有り難うございます 有り難うございます 
(月刊「ひかり」誌2006年4月号より)

R.A
   

 私達夫婦は、学生時代より6年間の交際の後結婚いたしました。昭和59年に長男が誕生、昭和60年に次男が誕生し、昭和63年に待望の女の子が生まれました。幸せ一杯の生活をしているように見えましたが、主人は、次男が生まれる頃より毎晩お酒を飲んで帰ってくるようになりました。私は、生活の変化に戸惑っておりました。主人の母と同居しておりましたが、母も私に大変気を遣ってくださり、私も気を遣いすぎてギクシャクしておりました。主人は、お酒を浴びるほど飲んで帰ってくるようになりました。主人と私の仲もお互いを思いやる気持ちが無くなっていきました。

 娘が生後6ヶ月になる頃、私がおぶっていると突然いつもと違う動きをしたので、鏡に娘を写してみると、いつもとは全然違う表情でした。主人は家から1時間半ほどかかる所に仕事に行っておりましたので、会社の従業員の人にお願いして1時間ほどかかる豊田市の大きな病院へ連れて行ってもらいました。即入院、検査の結果「結節性硬化症」と診断されました。私一人でその病名を聞いても、あまりのショックで病名が覚えられませんでした。その病気は、何所にでも石灰質の物ができていく病気だと聞かされました。娘は、頭の中と目の中にできておりました。頭の中のものは、てんかん発作を起こし、目の中のものは、血管や神経を傷つけると失明すると説明されました。10日間ほどで退院出来ましたが、私は子供たちの前では、泣くことも出来ず一日中打ちひしがれておりました。夜も眠ることが出来ず、ずっと涙を流しておりました。子供たちがいない所で、主人と二人で大きな声を出して泣いたこともありました。そのころから、主人は家に居る時間が多くなりました。

 そんなころ、神戸に居る叔母さんからの電話で、「奇跡が起きるのよ」という言葉を聞き新興宗教に入ることになりました。すぐに名古屋支部の責任者に毎日参拝に来るように言われ、私は昼間、長男を保育園に届け、次男と娘を連れて、主人は夜、家から1時間半の道程を毎日行っておりました。ただ娘が助かると思い、苦しくてもつらくても周りの人の反対を押し切り、家事をする時間も無く、子供の世話も出来ない生活を10年以上もしておりました。まったくそこには安らぎはありません。一日でも休めば、上の人から叱責、嫌味を言われ、お金を集めるために人を集めるように言われました。

 娘が3歳のころ、一旦病状が治まり薬なしで生活出来るようになりました。その新興宗教は、病院へ行くことを嫌い、薬を飲むことは罪悪という教えでしたので、それ以来病院へ行くことはありませんでした。娘が小学校6年の正月、また突然強い「てんかん」発作が起きました。2週間ほど家で看病しておりましたが、発作は治まらず、我慢出来無くなり病院へ行き、赤ちゃんの時に診察して頂いた医師に診て頂きますと、「この病気は3歳ころ一旦治まり、また10歳ころ症状が出るのが特徴です」と言われました。

 私達が信じていた神様のおかげではなかったのです。体から力が抜けました。あんなに辛くても、娘のためと思いやってきたのに、悔やんでも悔やみきれませんでした。それ以来、その宗教とは縁を切りました。そこでの10年間は、身も心もくたくたになりました。疲れきった私の体調は優れず、よく寝込んでいました。病院へ行き検査の結果、卵巣膿腫と子宮筋腫の手術をすることになりました。娘と私の病気、大阪の大学へ行くことになった長男のこと、どうしようも無い気持ちでTさんに電話しました。Tさんの旦那様の体調が良くなったことを指圧の先生から聞き、良い治療院でも見つけたのか聞きたいと思いました。奥様から聞いた言葉は、「心が良くなったからですよ」何を言っているのか分かりませんでした。何年か前に頂いていたご著書「心の発見」のお話をしてくださいましたが、私は辛い宗教経験があるから、本も読めずにいたことをお話しさせて頂きました。「前のところとは全然違いますよ、自分を生かし他を生かすところなんですよ」そう言ってくださいましたが、私は何度もお断りいたしました。

 何度目かの電話の時、「丸山先生が、国立病院へ行かれたらと仰ってますよ」その言葉が心に残りました。私は3箇所の病院を回り、一番信頼出来る医師に診て頂いたのに、なぜ国立病院なんだろうと思いました。一度その方にお会いして見たいと思いました。次の日曜日が大阪地区の学修会でした。Tさんご夫妻が、主人と私と娘を連れて行ってくださることになりました。学修会が始まる前に丸山先生が、私達にお会いしてくださるということで、少し早めに会場に着きました。会場のあるビルの社員食堂でお会いさせて頂きました。なれない私達が準備に手間取っている間、丸山先生は、おうどんのどんぶりを前にして、にこやかに待っていてくださいました。私たちの話をいろいろ聞いてくださり、「あなたは正直な方ですね、ご両親様の愛情を十分頂いておりませんね」と私に言ってくださいました。なぜか涙が溢れて来ました。今まで片意地を張って生きて来ましたが、力が抜けたように思いました。その後出席させて頂いた学修会で、丸山先生が皆様一人一人に本当にお優しい心の込もったお言葉を掛けられているのを拝見して、また涙が溢れて来ました。

 丸山先生は私と娘に、光を入れ浄霊してくださいましたが、以前の宗教でも信者同士が浄霊といってそのようなことをしていましたので、少し嫌な気持ちがいたしました。でも何故か心が安らぎ、帰りの新幹線の中では、また学修会に行かせて頂きたいと思っておりました。心待ちにしていた浜松の学修会に行かせて頂きました。丸山先生はお会いする度に、私と娘に光を入れ浄霊してくださいました。その後学修会に行く度に、娘と私の病気のことを発表するように言われ、心がどんどん軽くなり温かくなっていくのを感じました。丸山先生は、私の病気に対して「手術をしなくてもよいのではないでしょうか」と何度も言ってくださっていました。でも私はそれを聞くことが出来ず、病院へ行って手術の日取りを決めてきたことをお話ししましたところ、先生は、私に「もう一度国立病院の医長先生に診てもらってください」と言われました。

 すぐに国立病院へ行き、診て頂くと「この状態では手術はしません、手術は命懸けでするものです。よく考えてください」と診断くださいました。このとき初めて私は、大宇宙大神霊・仏様は、本当にいらっしゃるのだ、私は、今までただ心が軽くなった、体が楽になった等と喜んでいたけれど、違うんだ、本当に神仏様はいらっしゃる、ということをその時初めて分からせて頂きました。すぐに病院から丸山先生に電話をさせて頂きました。丸山先生は大変喜んでくださいました。それからどんどん私の体調も良くなり、子宮筋腫も小さくなってきました。これまで長年よく寝込んでいた私は、まったくそのようなことは無くなり、毎日元気でいられるようになりました。大宇宙大神霊・仏様有り難うございます。このことを通して、大宇宙大神霊・仏様がいらっしゃることをはっきり分からせて頂きました。

 娘も、私たちと一緒にずっと学修会に参加させて頂いてきました。大宇宙大神霊・仏様、会場の皆様には大変申し訳ないことでしたが、長年学修会の間中座ったまま、顔を伏せていました。浜松地区のお世話人の皆様、また名古屋地区のお世話人の皆様を始め、法友の皆様が優しいお声をお掛けくださり、皆様にお会いするのが大変嬉しく、悦びと感謝一杯で参加させて頂いて来ました。皆様方のお蔭様で、娘も毎月休むことなく参加させて頂き、今日まで来させて頂けましたことを深く感謝申し上げます。

 昨年の1月、丸山先生が、娘のことを心配され、将来のことをお聞きくださいました。月に何度か発作があるけれども、犬の訓練士になりたいと思っており、そのために家から離れた名古屋の学校に行きたいこと、親としては心配でどうしたらよいか迷っていることをお話しさせて頂きました。丸山先生は、「もう大丈夫ですよ。どんな学校にでも行けますよ。それには、ご著書を拝読することが出来たら良いですね、今年はきっと良い年になりそうですね、絶対に乗り越えられますよ」と大変嬉しいお言葉を頂くことが出来ました。私は、夢の中で聞いているようでした。「大丈夫ですよ」「絶対に乗り越えられる」何度も何度も心の中で繰り返しました。

 「F、丸山先生が絶対に乗り越えられると言ってくださったから絶対大丈夫よ。大宇宙大神霊・仏様にお縋りして今後も頑張ろうね」と、ただただ嬉しくて嬉しくて親子共々涙が溢れました。その日から娘は一心に、ご著書「人間釈迦」を拝読させて頂くようになりました。素直な娘の姿を見て、私もこうしてはおれないと、「ほくりく」誌、「ひかり」誌を第1号より毎日必ず一冊ずつ読ませて頂くことを決めさせて頂きました。毎日バックナンバーを拝読させて頂く時間が楽しみで、心がワクワクしながら主人が帰るのを待って、「今日はこんなことをお教え頂いたよ」等と報告しました。しばらくして、丸山先生から家族三人で「偉大な主のおことば『光の器を』、『心行・祈願文』、『健康祈願文』、『心行三回』」を、毎夜必ず拝読させて頂くことをご指導頂き、直ちにその日から実行させて頂きました。初めは三人の調子が合わず大変でしたが、すぐにお互いのことを思いやる心で、拝読させて頂けるようにならせて頂きました。さらに、生活の中でも不思議と、家族の会話が増えて行きました。

 今までは、Fが発作状態になったときは体を抱きしめてあげることしか出来なかったのですが、丸山先生のご指導を頂き、「大宇宙大神霊・仏様、当体に光をお与えください。心に安らぎをお与えください。当体を一切の魔よりお守りください」と、祈らせて頂き、Fは直ぐに目を閉じ、眠らせて頂けるようになりました。発作の後の頭痛も無く、どんどん発作の回数が減っていくようになりました。大宇宙大神霊・仏様、有り難うございます。有り難うございます。

 娘の学校を決めるため、専門学校二校を下見に行き、どちらにするか考えていたとき、警察犬訓練所の所長さんにお会いすることが出来ました。娘が訓練士になりたがっていることをお話しさせて頂くと、「家に来れば」と言ってくださいました。病気のこと、体調のこともお話しさせて頂きましたが、「どんな方法でもあるから、その時に考えていきましょう」と何度も言って頂き、お世話になることになりました。娘の一番望んでいた仕事でした。この不思議なお計らいも、偏に、大宇宙大神霊・仏様のお導きを頂き、所長さんに会わせて頂いたお蔭様と思わせて頂き、その有り難い幸せに、身体の震えが止まりませんでした。何度も何度も、大宇宙大神霊・仏様に対して、幾重にも深く感謝をお捧げ申し上げました。

 今年1月の名古屋地区学修会の時初めて、娘から悪霊が出て行ったことを教えて頂きました。初めて丸山先生にお会いした時、「娘さんの中に何者かが入っていて、これを私如き未熟者が取るとお子様の命が危ない。これは病気ではなく、現代医学では治せない。当分このままで行きましょう」と教えて頂いておりました。その時初めて、先生より、私達に「長年の間よく頑張りましたね」と、大変嬉しいおことばを頂きました。先生のおことばを信じ、大宇宙大神霊・仏様にお縋りし、お蔭様で今日を頂いたのでした。

 主人の母も、私が法に触れてから、変わったと言ってくださり、ご著書と、毎月の「ひかり」誌を喜んで読んでくださっております。私達家族は、「大宇宙大神霊・仏様」にお救い頂きました。賜りましたこの偉大な奇跡を、周りの一人でも多くの人達にお話し申し上げ、法をお伝えさせて頂きます。

 丸山先生、5年もの長い間、いつもいつもFの平安を祈ってくださり、さらに一杯の愛を有り難うございます。法友の皆様、いつもお支えくださり有り難うございます。心から深く深く感謝申し上げます。

 有り難うございます。有り難うございます。

(豊田市・主婦)



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