誌を読ませて頂く貴重な時間を頂きました。その中でも、「反省のかなめ」は、大変勉強になりました。「反省のかなめ」を拝読させて頂いて、私をここまで支え、助けてくださった家族や周りの方々への感謝の思いがいっぱいなのですが、なぜか今の私の感謝が、まだ上辺だけで、法に適った「感謝」には、程遠いように思いました。今まで様々な出来事で、私なりに反省をしてきましたが、どうしても、たどり着くのはいつも、「私は自分のことばかり考え、両親、周りの方達に感謝したこともなかった」、ということでした。自分の見方、考え方を正しいとし(これはここにこう置いて、あれはどうして、という自我)、他人様を自分の見方に引きずりまわし(どうしてこうしてくれないの、という愚痴、欲)、他人様が自分の言う通りになって、やっと満足する(やっと自分の満足いくようにしてくれた、という自我我欲。他人様のことを思いやるとか感謝の心は一切ない)という方程式が、私の長年の生活の中で習慣としてこびりついているのがやっと見えてきました。

 もしかしたら、私の見方・考え方、そして、自分の常識(当たり前)として今までしてきたことすら、神仏様の前では、正しくはないのかもしれない。とすれば、私の心はなんと狭く小さいものであろうか。そのために、今まで少しでも、神仏様には、私の心を正すような機会をお与えくださっていたにもかかわらず、その意味が解らず、「まだ足りない」と、さらに心を狭くしてきたのではないだろうか。私は、今まで反省してきても、まだ心に落ちていなかったために、違う出来事でも、本質的には同じことでまた心に曇りを作っているので、神仏様が、この怪我を通して私にお教えくださったのではないかと、私なりの結論に達したのです。「もっと細かいことまで見なさい、今まで築いてきた既成概念をもっと細かい点から壊し、心を広く持ちなさい」とお教えくださっているように思わせて頂きました。

 まだ、この怪我の意味をつかめていないかもしれませんが、偉大な主・高橋信次先生のお説きくださいました、偉大な正法という御教えがあったからこそ、ここまでやっとたどり着くことが出来ました。また、丸山先生の、月刊『ほくりく』誌(1988−90年)にお書きになられた記事は、とても私の心の支えとなりました。本当に有り難うございます。そして、主人に対しても感謝の気持ちで一杯です。主人は、フライトで忙しい中、買い物に行ったり、子供たちの世話をしたり、とてもよく手伝ってくださいました。いつもなら、「余計なことをして」とやせ我慢をし、愚痴の心を持ったりする私ですが、今回は主人の心遣いがとても有り難いものに感じました。こんな心境の変化も、やはり、正法のお蔭としか思えません。偉大な主・高橋信次先生、有り難うございます。心から、この偉大な御教えにめぐり合わせて頂いたことに感謝いたします。

 丸山先生、長いレポートをお読みくださり、有り難うございました。いつまでたっても進歩のない私ですが、どうぞよろしくお願い申し上げます。      敬具

 2008年3月17日

 (その後、もう一度、反省のレポートをお寄せくださいました。その中の一部をご紹介いたします)

 アキレス腱の怪我も治り、松葉杖なしで歩けるようになったところに、胃腸の具合が悪くなりました。仕事も休み、4日間位ほとんど何も食べられない状態でした。そこへ、『ひかり』誌2008年4月号が届き、大腸がんよりお救い頂かれ、安らかにご昇天された高齢の女性の方の記事を読ませて頂き、「私の症状に似ている」等と思いはじめたのです。私の母が50歳で胃がんで亡くなっていること、私のおばあさんもすい臓がんだったことから、「自分もがんではないか」という不安がつのり、どうしようもない心の状態になってしまいました。

 その時、月刊『ほくりく』誌1991年7月号に掲載されている、T.Y様のレポートを拝読し、私の病気の原因を反省させて頂くことが出来、お救い頂きました。Y様のレポートには、丸山先生より「肉体の不調和は、心が作り出している。その大きな原因は、『とらわれ』により『自分中心』になること」をお教え頂かれたという内容でした。病気や状態こそ違いましたが、本質は同じだ、と思いました。

 私は症状から、自分本位の考えで私の病気は悪いものだと決めつけ、不安を持ち、その不安を他人様の症状を読んでさらに拡大し、心の曇りに上乗せしてしまい、人の言うことにとらわれていました。

 そして、神の子、というのも、新たな、反省でした。私は「私達は神の子である。神の子らしく心が清らかで、毎日法に沿った生活をしていれば病気にはならないというのに、今しっかり胃腸の不調に悩んでいる、このおなかの痛みは心の痛みではないだろうか。私は、そこまで自分を大切にしてこなかったのだろうか。もし神の子ならば、今の病気は治るはずなのに、どうして不安を持つのか。不安を持つとは、今この一瞬を考えていないことであり、神の子であることに疑問を持つことになり、法に反することになるではないか」との思いに至りました。神仏様には繰り返しお詫びを申し上げました。

 そして、周りの方々への感謝も足りませんでした。足を怪我したとき、子供たちが出来ないながらも、一生懸命やってくれていたのに、私は子供達に欲を持ち、「どうしてこうしてくれないの」と心の中で愚痴っておりました。

 私は何と愚かな思いを持っていたのでしょう。周りには、親の言うことを無視したり、文句を言う子だっています。しかし、私の子はちゃんとやってくれました。私の思っているように出来ないのは、子供たちの年齢を考えたら当然なのに、心から感謝も出来ないとは、これでも法を学んでいる者といえるのか、と反省させられました。

 また、主人にも同様です。主人は、足の怪我の時から、食事の準備を文句も言わずにしてくださり、買い物も、子供たちの送り迎えもしてくださいました。周りには、ご主人様が家事の出来ない方もいらっしゃるし、まして、離婚された方には考えられないことでしょう。なんと私は恵まれているのでしょう。

 そう思いましたら、主人に対して、今まで黙ってこの法を学ばせて頂いていたこと、つまり、隠し事をしていたことが申し訳なくなり、この病気を縁として、主人に法を学んでいることを話せるような気がしてきたのです。丸山先生には、ずっと以前に、「ご主人にも是非伝道してください」とおっしゃっておられたことを思い出し、思い切って、主人に「偉大な主・高橋信次先生の法を勉強することにより、心を学び、自分の性格、心の持ち方を今より良くしようと心がけているところです」と話してみました。主人は、いったい何を言い出したのか、という表情をしておりましたが、その翌日から、主人の今までのむっつりした態度が変わり、私に少しでも話しかけてくださるようになったのです。これには私の方が驚きました。

 そうして、ようやく私は、「高橋信次先生の法を学ぶ会」に会員として登録して頂く決心がつきました。今までどうしても、他力信仰により受けた心の苦しみがあり、「伝道」という言葉を聞くと、後ろに引いてしまう自分があったのですが、丸山先生のおっしゃる「伝道」は、自分の頂いた悦びを相手にお伝えし、相手の方が法によりお救い頂かれる悦びをともに分かち合い、悦び一杯になれるものだということを、やっと分からせて頂きました。

 これからは、会員として、少しでも先生のお手伝いをさせて頂けるように、精進努力をして行きたいと思います。

 今後ともご指導賜りますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。

   (オーストラリア国クィーンズランド州 ケアンズ在住)





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