17年間半身不随の父が頂いた奇跡の数々 
(月刊「ひかり」誌2006年11月号より)

M.K 
   

 丸山先生、ここ2〜3ヶ月の間、まるで本当の主治医の先生のようにいつも両親の事を気にかけてくださり、愛情一杯のご指導を頂きまして、有り難うございました。
 この度、17年間半身不随であった父を、神仏の御業により治療くださり、また両親の不調和、そして兄の供養まで、沢山の奇跡とご指導を頂き、有り難うございます。正法に出会えた幸せを日々実感し、感激感謝申し上げております。

 初めて先生にお目にかかりましたのは、今年の1月だったと記憶しております。その学修会で、先生が「明日までご両親様が生きている保証はないのですよ。皆さん今日帰られたら、是非直ぐにご両親様に伝道してください。それが一番の親孝行です」と、熱くお話しされたのが、とても心に響き、いてもたってもいられなくなったことを覚えています。

 私の父(現在79歳)は、17年前の8月、脳梗塞で倒れ左半身不随となり、ここ数年はほとんど寝たきりの状態でした。自宅で介護する母も70歳を越え、先の見えない不安と疲れから、父と母はいつも衝突し、険悪なムードが流れておりました。「このままでは二人とも地獄に堕ちてしまう。両親の心を救い、苦悩から解放するのは正法しかない、すぐに正法を伝えなければ」と焦りました。しかしなかなか伝道はうまくいきませんでした。父も母も「宗教はダメだ!」と言って、ご著書を読もうとしてくれませんでした。丸山先生にご相談し、ご指導通り偉大な主・高橋信次先生のご講演のテープ「1975年 中京6月講演会『正法と現代宗教』」を両親が聴かせて頂いてからは、「このお方は、本当の事を言っていらっしゃる」と分かって頂きました。
 そして6月に兄の七回忌を迎えるのをきっかけに、丸山先生からの「一番の供養は、残された家族が心を正して正法の生活をすることです」というご指導を頂き、初めて、両親も亡くなった兄の供養にと、ご著書を拝読してくれるようにならせて頂きました。兄の七回忌の当日には、丸山先生のご指導通り、両親と私の三人で「心行」を上げさせて頂き、偉大な主・高橋信次先生のご講演のテープ「1975年 GLA熊本研修会」を拝聴させて頂きました。両親とも「とてもいい供養になった」と本当に悦んでくださいました。

 兄は16歳のとき、「てんかん」を発病し、31歳のとき、一人暮らしのアパートで、発作を起こして亡くなりました。突然の死で、父も母も未だ受け入れられず、遺骨をお墓に入れることが出来ない儘、仏壇の中に置いてありました。一度母が兄の姿を家で見ており、その時は「お母さん、僕どこへ行ったらいい?」と言って消えたそうですが、それで兄がまだ迷っているという事を、両親は実感しておりました。それもあって、両親は本当の供養の仕方を求めていたのです。

 そのうち、父がご著書に感動して一心に拝読するようになりました。すると寝たきりだった父が日に日に元気になり、さらに母に対し「今まで感謝が足りなかった」と言って、母に御礼を言うようにならせて頂きました。私も母も、偉大な主・高橋信次先生のご著書による大きなお導きに大変驚きました。

 ところが、7月9日頃から、父は持病の前立腺が急に腫れて、尿が出にくくなってしまいました。日に日にひどくなり、7月11日に、以前(4年前)レーザー手術を受けた大学病院に運ばれましたが、検査の結果、医師より「今回は以前よりずっと大きく肥大しており、体の負担が少ないレーザー手術では効果は見込めないため、通常の手術をしなければ治療は難しい。しかし、高齢でもあり手術中に脳梗塞を起こす可能性が高いので、手術はせずに薬で様子を見ましょう」と言われ、家に帰ることになりました。その時の尿は真っ黒で、排尿時には激痛で父は顔をしかめておりました。尿がほとんど出ないため、肌着が汗ですぐにびっしょりと濡れ、日に何度も下着を替え、夜は何十回も尿意で目覚め、熟睡出来ない状態でした。

 父はレーザー手術を受けられなかったことで失望しておりましたが、この医師のお陰様で手術をしなくてすみました。今思えば、その日は不思議とご光輪を何度も拝見させて頂きました。父を病院に運ぶとき、それはそれはきれいな大きいご光輪を拝見させて頂き、その後手術を受けずに病院から出てきたときも、とてもきれいなご光輪を拝見させて頂きました。偉大な主・高橋信次先生がお見守りくださっていたのではないかと、思わせて頂きましたが、そんな畏れ多いことを考えていいのでしょうか? その日はご光輪を拝見させて頂いたことで、沈んでいた心も晴れやかにならせて頂きました。

 そして、手術を受けられなかったことが、母を福岡の学修会に参加させて頂けるきっかけとなりました。父も母も、もう丸山先生にお縋りするしかない、と強く思ったようです。父が母に「学修会に行って、丸山先生にお願いしてくれ」と申しまして、母も父のために頑張って7冊のご著書を拝読し、7月15日の福岡地区学修会に出席させて頂きました。学修会で、先生に母が相談させて頂きましたら、先生はなんと、金沢に帰ったらすぐにお電話で光を送ってくださると仰ってくださいました。私も母と大喜びで帰りました。母はその日、学修会で発表させて頂いたとき、勿体なくも、丸山先生から、神仏の「ひかり」を入れて頂きました。お陰様で、手術しようと思っていた白内障が良くなり、歯痛も肩の痛みもすっかり消えてしまい、大変驚いておりました。お陰様で、その後は目の痛みを訴えることもなく、ご著書が拝読出来ると悦んでおります。

 そして7月17日、医師である夫も同席し、もう一人の兄もビデオを持って駆けつけ、皆が見守る中、父は受話器を耳に当て、丸山先生を通し、偉大な主・高橋信次先生の偉大な「ひかり」を頂きました。丸山先生は、まず父を浄霊してくださり、そして父の60兆からなる肉体細胞の意識に対し、残されたこの魂の修行のために復活し、協力するようお話しされました。そして、ある薬草の種を小さじ一杯と珈琲一杯を一日に一回飲めば一週間で完治すると仰いました。私は初めて聞く薬草の名だったので、どのような物かお尋ねすると、先生は「今お導き頂いたもので、私も初めて聞きました。あなたのご主人様がお医者様ですから、調べてもらってください」とおっしゃられ、本当に驚きました。偉大な主・高橋信次先生御自らの処方箋だったのだと分からせて頂いたとき、感動で心が震えました。本当にいつも近くにいらっしゃるのだと、強く思わせて頂きました。

 そして次の朝、私たちは大奇跡を目の当たりにすることになりました。それまでは、尿がどんなに多い時でも300t出ればいい方だったのが、その朝はなんと1200tも出ていました。それだけではなく、痛みがほとんどなくなっていて、父は本当に驚いておりました。あれだけ腫れていた前立腺が、一夜にして治ってしまったのです。

 2日目には、痛みもほとんどなくなり、気分爽快だと言うようにならせて頂きました。

 3日目には、排尿時の痛みは完全に消えました。今まで前立腺が腫れていたせいで排便も困難になっておりましたが、これも「ひかり」を頂いたお陰様で、スムーズに出るようになりました。

 そして4日目には、濁っていた尿が透き通ってきました。「透き通ってきたと言うことは、感染や炎症が治ったのかもしれない」と夫から聞かされ、びっくり致しました。そうして日を追うごとに劇的に回復し、偉大な主・高橋信次先生のおっしゃられた通り、1週間目には、病気になる前より遙かに良い状態にまで回復致しました。光を入れて頂いた日から、病院で処方された薬は一切飲んでおりません。本当に考えられないような大奇跡を頂き、深く深く感謝申し上げております。

 その後、父は体全体が元気になり、軽々と立ち上がれるようになりました。今まであきらめていましたが、また父が歩けるようになるのではと母と大喜びしておりました。しかし、なぜか8月20日から高熱が出て食事も受け付けず、日に何度も大量の便が出るという状態が始まりました。母は1週間近くも絶食状態の父を心配し、父に入院して点滴を受けるように強く勧めました。しかし父は「これは、偉大な主・高橋信次先生のご治療だから心配はない。入院したら申し訳ない」といって入院を拒否しました。それでも私は心配になり、8月26日の朝、また丸山先生にお電話をさせて頂きました。丸山先生は富山地区学修会の当日で、お忙しい中にもかかわらず、再度父に「ひかり」を入れてくださり、左半身の肉体細胞の意識と、五臓六腑の意識に対して、復活するよう次々お話ししてくださいました。その時も、夫が同席しておりましたが、丸山先生のお電話を受けさせて頂いている父が、みるみる間に顔が元気になっていく様子を見させて頂いて、正法の偉大さに、夫は大変感激しておりました。

 その後も氷をなめるだけという状態が続きましたが、不思議なことに、本人は気分がよく、意識もはっきりしているのです。父は、「天から、エネルギーをもらっているような気がする」と言いました。『心行』の中にある「意識のエネルギー源は調和のとれた日々の生活の中に神仏より与えられる」という事を見せて頂いたのでした。そして、「何も食べていないのに便が大量に出るのは、腸の細胞が復活して腸の働きが活発になっているとしか考えられない」と夫に言われ、びっくり致しました。父は幼少の頃から胃腸が悪く、今回頂いた「ひかり」と絶食で、胃腸が根本的に治療されたように思いました。最期の方には、タールのような便が出てきました。宿便でした。そして今は、これまでに見たこともないくらい、立派な便が出るようになりました。

 それに、シワシワだった顔や体が艶やかになり、若返ってきました。さらに、麻痺して紫色になり、氷のように冷たかった左足が、健康なピンクがかった肌色になり、温かくなりました。それに、強く触ると「痛い!」と言うようになり、今まで何の感覚もなかったのに、感覚が復活して、本当にびっくりしております。どんなに正法が偉大でも、17年も麻痺していた神経が、約2ヶ月で復活するということはとても考えられない事でした。本当に本当に大奇跡を頂いたのです。

 父の絶食は、始まってから2週間ほどで終わりました。後で丸山先生から、「私も命がけでお手伝いさせて頂きました。もしあなたのお父さんが亡くなられたら大変ですからね」ともったいないお言葉を頂きました。それに「偉大な主・高橋信次先生をお信じ申し上げて病院に行かなかったなんて、なかなか出来ることではありません。本当に、高橋信次先生を深く信じていらっしゃいますね」と褒めてくださいました。

 その後、徐々に食事を増やしながら、父の体力が戻るのを待っておりましたが、丸山先生から「お父さんが回復するのを邪魔しているものがあります。何か今までに信仰していませんでしたか? 亡くなった息子さんも、それが影響して、光明の世界に帰れず、苦しんでおられます」とご指導頂き、今までの信仰や思想等をいろいろ思い出すことや、関係の品がないか探す作業を致しました。

 すると、父は母と結婚する前にある新興宗教に入っており、結婚後2年ほどでやめていましたが、またその後両親は「龍神様」にいろいろ相談に行き、その龍神様という人が書いた掛け軸が家にありました。そして、亡くなった兄が、「てんかん」を発病する少し前から、ある霊感師が家に出入りするようになっていました。その人が書いた占いの本も家にありました。その他、最近テレビに出ている有名な霊感師の星占いの本もいくつかありました。丸山先生にお伝えすると、先生から「他にも仏像やお札、お守り、神棚なんかはありませんか?そういうものがあると、その物を縁としてそこに不調和な霊が住むようになります」とご指導頂き、さらに、いろいろ家捜しをし、宗教・思想に関係ありそうな品々をいろいろ探し出しました。そして神棚も、つい数ヶ月前に大工さんに作り直して頂いたばかりでしたが、思い切って取り外すことに致しました。そこに神棚があったことを思い出すだけで、かつてそこにいたものが帰ってくると、丸山先生からお聞きしたからです。

 そしてそれらの品々を仏間の応接台の上に並べ、丸山先生から、お教え頂いたとおりに、新鮮な卵を約10個お供えし、夫と母と三人で『心行・祈願文』を上げさせて頂いてから、教えて頂いた浄霊文を拝読致しました。

 「皆様には長年大変お世話になり、有り難うございました。この度私たち全員、偉大な主・高橋信次先生がお説きくださいました神理・正法に帰依致しましたので、只今から○月○日いっぱい、生卵をお供えし感謝申し上げます。○月○日には、これらの物を物質として一般のゴミとして出しますので、何卒それまでに元の所にお帰りください。長年お世話になりまして、有り難うございました」と言って、その後毎日それらの前で『心行』を上げさせて頂きました。そして、それらをゴミとして出す朝のこと、滅多に夢を見ない母が、はっきりとした不思議な夢を見ました。仏壇のある部屋が騒がしいので行ってみると、5〜6人の背広を着た男(顔は人間のようではなかったそうです)が宴会をしていたと言うのですが、一人は人間ぐらいの大きさ、他は皆犬ぐらいの小さい人たちで、母が「うるさいわね」と言うと、窓から一斉に出て行ったそうです。母はその夢をみて起きた瞬間、「あんな者達が今までこの家に住んでいたんだわ。早く追い出さなくては」と思い、『心行』を上げさせて頂いてから、ゴミとして出したそうです。

 そしてほっとして家に帰ってきて電話の前に座った瞬間、電話が鳴り、こんなに朝早くに誰かしらと思いながら電話に出ると、「金沢の丸山です。今ゴミを出されてほっとしていますね。ご苦労様でした」という電話を頂き、母は本当にびっくりし、私に「丸山先生は全部お見通しよ!」と興奮して電話をしてきました。私も本当にびっくり致しました。それから、丸山先生からお聞きしていた通り、今まで暗く感じていた仏間を始め、家中が大変明るくなり、神棚があった部屋も大変居心地が良くなりました。

 そしていよいよ「兄の供養のため」の「引導文」を作成することになりました。丸山先生から頂いた基本文を参考にしながら、兄のことを想いながら作らせて頂きました。私の作った文章を先生にFAXで送らせて頂くと、その数時間後には、先生からいろいろ添削を入れて頂いた文章が返信されてきました。私が使っている「反省」という言葉に対して、もっと分かりやすく説明を加えるようにご指導頂き、「反省とは中道を根本とした善意の第三者の立場に立って……」と付け加えてまた先生にFAXさせて頂きましたところが、また「中道」とはについてご指導を頂き、またその中道の説明を入れさせて頂くために、何時間もご著書と首っ引きになりました。こんなにしっかりご著書を拝読させて頂いたことはこれまでありませんでした。

 このようにして、いろいろ次々とご指導頂き、やっと正法を何も知らない兄が聞いても理解出来るような、素晴らしい「引導文」が出来上がりました。最初は4枚程度だった原稿が、出来上がったときには14枚にもなっておりました。この間先生には、三日間ほど、夜も寝ずに私の「引導文」のご指導をして頂き、本当に本当に有り難うございました。先生は「人のお世話をさせて頂く時は、何日も自分のことを忘れてするものです」と仰ってくださり、本当に先生の愛の深さに、ただただ感激して涙が止まりませんでした。先生にとっては、何の関係もない私の兄のことなのに、それも無所得で、こんなにも一生懸命、寝る時間も削ってご指導くださる丸山先生という偉大な師に巡り会えて、本当に本当に幸せです。心より感謝申し上げます。

 それからすぐに、出来上がった「引導文」を両親に届けさせて頂きました。両親は「今までお寺に沢山お金を払って、いろいろ供養してもらったけれど、何にもならなかった。でもこの『引導文』なら、きっとあの子も分かってくれると思う。やっとあの子を光明の世界に送れる」と言って大悦びしてくださいました。その日から両親も私達夫婦も、この「引導文」を毎晩上げさせて頂いております。すると、父の体調にまた変化が起こるようになりました。「引導文」を上げさせて頂いた次の日から、目覚めが特に良くなり、これまでベッドの上で用を足していましたが、ベッドから降りてポータブルトイレに移って用を足せるようにならせて頂きました。それから、また日に日に気持ちが元気になり、今は「金沢に行けるようになりたい」と言って、自分で立つ練習を始めました。私も「引導文」を拝読してから心が軽くなり、目覚めが良くなりました。本当に「引導文」を拝読させて頂くことにより、こんなにも目に見えて変化があるのだと驚いております。きっと兄も光明の世界へと進んでいるのだと、思わせて頂くようにならせて頂きました。

 そして先日、母の誕生日だったのですが、父が母に「私はとても我が儘で、いろいろ苦労をさせた。すまなかった。私は正法を学んで、これから我が儘を出さないように努力するから、どうかこれからも宜しくお願いします」と言ったのです。あんなに頑固だった父が、こんな事を母に言うなんて信じられません。病気が治ったことも奇跡ですが、今までの父を知っている私としては、父の心の変化の方がもっと奇跡です。あんなにいつも険悪なムードであった両親が、今では「結婚して良かったね」等と言って、微笑み合うようにならせて頂きました。母が介護の苦労から解放されるのはいつだろう、父が亡くなった時だろうか等と思っていた頃もありましたが、そうではないことに気付かせて頂きました。本当に解放されるのは、お互いの心が正法により調和される時だったのです。こんな日が来るとは、夢にも思ってはおりませんでした。

 この3ヶ月という短い間に、沢山の奇跡を頂き、またいろいろ勉強をさせて頂き、正法の偉大性を、改めて心に深く感じさせて頂きました。そして、正法でしか本当の供養は出来ないことも、ようやく分からせて頂きました。父も「これまで生きてきて一番の悦びは、偉大な主・高橋信次先生の正法に出会えたことだ」と言ってくださいました。母も「これは宗教ではない。本当の神仏のみ教えである。この世を救えるのは正法しかない」と言ってくださるようになりました。私は今、何よりも正法を勉強させて頂いていることを、最大の誇りに思っております。

 これからも、偉大な主・高橋信次先生のみ教えを信じ、丸山先生のご指導を信じ、法を正しく心に入れ、一人でも多くの方にお伝え出来るように、一生懸命頑張っていきたいと思います。

 大宇宙大神霊・仏様、偉大な主・高橋信次先生、本当に本当に有り難うございました。

(熊本県合志市・主婦)



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