この世から『いじめ』をなくすために 
(月刊「ひかり」誌2006年12月号より)

I.K 
M.K
   

最近、「いじめ」を苦にした子供達の自殺が相次ぎ、過日、「文部科学大臣からのお願い・未来のあるきみたちへ」という異例の呼びかけが発表されました。

私たち「高橋信次先生の法を学ぶ会」では、お導きを頂き、「いじめ」の原因は、『愛』の不足にあることを、広く皆様に知って頂きたいと思います。
 
『愛』については、偉大な主・高橋信次先生には、数々のご著書の中でお説きくださっています。私たちは、偉大な主・高橋信次先生のみ教えを学ばせて頂き、いじめについては、「いじめる子供も、いじめられる子供も、共に親の愛情を十分に頂いていないこと」また、「親から、人に対する思いやりの大切なことについて、教えて頂けなかったこと」が原因であることをお導き頂きました。

偉大な主・高橋信次先生は、「親の愛」について、ご著書の中で次のようにお導きくださっています。

人々は良く自分達にできなかったことを子供に託して、その希望を果たそうとする教育や、虚栄心による子供への束縛を原因として不調和になる場合がある。

肉体舟は確かに与えたものだろう。しかしそうした場合、その魂まで両親の独占物だと考えていることに誤りがあるということを知らなくてはいけない。

全くの親子であっても、魂は個の生命であって、自ら相違があるのだ。

なぜなら、魂も親が与えたものであり、親の分霊だと思うなら、その思考性や行為のすべては同じでなくてはならないだろう。

残念なことに、親のいうことを利かない子供が多い事実を考えなくてはならないのが現実なのである。

従って親達の、子供の環境や教育についての育成は、溺愛でなく、家柄や自己保存的な考えを捨てた純粋な心からの愛でなくてはならないということだ。

子供が自分の思った通りの道を歩くと、世間の両親の中には「あんなに可愛がって育てたのに、親の恩を忘れて、親不孝をしている」などと嘆く者達がいる。しかしこれも親のエゴイズムであろう。報いのみを求める、そんな心だから子供達は自分達の真実の道を求めて去って行くのだ。

親子相互の対話の不足を考え、子供の人格を認めてやることも親の愛というものだ。対話のない家庭の中には孤独な子供達が育ってしまう、これが現実だ。

だから両親は、子供の魂の乗り船は、互いに約束して与えたのだということを忘れてはならない。与えた、と思う心があるから、親の尺度ですべてを計り、子供に注意などをする。

親の意志に反したことをすれば、きびしく叱り、肉体はおろかその心まで束縛してしまう。

私達は、こうしたことを良く考えて、子供達を指導することが必要であろう。

最も自由自在の中で、良く心の在り方を教え人間としての道を教え、感謝と報恩の意味をさとし、両親が実践模範を示した生活環境を造り出すことが先決なのである。

純真な子供心を、素直に育ててやることが、より良い豊かな心を大きく育てる道、これが本当の愛情というものだ。

きびしく叱ることも、正しい中道の判断によれば、その真実が子供心にひびくことなのである。子供と親の対話、日々の行動が、心の交渉が、愛の心をより豊かに育てて行く。子供の心もそこで広く人々のなかに調和され、自分自身の魂を磨いて行き、円満な人格を作って行くのである。

親が子を放任し、正しい道をその愛情によって示さない生活の中で育てられた子供達は、気の毒といわざるを得ない。

たとえば学校の成績ばかりを気にしている親達の心は、自己慢心にしかすぎないということだ。

心の中の智性の領域だけが発達しても、心にゆとりがなく情緒のない人間は、人生での正しい判断すら決定することはできない。

智性は、人生をいかに正しく生きるかという、調和した生活をするための早道であって、自己保存、自我我欲の道具ではない。

智策、智に溺れるの愚を犯してはならないのである。

知性と理性、本能と感情、そして想念の領域が調和された、円満な人間に成長することが神理である。

試験、試験の人生は、自己保存的な、かたよった人格を造り出し、人間本然の心を失ってしまう結果にもなってしまう。

また本能的な領域だけが発達しても、不調和な人格を造ってしまうものである。

いずれにしても心の不調和が、想念に曇りを造り出し、神仏の慈悲と愛の光をさえぎり、ノイローゼの原因を造り出してしまうというわけである。

その暗い想念意識は、不調和な霊によって憑依され、人生を灰色と化してしまう。不調和な満ち足りぬ心の病いは、神理を悟った生活以外、修正することは不可能である。
(ご著書「心の発見 科学篇」184頁〜187頁より抜粋させて頂きました)                

当会代表の丸山弘先生は、「母の愛」について、次のようにお話しくださっています。

公園などで、子供達だけが遊んでいて、親が離れてベンチに座っているような光景をよく目にします。お子さんがお母さんを呼んでも、子供達と一緒に遊ぼうとされない、そのようなお母さん方が大変多いように思います。それは、どうしてでしょうか。

如何なる母も、我が子を愛さない母はおられないはずです。どの方も溢れるほどの愛を差し上げたいとお思いになっておられるに違いないのです。しかし愛は、思った通り限り無く降る星のように差し上げることはできないのです。何故でしょうか。それは、お母さんにも「自我」という意識があるからです。「自分中心」という心が、しっかりと心の中に居座っているからなのです。この幼い時からの「自我」という心(自分中心の思い)が、年とともに大きく成長し、善なる心(良心)を押しつぶそうとするのです。

母として、子供を抱きしめたいと「善我」なる心が思っても、もう一方の「自我」という「偽我」の心が、貴方よりもお母さんこそ疲れたわ、私こそ誰かに抱きしめて欲しいわ。慰めて欲しい、等と叫ぶのです。そしてこの二つの心の衝突により、善なる心が偽我に負けてしまい、ついついその溢れるほどの愛を我が愛する子に差し上げたいという思いが消え去っていくのです。その母の心が未熟で幼い限り、その子は、母の愛をいただくことはできません。そしてその子は苦しい一生を過ごしていくのです。やがて、その子も母親となり、やはり愛する我が子に愛を差し上げることが出来ない侭、またその子も苦しんでいくのです。(「自我・我欲」については、ご著書「心の発見 神理篇」134頁最終行〜135頁13行目及び、165頁5行目〜168頁4行目、「心の発見 科学篇」46頁7行目〜47頁11行目にお導きくださっています)

また、当会「ひかり」誌「2000年8月号28頁、北九州地区伝道だより」の中で、「母乳を飲むことが子供の発育や歯並びに、大切な役割を果たしている」ということについて、次のようにお話しくださっています。

赤ちゃんは産まれると直ぐにオッパイに吸い付きますが、それは過去世で経験があるからです。赤ちゃんが母乳を吸うのに要する時間は、一回が平均十五分ですが、母乳を飲むとき、その十五分の間に、赤ちゃんは下顎を前後になんと千回以上も動かして、汗まみれになってお乳を飲むのです。そしてそのことが、赤ちゃん自身の発育に、そして歯列の形成に大きな役割を果たし、乱杭歯(らんぐいば)などができないのです。そして母親は赤ちゃんの顔を見ながら、夜も寝ずにオッパイをあげ、「かわいい、かわいい」と愛情一杯の心で育てることにより、肉体的にも精神的にも母親にならせて頂き、母性本能が益々大きく目覚め、同時に赤ちゃんの心身も、母親の愛情の分成長していくのです。

さらに、「いじめ」、「親子の愛」について、丸山先生は次のようにお話しくださっています。

母親の愛情が不足すると、子供の心はしぼんだ風船のようになり、心が満たされることなく、それを満たそうと思い、次第に年とともに心が強く自分中心の思い、行いに向かうようになります。そして、次第に「いじめ」という思い、行いにより、心の不満を解消しようとします。しかし、それでも根本的な不満は解消しません。なぜならその不満はご両親様、特にお母様の子供に対する愛情の不足から来ているからです。心が母親の温かい愛情により満たされない限り、愛情不足という傷を心に持ったまま成長し、やがて結婚しても、夫婦の思い、行いが不調和となり、常に自分中心の「幸せでない、満たされない」等の思いが大きくなって、愛を夫にも、妻にも、子供達にも与えることを知らないため、欲しがってばかりの人間が世に溢れるようになっているのです。

したがって、いじめられる子も、やはり親から愛情が十分頂けなかったため、何事にもめげずに乗り越えていくという自力が足りないのです。両親、特に母親の愛情を一杯頂いて育った子供は、常に目が輝き、口元にはほほえみがあります。常に、心が満ち足りているからです。そのような子供は、常に勇気があります。そして、周りのお友達の面倒も、進んで見るようになります。それは常に心が温かく、心にゆとりがあり、心身共に健全だからです。

自分の子供に対して、これまでこのような溢れる愛情を一杯差し上げて来られたか、もう一度振り返って、ご著書をお読みになり十分反省してみてください。結婚したからといって、子供を産んだからといって、誰もが直ぐに優しく、温かいお母さんや、お父さんになれる訳ではないのです。子供によって、母親に、父親にならせて頂く修行の機会を常に頂いているのです。両親が円満で仲良く、限りない無償の愛情を与えながら子供を育てることにより、子供の心は丸く豊かに成長していくのです。

まずは、お子様が生まれる前、お父様とお母様が調和された円満な夫婦であったか、どうかを、振り返って反省してみてください。次に、お子様が生まれてから三歳までの間にどれだけ調和された愛情を与えてきたか、どうかについて考えてみてください。それには、夫婦が円満であったかどうかが特に大事です。でないと、子供に対して、両親の調和された愛情を与えることができないのです。偉大な主・高橋信次先生には、「大人も子供も、その心はすべて、神仏のみ心と直結している。それ故、人間はすべて自分の良心にウソをつくことが出来ないのだ。すべて人間は、神の子であり、仏の子である。あらゆる地球上の人の心は、大人も子供も、女も男もすべてが神仏の元に一つである」とお導きくださっています。如何に小さな子供であろうと、親から愛情を頂いていないことが心で分かるのです。そして、やがて恨むようになるのです。

今日特に、その親自身も、自分が小さいとき、親から愛情を十分に頂けなかった方が多いようです。そういう人は、人の親にはならせて頂いたけれど、自分の子供に温かい愛情を十分与えることが出来ないのです。

ここが原因となって、親子のトラブルを始め、夫婦の不調和、世の中に争い等の混乱が発生するようになり、社会が、国が、地球が混乱するようになっているのです。このように、両親の愛情、特に母親の愛情がどれだけ子供の健全な心作りに重要かがお解りになられたことと思います。

このことは、偉大な、偉大な主・高橋信次先生がお説きくださいました、地球上唯一の「正法神理」を学ばなければ、知ることの出来ないことであり、そうしなければ、愛情不足の侭成長した人間が増え、益々争いや混乱が増大して行くことになるのです。

それについて、ご著書の中で、次のようにお導き頂いています。

子供達は、環境や親のしつけによっていろいろと精神面も発達して行くのであるが、未だ煩悩の動きは小さい。やがて自己意識が発達し、親から離れるようになると、神仏のことや感謝の念すら忘れ去って行く青少年が多くなり、学校では学問の詰め込み主義、智のみ発達して心の教えを受けることは無に等しい環境におかれ、神の子としての本性を忘却してしまう。

年頃になると、恋愛、結婚、そして家庭、子供、隣人など、不調和な要因はますます多くなり自ら苦しみの原因を人生の上で作るようになる。そして、エゴイスティックな生き方を多くするようになり、結果に対して責任の希薄な人間と化して行く。(「心の発見 科学篇」232頁より抜粋させて頂きました)

今からでも遅くはありません。もし、我が子に対する愛情不足に気付かれたら、只今直ぐ、ご著書を拝読され、精一杯愛情を差し上げるよう努力してください。

人間は、誰もがすべて心に愛情が満たされると、如何なる困難にも立ち向かい、また一人でも多くの困っている人々に愛情を差し上げようと、神の子として、神仏のみ心の侭に、我が命を捧げて尽くされることでしょう。

また、偉大な主・高橋信次先生がお導きくださいました正法・神理を学ぶ方が、地球上に多くなるにしたがい、次第にお導きにより、「仏国土ユートピア」が誕生するのです。このことを叫ぶために、私たち、正法者は、偉大な主のお供をして、この地に出させて頂いたのです。

さあ< 只今からご著書「心の発見 神理篇・科学篇・現証篇」を「はじめての人に」により、根気よく毎日拝読しましょう。そして頂いた『愛』という悦びを、地球上の一人でも多くの人に捧げましょう。




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