「過去・現在・未来は一点なり」をお導き頂いて

金沢地区 M.Y


 自力で正法を学修出来るように、ご著書の拝読がいかに大切かを、丸山先生には、いつもいつもお導きを頂きまして、誠に誠に有り難うございます。

 そのお陰様で私は、偉大な主・高橋信次先生のご著書の中よりこれ迄気付かなかった多くの悦びと感激感動を頂くことが出来ました。特に感激感動いたしますのは、過去からの縁生についてお説きくださっておられるところでございます。

 以前からイエス様やブッタ様の時代を懐かしく思う心がありましたが、今までにない感激を頂き、お話しせずにはいられなくなりました。この心を忘れず、偉大な主・高橋信次先生の御心から決して外れないために、まとめさせて頂き、さらに精進潔斎に向けて、御叱正を賜りたく、何卒何卒、宜しくお願い申し上げます。

 まず、感動いたしましたのは「心の発見・神理篇」の50頁に、偉大な主・高橋信次先生の御妹様でいらっしゃる星洋子様が、ご自身の過去世のことをお話しくださっておられるところでございます。

 「私の父は、ビンビーサラーラージャン(当時、中インドにあった、マガダ国の王さま)の親戚で、ガランダと申します。父はベルヴェナー(竹林精舎の意「人間釈迦・第2部」149頁をご参照ください)を、ゴーダマさま(お釈迦様)に正法流布のためにご寄進された方でございます。私の兄弟は3人で、私は末娘で通称カリナと呼ばれ、非常に甘やかされて育ったものでございます。そのために、父は良く私を連れて、ベルヴェナーへ、ゴーダマさまの説法を聞きに行ったものでございます。」と、このように星洋子様とガランダ長者様が親子であられたのですが、続いて52頁では、過去の中国でも親子でいらっしゃったことをお話しくださっておられます。

 「イスラエルに生まれられたサフィさまの後、私のご本体(星洋子さま)は五世紀に中国の広東に、林蒋という女性として生まれ、病人を救ったりしながら、仏の道を中国全土に広めたのでございます。私の父は中蒋と申しまして、インドのときはガランダ長者と呼ばれた方でございます。このときに私の弟子達の中から、観音さまといわれる人が出たのでございます。父は七世紀に弘法さまと呼ばれて日本に生まれられ、弟は日蓮さまとして生まれたのでございます。」を拝読させて頂きますと、ガランダ長者様の転生輪廻は、いつの時代も正法をお伝えする重要な使命を果たされておられることに心が打たれました。

 また、「心の発見・神理篇」138頁には、「日本にも、昔から神理を説く使命を持って生まれてきた光の天使様が多数おられる」に続きまして「8世紀には伝教大師様(釈迦牟尼仏様の分身「心の発見・科学篇」196頁をご参照ください)をはじめ、弘法大師様も出られ、伝来した仏教の中より自己の使命をお悟りになられ、やがて中国へ留学され、仏教の神理を、さらに奥義を学ばれ、帰国後仏法を日本にお広めになられたのであります。」を拝読させて頂き、ガランダ長者様が弘法大師様として、伝教大師様と共に深いご縁生を持たれた方であることに感激いたしました。

 さらに143頁でも「また弘法大師様の、インド時代は、ゴーダマ様にベルヴェナーを御寄贈されたガランダ長者という方であります。その当時のお婿様が、後に実在界に帰られて大日如来様となられたのであります。ゴーダマ様があまり愛についてお説きになられなかったため、大日如来様には、その神理を説かれたようであります。弘法大師様は心眼を持っておられ、病人に憑く憑依霊が良く分かったために、加持祈祷をなされたそうであります。般若心経秘鍵の中に『私はインドの当時、帥潟ジュセン早i霊鷲山の意・グリドラクターの山)で釈迦牟尼仏様の説法をお聞きいたしました』と書き残されておられます」と、このようにご著書(「心の発見・神理篇」143頁)の中には、ガランダ長者様が弘法大師様であられたことを何度も、そして詳しくお導きくださっておられ、また、大日如来様とも深いご縁生であられたことを知り、ますます感動とともにその転生輪廻に引き込まれていきました。

 そして「人間釈迦・第2部」の142頁から10頁余りに渡って、伝道の拠点となった、竹林精舎の経緯と御布施についての御説法を詳しくお教え頂きましたが、特に148頁では「ガランダ様の御寄進は、アモン様(イエス様の分身「人間釈迦・第1部」183頁と第3部の162頁をご参照ください)からお知らせ頂いていた。実際にお会いしてみられるとその純粋な御気持ちにブッタ様のみ心がなごまれた。アモン様の御言葉が、一つ一つ事実となって現れてくる。正道流布の体制がガランダ様の御寄進で、その第一歩を踏み出されたと言って良いであろう」を拝読させて頂きますと、ガランダ長者様も弘法大師様も、偉大な魂のお方と常に御縁生を持たれ、正法流布の御約束に御命をかけられて、お果たしになられたことが、どんなに素晴らしいことかと大変大変感動いたしました。

 仏教の流れについては、「大乗思想」(ご著書の「心眼を開く」65頁と月刊『ほくりく』誌1985年7月号、月刊『ひかり』誌1993年4月号、1999年7月号、2005年7月号をご参照ください)に、「それまでの仏教は、釈迦滅後、第1次、第2次の結集が、行われ、第2次結集の際は、口伝えの仏法が文字に書き遺されたとのことでした。第2次結集はアショカ王時代のことです」とお教え頂き、続いて中国に伝えられたことについて、1974年10月26日に神田共立講堂で開催された偉大な主・高橋信次先生の「文化講演会」の現象において、五台山(ウータイシャン)時代の中国語による御証言があり「こちらにおられる方は玄奘不空三蔵様(釈迦牟尼仏様の分身「心の発見・科学篇」196頁をご参照ください)の当時に、自分がやはり僧侶として生活しておられたことを記憶していたと言っております」「今、この方はチベットを経て、ナーランダ(マガダ国にあった都市)というインドへ自らして玄奘不空三蔵様とともに仏典を取りに行かれた当時のことをご説明しておられます」と、偉大な主・高橋信次先生が日本語に訳されてご説明しておられ、「心の発見・現証篇」の129頁でも「このときの私の守護霊は、不空三蔵という中国の密教の僧侶であった」とお教え頂きました。

 さらにご著書の「心眼を開く」の25頁で「魔に負けるな」(月刊『ほくりく』誌1983年11月号と1986年10月号、『ひかり』誌2000年6月号にも掲載されています)には、「8世紀になると最澄様(伝教大師様)が中国に留学されて、天台山で8カ月ばかり学ばれ、比叡山延暦寺に天台宗をお開きになりました。同年代には、空海様(弘法大師様)がご一緒に中国に渡られましたが、支那海(今の東シナ海)で台風に会われ、纜(ともづな)が切れたため別のところに漂流され、ウータイシャンといわれる五台山でお勉強されました。そこに2年近くおられ、密教を日本に持ってこられ高野山でそれをお説きになられました。しかし密教は仏教ではありません。仏教は誰にでも理解出来る、広く、明るいものなのです」と詳しくお教え頂きました。

 また「心眼を開く」の72頁で「参禅」(月刊『ほくりく』誌1986年12月号、『ひかり』誌1993年と1999年と2005年の10月号に掲載されています)には「真言密教も、その基礎はヨガ、バラモンです。正法からは逸脱したものです。しかし、弘法大師様は菩薩様です。晩年、霊的な諸現象が現れ、このため真言密教を仏教の正統のものと誤認してしまうのですが、そうした霊的現象は、大師様ご自身の、衆生済度の内在意識がそうさせたもので、密教そのものから生まれたものではなかったのです」と次々と重要な真実を詳しく、分かりやすく、それもご著書のいたるところで多くの頁をお使いになられてお教えくださっておられたことを分からせて頂きました。そこを拝読するたびに偉大な魂のお方とのご縁の深さ、重大なご使命を必ずや果たされるお心の強さに驚き、涙と共に感激感動いたしました。

 一般的に、弘法大師様については、文献や映画また、お遍路信仰でも国民に広く慕われる一方、批判的説も様々あり、真偽は全く分かりませんでした。しかし、偉大な主・高橋信次先生のご著書に詳しくお教え頂きましたお陰様で、真実を感動と共にお導き頂きました。

 それは、一介の僧侶が留学生に選ばれることも難しい当時、さらに遭難してもなお、広大な中国を旅し、大役を成し遂げられたお心と業績は、距離的時間的量的に不眠不休の連続としか思えないご努力と幸運に恵まれたことと解説されています。しかも、シルクロードの最新文化も必死で吸収されて、帰国後は、御名の通りに弘く(広く)法をお伝えするに当たり、飢えや病気で苦しむ多くの衆生に、ご自分を捧げられたことが資料に記録されています。

 特にそれまでの貴族などの上層部しか学べなかった当時、あの「いろは歌」を始め、月火水木金土日等の曜日を考えられるなど、庶民にも分かりやすく読み書き等を教えられ、東洋医学の民間療法、浄霊の加持祈祷、土木建設技術による灌漑工事、温泉や井戸の発掘、書では日本三筆の一人として芸術等々の全国各地に残る言い伝えをお聞きするだけでも、お救い頂かれた人々のお悦びは、どんなに、どんなに大きいことかと思うのでございます。

 今生については「ジャブドーバー」(「心眼を開く」105頁と月刊『ほくりく』誌1985年11月号、月刊『ひかり』誌1995年3月号、2001年3月号、2007年3月号をご参照ください)で「正法を流布するという前提で、日本という国が選ばれ、今日、具体的な活動となっている。そうして、ここへくるまでには、現象界の状況が絶えず見守られ、実在界でご計画されてきたものです」とお教え頂き、さらに学修会でお習いした「過去・現在・未来は一点なり」のおことばにまたまた大変感動し、遠いそれぞれの過去世の時代が、異国が、御使命が、御人物像が、日本の『今』に、しっかり一つに重なる事実をやっと分からせて頂き、驚くあまり、心は感動し奮い立ちました。

 と同時に「毎日のご著書の拝読・精進」に対して、今まで本当に感謝のない愚かな心であったと、深く反省いたしました。ご著書やご講演会のお話に照らして、本当の歴史を調べさせて頂くうちに、まるで過去世に引き戻されるようで、また楽しく没頭し、眼が冴えて、疑問には少しずつ御回答を頂ける毎日となり、自分の心にも過去の時代や体験が眠っているに違いない、こうしてはおれない、と熱く熱く思われ、この偉大な偉大なご著書にお導き頂きましたことを、改めて感謝申し上げました。

 今生、ご縁を頂いていることに対し、ただ畏れ多く、勿体無く、偉大な主・高橋信次先生とお呼び申し上げることすら、簡単に口にすべきことでない、口にしてはいけないことこそが、深く深く心に汲み入ったような一段と眼が覚めたような思いがし、心が熱く熱くならせて頂きました。

 この何とも代えがたい、貴い貴いご縁を頂くために、畏れ多くも神仏様に対して、きっときっとあらゆるお約束を条件に必死なってお願いをして、ようやく出させて頂いたものと思います。また、伝道のお約束の方々とも過去に一緒にお勉強をさせて頂いた、深い縁生を思うと、なんとしてでも、お探し申し上げて、必ずや法にお導きするよう、改めて鋭意精進努力をいたしますことを、ここに固く固くお誓い申し上げます。

 このたびの貴い学びと、幸せなご縁をご拝受いたしましたことを、畏れ多くも神仏様に対して、ひれ伏し、心から幾重にも幾重にも感謝をお捧げ申し上げ、北陸100万人伝道の尊い御使命達成に一命を捧げますことを固くお誓い申し上げます。

 (石川県金沢市・会社員)





↑ページの最初に戻る