1976年5月2日〜5日
GLA青年部研修会(富士緑の国民休暇村において)

「正法の流転」

偉大な主・高橋信次先生ご講演



 去年に続いて、この場所で皆さんとともに神理の勉強をすることができましたことを嬉しく思っております。本日の演題は、正法の流転と言いましょうか、神理がどのように伝わって来たのか。そして現在どうあるのか、この問題について語ってみたいと思います。

 ちょうど今から、三億四千数百年前、私達は地球上よりはるか離れた、数億光年先の最も調和されたベーター星という星より、脱出し、円盤に乗りまして、年若き調和された緑に包まれた地球上に、円盤に乗ってまいりました。それは現代のアフリカ、ズーッと北の方にあるところのエジプト、エルカンターレーというところです。ナイル川の三角州より少しスエズ運河に近づいたところ、その場所が最初のエデンの園でありました。

 その当時エルランティーと言われる天上界の責任者が、七人の大天使達を連れて来ました。その時に、ミカ、ガブリ、ラファエル、この様な人達、ルシェ、彼等が地上の世界において調和されたユートピアを創られた当時は、その功績を讃えて、ガブリエル、エルの字を全部与えました。ラファエル、あるいはまたミカエル。エルというのは神の光、神の心そのものであります。

 その大天使達は、全部神の光を受ける、パワトロンというものを全部つけておりました。そして当時は、人々の心も既に調和されておりましたために、天上の世界と自由に交渉を持ち、肉体を持ちながらして、すべての事を見通し、未来のことまで分かっておりました。

 その当時、一部分の船団でまいりました中から、エデンの園において、規律を乱す者達がありました。その一部分の人々は、その責任者であるところのミカによって、他の場所でよく反省し、自らを造り直すために、彼等はその場所を離れました。しかし彼等は、ついに音信不通になり、これが後においての伝説となるエバの問題です。

 我々の正法は、最初において、この地上界に法の種は蒔かれて行きました。時代が進むと同時に、我々の肉体を持った子孫を主体とし、自我が芽生えるとともに、すでに地上界と天上の世界の交渉は絶たれ、その間において、大きく七回の天変地変を体験しております。

 この地上界において、ルミジア大陸にしても、ムー大陸にしても、アトランティス大陸にしても、代表的な大きな天変地変を人類は体験して来ております。アトランティス大陸の当時においては、イエス・キリストの前身であるところのアガシャーが、失われた人々の心に、偉大なる人間の道、愛、慈悲の道を説いて行きました。

 しかし彼は、当時の魔女狩りにあって、多くの仲間を引き連れて再び、現代のナイル渓谷に逃げてまいり、70数カ国の元首を集めて一つの帝国を創り上げました。そこでユートピアを創って行ったのです。

 その当時はまだ人間の心の偉大性を知り、人々はその道を遵奉し、調和された社会を創ろうとして努力し、多くの文明を築いて行きました。しかし人間は、その文明の栄えるに従ってますます、物に溺れ、地位や名誉に溺れ、完全なる神の子の本性を失ってしまったのです。

 そのために、今から三千五百年ばかり前、現代のギリシャに、アポロという光の天使ミカエルを出したのです。ミカエルはアポロと名乗り、やがて自らを悟り、人間の人生における目的と使命というものを多くの衆生に教えて行きます。そしてギリシャのエーゲ文明を創り出していったのです。アポロの教えはやがて東洋に伝わり、バラモンとなり、現代のインドに伝わって行きます。

 必ず光の大指導霊達がこの地上界に肉体を持つ時には、次々と、次にバトンをタッチする人達を予言して帰らなければなりません。そのために、天上の世界から、やがて東の国にゴーダマ・ブッタが生まれることを、アポロは予言してこの世を去って行きます。

 既に千年の歴史を過ぎ、その教えは再び化石化され、一部分の人間の独占するところとなり、ゴーダマ・ブッタはまたその道を説くようになります。

 一方において、今から三千百五十数年前は、あのエジプトにおいて、モーゼを送り込みます。時のファラオは、その権力によって、モーゼの多くの仲間達を滅ぼそうとします。彼は天の命により、その使命を遂行するべく、イスラエルの民をカナンの地に導くために、天上の世界のヤハヴェによって導かれて行きます。

 当時の信仰は、やはり同じように、間違った多くの他力信仰がありました。そのために、真の道というものは、十戒として、あのシナイ半島の山に、モーゼ達の前で現象を見せたのです。

 「汝、偶像を崇拝することなかれ。汝をカナンの地に導きしは、我ヤハヴェなり。この地上界にあるもの一切全て、神と祭ることなかれ。その本質は、その力は、全てヤハヴェなり」この様にして道は説かれて行きます。

 混乱した家庭環境、一つの歪みを直す上においても、「汝ら両親に対して孝養をつくすべし」人間としてこの地上界に生まれた以上は、両親の縁生というものによってこそ、今肉体があります。現代の世相においては、親は勝手に生んだのだと言うような間違った考え方をしています。天上の世界において皆さん自身が、両親の縁をいかにして頂いたかということを知ったならば、無所得のままで皆さんを育ててくれた現代の両親に対し、育てた親に対して、我々は報恩の感謝が足りないはずです。親孝行することは当然なこと。その様に道を外して行くと、当時の世相も同じように、親子の間における断絶があったのであります。

 そのために、「汝ら、両親に対して孝養をつくすべし」、十戒の中へ入れたわけです。「汝ら、みだりに姦淫することなかれ」、この世の中における男女というものが、お互いに愛より混乱を引き起こして行きます。そしてまた、全て独占しようとします。皆さん自身の肉体は、自分であって自分でないのです。今の肉体を、我のものとしても、皆さんはしょせんこれは一時、借り物にしかすぎないのです。それなのに、いわんや相手を独占することは不可能です。その独占の中から、嫉妬が生み、嫉妬心が恨みを生み、その恨みから闘争と破壊が生まれて来るのです。

 縁生によって夫婦になる以上は、その中に真の相助け、相補い合うところの真実のものがなかったならば、それは道を外して行くものです。それゆえに、「汝みだりに姦淫するべからず」同時にまた、「近隣を愛せよ」「近隣に偽りの証をすることなかれ」

 ややもすると私達の日常生活の中において、相手を中傷します。その中傷から、ストレートでその人に話しが行けばいいが、また己自身の心に第三者から入れば、またその言葉が大きく跳ね返ってまいります。それゆえに私達は、他人を中傷する前に、己自身をよく振り返り、善意なる第三者の立場に立って、自分を見つめてみることが大事だということを忘れてはいけません。

 さらにまた、我々自身が日常生活を通し、真に内なる神、皆さんのウソのつけない善我なる心、己を信ずることです。己の善我なる心に、勇気を持って行動をすることです。

 この様にして、十にわたるところの項目を、当時の衆生にヤハヴェは、モーゼの前に現象化して見せたのです。

 我々が永遠の生命とし、またゴーダマ・ブッタはインドの地において道を説き、化石化したアポロの教えを、バラモンを修正するために、たとえ王侯貴族に生まれようとも、人間におけるところの苦しみや悲しみ、無常なものを、如何にして克服するか、生老病死という苦しみから解脱するためにはどの様にしたら良いのか、ゴーダマ・シッタルダーは、六年間も山中において己自身を見つめます。しかしその中から、何も得られなかったのです。

 ネランジャラ川のほとりにおいて、今日も一日過ぎていく。朝まだき、霧の中から、
「弦の音は強く締めれば切れてしまう。弦の音は弱くては音色が悪い。弦の音は中程に締めて音色がよい。弦に合わせて歌えや歌え。弦に合わせて踊れや踊れ」という、ただその民謡の中から、六年間の苦悩が一挙に解決への道へと進んで行ったのです。

 皆さんがギターを弾くときに、ギターのあの弦を、締めすぎても音色が悪いはずです。音楽にはなりません。逆に弱く締めたならばなお、音楽にはなりません。調和された中程にこそ真実の道が、真実のメロディーが奏でられるはずです。

 ゴーダマはその中から初めて、カピラ・バーストにおける優雅な生活、思うようになる蝶よ花よの生活の中から、真実の道を悟り得ることは出来なかった。一方において六年間、山中において、厳しい肉体行にも、己自身を悟り得ることが出来なかった。この両方の極端を捨て、真に合掌の姿に己自身を戻した時に、彼は初めて道を知ったのです。中道という片寄らない道を悟り得たのです。

 自らの自分で、人生を通し三十六年間の、生まれたその環境や教育や思想や習慣を通し、心の中の垢を一つ一つ落とすにしたがって、苦悩から解脱していったのです。一週間、あのピパラの木の下で、己自身をしっかりと見つめたとき、彼は死に物狂いで、このままこの世を去ろうとした時に初めて、一切の執着は除かれ、自分の目の前が何時の日か、真っ暗な夜でありながらして、大宇宙の姿に変わって行きます。宇宙即我の境地になったのです。

 いつも手を合わして拝んでいた明けの明星が、今朝に限って自分の膝元に。当時のガヤダナの山は遙か向こうにあったのにも関わらず、自分の膝元の中にあります。自分が大宇宙の姿になったときに初めて、これこそ真の仏の境地であることを彼は悟って行きます。「もうこのままでこの地上界を去ろう。この様な深遠な神理を人々に説いたところで誰がわかるであろうか」ゴーダマ・シッタルダーは、命を絶ってこの世を去ろうと考えたのです。

 その時に、イエス・キリストの前の生命アガシャー、アモンが来て、「そなたは、よくここまで悟ってくれた。そなたはこれだけの偉大なる力を、病める多くの衆生を救うために生まれて来たのだ。そなたはこの道を大衆に広めなければならない」またミカエルが来ます。色々の人達は、バフラモン、梵天として姿を現し、迷える衆生に真の道を説くことを説いて行ったのです。

 ブッタは初めて腰を上げます。城の警護として出て来たところの五人の弟子達にも、すっかりあきられ、彼等はとうにゴーダマの側を離れてしまいました。しかし、離れることによって、自分自身の心もまた引き締まります。生か死かの厳しい体験を、自らして一切の執着を取るための、よき触媒となったわけです。人間の無常ということを知って行くのです。

 彼はこの様にして己自身の心というものの、静寂な姿を知ります。心を落ち着け、さて、当時の梵天、今で言えば光の大指導霊達が、姿を見せて色々と教えてくれたこと、一体誰から説いていけば良いだろう。

 一人しかいないです。山の中。その時、頭にひらめいたのが、「そうだ、バックーバの弟子達が良いか、アララカラマの弟子が良いか。アララカラマには、既に300人からの弟子達がおります。しかもアララカラマからは在世中に、その跡取りとして頼まれたことがあります。それだけに親しい人達がおります。「そうだ、あのアララカラマから道を説いて行こう」としたのです。その瞬間、アララカラマはその前に現れます。

 「ゴーダマ・ブッタ、よく悟られました。私は既に一週間前この地上界を去ってしまいました。私の弟子達は今私の修行所にはおりません」心の窓が開いておりますから全部分かってしまいます。彼は色々考えます。「そうだ、わしを捨てて行ったあの五人のクシャトリヤ、侍達、この者達から道を説いて行こう」として、彼はおみこしをあげます。

 道すがら、色々な人達に説くけれども、意味が分かりません。ミガダヤという地に、幾日も掛かって到達したとき、初めてそこで、五人のクシャトリヤ達に道を説き、初めてアラハンの境地に到達して行きます。
 アサジをはじめとし、或いはまた、彼等の道を学ぼうとする心はブッタとて同じことです。遂にブッタの道を彼等は知り、自分の心の窓を開いて行きます。そして、自分自身の転生の異言が出て来たのです。当時の古代インドの言葉しか知らないのに、違う国の言葉が出て来ます。そして、自分はかつて今此処にいるところのブッタの前の弟子であったことを、彼等は悟って行くのです。

 この様にして、ブッタの教えというものは、人間の言うことを正しく聞きなさい。正しく見なさい、片寄ってはいけない、正しく語りなさい、正しく思いなさい、正しく念じなさい、正しく仕事をしなさい。八正道という道が説かれて行ったのです。

 自分自身の心を正しく反省し、間違いを修正していく。正道の道を説かれて行きました。45年間、ブッタの教えは多くの人々の心を救い、間違った宗教を修正して行きます。「やがてこの神理は、マンデアディシャを渡り、更にまたケントマティー・ジャブドーバーに広まって行くであろう」彼は予言をしてこの世を去って行ったのです。

 中国に渡り、ブッタの説かれたものは難しく展開され、皆さん自身も知っている難しい経文に変わりました。経文の中に我々は真実があっても、その意味を理解することは非常に困難になってしまいました。

 一方、今から二千年前、私達の世界から、イエス・キリストをこの世に送ります。マリヤが受胎の時には、ミカエルとガブリエルが予告に行きます。多くの天使達に通知をし、予言者達にイエス・キリストが生まれることを通告して行きます。

 やがてメシア降臨する時期が来ます。メシアが降臨すればゴーダマの時も、或いはまたイスラエルの時代においても、同じようにサタンの跳梁は、これを覆すことが出来なくなってくるのです。人間の心の隅に食い込んでまいります。

 正法というものが多くの人々の心にされて行くと、彼等の住む場所が無くなって行くために、彼等は挑戦をしてくるのです。しかし、たとえサタンなりといえども、彼等も皆神の子なのです。彼等はその道が分からないために、彼等は自らをして、泥沼の悪魔の世界に自分自身を売っているだけなのです。彼等の本性も必ず目覚める時がまいります。

 もう既に私達の現代でも、サタンの手下達が続々と我々を目がけて来ております。そして我々の正法の、先を阻もうとしております。しかし彼等もやがてその愚かさを知って行きます。彼等も自分自身を悟れば、やはり彼等も天使であったのです。

 かつて、アール・エルランティーが、この地上界に肉体を持った時、ルシュエルという大天使もこの地上界へ肉体を持ちました。彼は後にサタンという名前で、この地上界に肉体を再び持ちました時、自らの自我の芽生えにより、心を悪魔に売り、今は彼は地獄の帝王になっております。それは皆さん自身の心の中を混乱させているところの帝王も、かつては我が弟子であったということです。

 しかし彼等は今生において救われなければなりません。なぜならば、地球という所を縁として、彼等は地獄に堕ちたのです。天上界を縁として地獄に堕ちたのではないのです。私は今、三億四千数百年ぶりに今、肉体を持っております。彼等をまた我々によって救わなければならないのです。

 道は開かれたのです。私達は自覚をしたのです。そして長い転生の中から、自ら偉大なる魂の価値を知り得たのです。皆さんは今、あらゆる光の天使達の築き上げて来たところの正法を、そして、長い歴史の中に、塵と埃にまみれたところの神理を、その塵払いに出て来ているのです。

 しかも皆さん自身が日本人として生まれていることは、選ばれた魂であるということを、自らして自覚しなければいけません。皆さんの内なる魂は、皆、偉大なる魂達なのです。その偉大なる魂が、物に溺れ、情欲に溺れてはいけません。自らを正しなさい。自らを自覚しなさい。皆さんが目覚めたときに、偉大なる神の光明によって皆さんは自らを悟り得るのです。

 そして、今何をすべきかということを、内なる魂の叫びとなって、皆さんの心の中に、芽生えて来るのです。今その時期が来たのです。偉大なる、皆さんは魂の持ち主なのです。
 かつてイエスの当時、モーゼの当時、選ばれたイスラエルの民と同じように、今私達の中に、選ばれた日本人として、世界の地球上の代表者として、皆さんは日本人として生まれているのです。

 我々の霊団は、それぞれ一団となってそれぞれの国に転生を重ね、今、東の国に来ているのです。そして化石化した神理を、再び光明に満たすために、失われた心を、我々は取り戻すために、そして、物質と経済の奴隷になり果てて、真の人間の使命を忘れたところの人間に、偉大なる魂を、価値観を呼び起こさせるために、価値の転換をさせるために、私達は今肉体を持っているのです。

 皆さんは立ち上がらなくてはいけません。そして、我らの説いている道を信じなさい。その道を実行しなさい。その時に皆さんの心は、神の光によって満たされて行くのです。偉大なる魂の目覚めなのです。そして、我々はまず、この地球上に光明を、灯火を心の中に灯してやらなければいけないのです。その時に、皆さんの心の中から、その事実を自覚して行くのです。

 そのためには、生まれて現在までの自分自身の心の歪みを直すことです。たとえ現在、厳しい環境に生まれていようとも、それはまたこの地上界における一つの魂の修行の場であり、その環境を通して自分自身が、魂の学習をしているということを皆さんは知らなくてはいけません。

 優雅な環境に生まれている人達は、その優雅の中からより自分自身を見つめ、惨めな人々に愛の手を差し伸べてやるところの慈悲の心が必要なのです。その時に皆さんの心は、光明によって満たされて行きます。

 我々の心の中に、作り続けたところのスモッグは、自らの責任において払うことです。人に対し、恨みや妬みや誹りや怒りや愚痴、この様なものも、全て自ら発するところの不調和な想念なのです。我々は虚栄心を捨てなければいけません。こんなものは愚かしいものです。人間は全て神の名のもとにおいて平等なのです。太陽は全て貧乏人金持ちに関わらず、全て平等に熱光のエネルギーを与えております。神の心はその様に寛大であり、全てが調和です。

 それだけに私達は自らを正さなければいけません。その時に道は開かれて行くのです。我々は本来国境などは人間のエゴが造り出したものなのです。間違った思想は、人間の心の価値観が失われた時から、いつの間にか造り出されて行ったのです。今のマルクス主義にしても、資本主義にしても、このイデオロギーは全て人間自身が、間違った、心を失った時からそのような物に偏り、現代のような世相を造り出してしまったのです。

 我々は物質文明の奴隷になってはいけないのです。物質文明を駆使し、魂をより豊かにするための一つの道具でなくてはならないのです。我々はその奴隷から自らを解放することです。そして、我々は今に生きていることに感謝することです。

 足ることを忘れ去った時から、愚痴と不満が出て来るのです。そのために我々は、働く環境に感謝の心を待たなければいけません。感謝の心は、我々は報恩として報いなければなりません。感謝と報恩は輪廻しているのです。自然界が輪廻するように、全ての物は輪廻しております。原因と結果全て輪廻しているのです。今、悪い結果が生ずれば、悪い原因があるから結果が生じているのです。その原因を追及することが、また己自身を前進させて行くことになります。

 こうして私達は、今道が開かれ、自分自身をもう一度しっかりと見つめ直してみてください。思想というものは一つ狂えば、人間の心まで腐らせてしまいます。イデオロギーは、真の人間を幸せにする道ではないのです。皆さんの内なる、己の善我なる心を信じた時、それを実行したとき、道は開かれて行くのです。その時に、真の文明が訪れて来るのです。

 我々は今、この地上界に最終ユートピアを築かんがために、肉体を持ち、今から5年、10年先は、多くの同士達があらゆる国々から集まり、真実のものを皆悟って行きます。その時に、人類は皆兄弟だ、全ての富は人類のためだ。不平等であってはならないことを悟って行きます。

 経済問題に関しても経済方面も、今のような間違った思想から、新しい思想が生まれ、人類全て平等の上に立ったものが生まれてまいります。芸術は芸術としてその面において前進をして行きます。

 正法はこのように、長い歴史を体験し繰り返し、その都度その都度、メシア達の出たものに対し、そのメシアが説かれたものが何時の日か化石化され、人間が利用し分からなくなった時に、次のまた宗教改革者を出しております。或いは社会思想の改革に出しております。

 社会思想におけるところのオーギスト・コントにしてもハーバード・スペンサーにしても、ヘーゲルにしてもマルクスにしても、当時の思想というものを、正しい方向に持って行くために出したところの天使達なのです。それぞれ専門、専門の指導者達をこの地上界に送り、人間の生きる道に正しい方向付けをするのが、天上界の、そのような仕組みをちゃんと私達は実行して来ているのです。

 過去において、15世紀の時代におけるところの、レオナルド・ダ・ビンチにしても、ラファエロにしても、このような人達は七大天使の一人です。彼等は盲目の人々に、絵を通し、天上の世界の真実を知らしめようとし、多くの人々にその道を解き明かして行ったものなのです。それゆえに不滅の芸術です。

 皆さん自身の心の中にも、あらゆる国々の転生を重ね今あるのです。皆さんは、過去現在を集約した一点なのです。今、自分自身の過去を知ろうとするなら今の自分を知りなさい。己自身の器を知った時に、過去何をしたか自らして答えが出て来るはずです。過去やらなかったならば、現代より、自分自身を造りあげて行くことです。それ以外に道は開かれないのです。

 皆さんは己自身をしっかりと見つめ、真のメシアというのはこの地球ばかりではありません。既にM37地球からはるか離れた、M37に真のメシアが降臨し、既に悟られました。我々と交信を始めております。M26からもやがて通信が来るようになるでしょう。今我々は、この地球ばかりではない、宇宙一つになるために、真のメシアはこの宇宙に数人現代出ております。そして太陽界からも、我々がこのようにして出て来ております。そして多くの人々は、やがて、真実の法則に基づいた宇宙というものの環境が整って行くのです。一人一人の心に調和と安らぎの道が開かれた時に、真実の宗教というものは、万古不滅であり、そして誰をもが、これに中傷することのできない真実のものなのです。

 そして皆さん自身の心の中にも、ある時にはエジプトの地においてモーゼの教えを、ある時にはインドの地においてゴーダマ・ブッタの教えを、ある時にはイスラエルの地においてイエス・キリストの教えを、或いは中国において難しい仏教哲学を、皆さんはそれぞれ転生の過程において皆学んでいるのです。皆さんの心の中には、その偉大なる仏智があるのです。その仏智をひも解いた時に、皆さんは偉大なる己自身の智慧を発見することができるのです。

 そのためには、まず自分自身の間違った、思想や間違った行為を直すことです。それは、中道という偏らない物差しを通し、善意なるところの第三者の立場に立って己自身を、しっかりと見つめてみることです。見つめた時に、自分の誤りが出てまいります。その誤りを修正し、心の曇りを晴らしていったときには自ら、神の光によって満たされ、皆さんは内なる自分自身の真実のものを発見していきます。

 その物差しに当てはめれば、どのようなことがあろうとも、真実のものは真実として自分自身が理解できるようになって行きます。その時に皆さんは、真に、今私がこのように皆さんの前で力説していることが、一体誰であるかを、皆さんは自分の心の眼で、私を確認することができるのです。

 やがて間違った宗教は、わたくしの正法の前に次々と屈服していきます。彼らは間違った思想家達に、そのように現象化されていきます。モーゼの時より、エリアの時より、もっと大きな現象が皆さんの前へ起こってきます。私達の仲間が、その準備態勢が整った時に、信じようと信じざるに関わらず、真の正しい道が何であるかを、大衆はそれによって知らざるを得なくなるのです。

 皆さんは自覚することです。そのときの準備のために自己を完成しておくことです。いかなる正法の前に立ちはだかる所の、魔が我々の前に邪魔をしようとも、我々はそれを完全に支配していきます。我々は真実だからです。皆さん自身もそのための準備のために、自己の確立をすることです。自己の確立は、毎日の生活の中から行われるのです。研修会に来ているときだけではありません。一秒一秒の思うこと行うことからです。こうして私達は、まず自己をしっかりと見つめ、その時に皆さん一人一人の心の中に、安らぎという真の調和の心が芽生えてまいります。

 正法というものはそのように、ナイル川の流れはかつて、四千数百年前も四億数千年前も、さらにまたガンガーの流れが二千五百数十年前も、或いはまた、ヨルダン川の流れが二千年前も、ちっとも変わっておりません。正法は人によって変えられたのです。神理は変わらないのです。それだけに、正法は難しいところにあるのではないのです。既に皆さんの内なる心の中に芽生えているのです。

 己自身の嘘のつけないところの、善我なる心そのものです。それを分析していくと、偏らない中道になるのです。そのままに自分を生かしていくことです。そして今、わたくしの話していることは、皆さんの心の中に、次々と記憶されていきます。その記憶されたものは、否定しようとしまいに関わらず、この地上界を去る時に、全て記憶されております。その時に分かります、しかし、それを生かすことです。生かして智慧にすることです。

 いくら聞いて知識が豊かになっても智慧にならなかったならば、絵に描いたぼた餅に過ぎません。智慧にするためには、勇気と努力と智慧が必要です。実行が必要です。我々は今が修行です。一秒一秒が修行です。思うこと行うことを常に正すことです。中道という偏らないものの考え方です。そして人々のために、真に奉仕することです。自分の私利私欲を貪るのではなく、多くの衆生のために、皆兄弟であるということを忘れてはならない。

 顔一人一人が違っても、神の子の名の許において全て、兄弟であるということを忘れてはいけません。その中から我々は真の愛が芽生えてくるのです。肉体を持てば、生まれた環境が違えば別のように思うけれども、今私達は地球号という宇宙船にのっているところの、同時代の同期生なのです。同じ仲間たちなのです。そして我々はやがて地球を調和し、また他の天体に私達は移行していきます。

 我々のこの太陽系も、十惑星から成り立ち、三億数千万、三十数億、それだけの範囲を通し、惑星集団、衛星集団から成り立っております。我々は今、その地球の中の一地球号という惑星の中に住んでいるのです。そのもの同士が、お互いに争いと闘争を繰り返してはいけません。そしてまた地球には、月以外の衛星が飛んでおります。それもやがて発見されるでしょう。そして私達は今、太陽系の中の新しい惑星を、天文学者たちは発見していきます。そして十惑星の事実を知って行くでしょう。まだ、そこまではっきりしたことが解っておりません。しかしその事実を知っております。そして我々はやがてまた、地球を調和し、他の天体に帰らなければいけません。

 そのためには、地球自身が調和し、後光が出て来なけりゃならないのです。皆さん一人一人の心の調和が即その人を調和し、その家庭が調和されれば家から光が出てきます。また、国の人々が調和されればその国から光が出てまいります。天上の世界から全て分かります。そして地球から、全て調和された時には、地球からきれいな後光が出てきます。その時に初めて、人類は他の天体に脱出することができる環境が整っていくのです。

 より文明は高度化され、今のような、非常に危険な乗り物ではなく、もっと安定な、反重力場の新しい乗り物が、光によって操作できる乗り物が完成されていきます。そして私達は、また他の天体と交渉を持つようになって行くのです。マンガでもSFでもありません。これ真実です。

 皆さん自身もそのように、まずそのためには自己を確立しなかったらいけません。ソビエトが人工衛星船をソユーズ何号か飛ばしても、ちっとも成功していないのは何故でしょう。彼らに心がないからです。神を信じていないからなのです。彼らは唯物論者です。ソビエト共産党と同盟のためにという間違いが、神の加護を得られないのです。アメリカのアポロ12号以降は全部成功しているのは何でしょう。彼らは全世界人類のために自らの命を賭してやっています。これが神の光を仰いでいるのです。そのためにアメリカの飛行船が旅立つ時には、光の天使たちがみな防衛していくのです。やがてその事実も皆さんの前ではっきりする時が来るでしょう。神は光なり。その光によって満たされていくからなのです。

 人間は、真の心を失われた時から真実の道が分からなくなってしまうのです。皆さん自身も、毎日の生活に心を失われ、物に溺れた時から、己を失っていくのです。自分を取り戻しなさい。自分の日々の生活の中から軌道修正をすることです。それが正法です。そして自分の歩むべき道の軌道が修正されたら、間違いなくその軌道を正しく歩んでいくことです。

 このようにして、心というものは皆さん自身の見えないところにあります。しかし、心眼の目で見れば皆さん一人一人の心には形があるのです。盲には分かりません。皆さん自身の鏡に写っている姿は自分の姿ではないのです。自分の真の姿を見た人は、皆さんこの中にはおりません。真の姿は、偉大なる神の光によって満たされているのです。皆さんの心です。魂です。皆さんは自らを知りなさい、自らを信じなさい。そして、自分自身が正法を知ったら実行しなさい。その時に、皆さんの道は開かれて行くのです。

 それには、まずこのような環境を選び、毎日の生活の基本線を自分自身が知り、人生の物差しをしっかり持つことです。そして、お互いに人間として生きる道を、より調和された、助け合い、補い合うところの生活環境を整えて行くことが大事です。この中には勤めている人もいるでしょう。経営者もいるでしょう。それぞれが闘争と破壊の中に、前進はないのです。闘争と破壊はやがてお互いの首を絞めていくことです。原因が悪いからです。

 もう、そのような時代ではないのです。目覚めなければいけません。手を取り合い、助け合い、そして全て人間は平等だという、大きな思想の上に立って助けあっていくことです。人生はわずか60年70年、線香花火のような幻のような一生です。現に皆さん自身がそれぞれ、人生を体験し過去を振り返ってご覧なさい。過去現在未来は一点なり、過去現在未来は一点です。それの連続体なのです。過去何億万年といえども、自分自身の心を調和すりゃ、ついこの間のように皆さんの自分の心には記憶されているのです。

 GLAに来ると、二千年、三千年て、大分でかいことを言うようだけれども、皆さんの心の中には全て記憶されているのです、その記憶が蘇った時に、一体時間とは何でしょう。空間とは一体何でしょう。時間と空間は不確定です。絶対的なものではないのです。現に私達は大阪から東京まで行くのに、昔は8時間も9時間もかかっていた。それが新幹線はわずか3時間です。さらに飛行機で行ったら40何分です。一体時間と空間はどうなるのでしょうか、その人にとって。人工衛星は地球の周りを一日に24回も5回も回ります。そしたら彼らは24日間過ぎたのでしょうか。じゃぁ、時間と空間は一体どうなるのでしょうか。

 我々は一日は24時間、大体定まっております。一年は365日4分の1。しかし時間と空間は、人間自身が都合上単位を付けたにしか過ぎないはずです。この様にして、時間と空間は不確定なものなのです。過去を振り返ってみても、自分がその過去自身を、思い出したならば、その人にはもう既に過去は存在していないのです。一点なのです。過去・現在・未来は一点なり。

 そして我々自身がこの世に日常生活をし、あらゆるものに当る、そのもの自身も無常なものであり、皆さん自身の肉体は、あたかも肉体ありと思っておっても、この肉体そのものも、無常なものであり、本来肉体というものはないのです。なぜならば、光の集中固体化した最も不安定な振動によって作られているものであり、やがて私達の身体も分解されてしまうのです。自分だと思っておってもそのものと別れなければならないのです。物質もまた同じです。

 しかし皆さん自身の世界にある、真のものは不変です。真の色(しき)は不変です。真の心(しん)は不変です。変わらないのです。永遠に我々と共にあるのです。皆さんの心の世界にあるのです。今私達は、現物はこうして見ても、真に写っているものはただの陽炎にしか過ぎないのです。その陽炎に惑わされ、真実のごとく自分のもののごとく錯覚を起こしているだけです。そのような無常なものから自らを解放することです。足ることを知り、日々の生活の中により調和された、生きる悦びを知ることです。

 このようにして正法というものは、長い歴史の中に、その人々の知と意によって難しくされ、真実のものから遠ざかってしまいました。その結果が皆さんご存知のように、難しいお経を上げることが信仰なり、皆さん自身も「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」「天にまします我等の神よ、我に御名を崇められたまえ」一生懸命拝んだはずです。本当に拝んで人間は幸せになるのですか。拝むことによって幸せになるのではありません。

 神は全てのものを皆さんに与えております。皆さんの生きられる全ての環境を神は与えてあるのです。それ以上何が必要ですか。あとは欲でしょう。それは自らの努力によって道を開いていく以外に道はないのです。神は全てのものを私達に与えてあります。今後は自分自身の努力により、そして自分自身がそれを取るための自力が必要です。正しく心を整え、調和された時、その道に努力しておったならば、黙っていてもまたそれだけの力が与えられてゆくのです。物は与えられてゆくのです。努力もせずにただお祈りすれば、「南無妙法蓮華経」を一日に4時間も5時間も、日本人は相当拝んでいる人が居る。そのロスを生産に向けたら皆さんどのくらい上がると思います。バカみたいなことをやっております。

 汝偶像を祭って祈るなかれ。神理です。曼荼羅にしても仏像にしても、これ全て偶像です。己自身の心の中に曼荼羅を持つことです。神理という、その神理を自らして実行することです。我々は祈る対象物は、形にあるのではありません。

 かつて今から、二千八百七十数年前、モーゼの教えは化石化され、そして、間違った宗教が、時の王侯貴族が信仰し、天上界からエリヤを送りだします。エリヤは光の大天使です。彼はミカエルといわれる方です。彼をこの地上界に送って間違いを正します。そしてその間違いを、修正させる時、彼は単独一人の中で、450人の間違った宗教家達を前にして、バールの神を打ち破って行きます。今後もその様なことが起こります。彼はバールの神との対決をした時に、3年数ヶ月間雨を降らなくさせました。天上の世界でヤハヴェによって、コントロールすることは簡単です。そして、ヨルダン川の川まで日干してしまいます。それを通告させます。

 しかしその時、王様は、「そなたはイスラエルの敵である」と言って、彼を追放します。彼は逃げまどいます。生活も大変困りますが、彼は心の中に常にヤハヴェの言葉を信じております。「そなたの食料は、ヨルダン川の支流において、このように岸辺に待っておれ」鳥によって魚を持たしてやり、みかんを持たしてやり、或いはまた、色々な食べ物を送り、彼の飢えを、小鳥たちが皆手伝って生活の環境を整えてやります。

 このように天上の世界から次々と協力をしながら、彼の、間違った宗教団体を潰すための方法をとりました。そしてある時に、ヤハヴェの命により、エリヤは自ら、やがて雨が降ってくることを予告します。そして彼は山に登り一心に「自分のような力のないものにこの様なことはできない」「何とかわたくしにこの力を与えてください」彼は一生懸命にヤハヴェに祈ります。その時、焚き火を焚いているところに火の玉が、ピヒャーと光りと同時に落っこちます。その瞬間において、バールの塔は全滅してしまいます。四百数十人の人達は、ある者は感電死し、ある者は大衆から殺されて完全に自滅してしまいます。正法というのは、最終段階はそこまでいくのです。しかし、私達は人間の犠牲を出してそこまでやってはいけません。

 犠牲を出さずに、真の道を人間に目覚めさせるための実践力と行動力が必要になってきます。皆さんはそのためにも、その準備に自己を確立して欲しいのです。今私達の道は開かれたのです。皆さんはその道を今歩んでいるのです。そして世界は一つ、人類は皆兄弟だという偉大なる使命を持って、「俺達はやってきたんだ、やってきました」この地上界を去ってあの世に帰ったときに、堂々と帰れるような自分になって欲しいのです。裏切る者が出てもいいのです。我々はあの世に帰ってから話し合います。今生きているうちに自らを完成しなさい。そして自分自身が、真に人間として生きる道を完成していった時に、内なる心は、その事実を皆さんの心の中から説明するでしょう。

 神理はこうして永遠に灯されていきます。そして我々は今、仏教もキリスト教も、あるいはまた、モーゼの教えたユダヤ教も、あるいはまたマホメットの教えた回教も、真はまた一つなのです。全てがエルランティーといわれる天上界の指導によって造られたものなのです。今私達はそれを一つにするために出てきているのです。そのためには容易ではありません。大きな現象を、奇跡を、大衆の前に見せていきます。今までは私の身体から金が出ました。そんなちっぽけなことじゃありません。今後はもっと大きなことが起こります。信じなくてもいいのです。目の前でやります。そのようになっていきます。そして我々の道は、段々と厳しくとも開かれていくのです。皆さんはそのための準備を自らして作り出してください。その時に道は開かれていきます。今このような事実を、もう一度、私でなく、天上界の人から語ってもらいます。


↑ページの最初に戻る