GLA総合本部
'76 東 北 研 修 会
[山形県ホテル蔵王]
1976年6月4〜6日(S51)

「新復活」

高橋信次先生最後の御講演(6月5日)


 非常に美しい自然の緑に包まれた環境の中で、東北の研修会が行われることを、心からお祝い申し上げます。今日の演題は「新復活」。

 ちょうど、現在、東京地方には創世記時代の映画が来ております。しかし人類は、緑に包まれた、しかも神の光に満たされた地球という環境に、今から3億6500有余年前、初めてベータ星という星より、神より与えられた新しい緑に包まれたこの地球上に、人類は最初にしるしたのであります。その当時、ベータ星は調和され、私達は新しい新天地を求めて、最も調和されたこの地球という環境を選んだのであります。

 その当時、最初に反重力・光子宇宙船という、今でいうUFOです。それに乗りまして、最初、地球上の人類は、神の光によって満たされた、神の光によって満たされた天使である所のエルランティー(L−Lanty)このエルランティーという方が中心になりまして、エルランティーは直接、神の光を受けているところの真のメシアであります。

 そしてエルランティーの光の直系と致しまして、皆様は光は7色に分かれます。7色のプリズムということを想像致しまして、全く同じように神の光はここから7色の光に分かれます。

 この7色の光の方向を決めている方が、ミカエルという方であります。ミカ(Mika,Michael)といいます。ミカといわれる天使です。神の直系です。神の光の直系です。そしてこのスリットを通し、神は光なり、その光の6人の光の線がこのスリットを通して霊子線が繋っております。この中に夫々のスリットを通して7人の天使がおります。このスリットを通して7人の天使がおります。

 これがガブリ、この方がウリエル、サリエル、パヌエル、それから全部で6人。この七大天使というのが、実は新しい新天地を求めて来た時の最初の光の大天使達です。

 そしてこの下に、それぞれ何億、何十億という魂の霊子線があります。

 更にまた、エルランティーの光の天使の分霊と致しまして、カンターレというのがいます。更にまたアガシャー、モーセ、一方に於いて、ガブリエルの系統にマホメットがいます。

 そして第一艇団がエルランティーを中心にして、ミカエルに、ラファエル、ガブリエル、ウリエル、サリエル、この七大天使が中心にして、現代のエジプト・ナイル渓谷の東部にあるエルカンタラ(L・Qantara)という所に着地いたしました。その場所が一番最初のエデンの園です。約6000人のベータ人が、全部この地球上に降りてまいりました。それぞれ七大天使は、ラファエルを始め、文芸や芸術、政治、経済、或は律法、科学、あらゆる担当をして、総括的にミカエルが中心になってエデンの園を造り上げました。

 そしてその当時は、同じベータ星の人間であっても、皆さんの肉体と全く変わっておりません。風土、気侯、一切地球上と変わってはおりません。魂と肉体、今、皆さんの持っているところの肉体は、あくまでも物質であり、人生航路を渡って行く為の舟にしか過ぎません。その船頭さんである魂、このものとは完全に分離することが出来ました。当時の人々は、心と即ち魂と肉体と完全に分離することが出来ました。

 その為に天上の世界とコンタクトが出来、人間の心は調和され、ものにこだわることなく、全てが調和された世界でありました。

 そのようなエデンの園に、やがて第二艇団が地上界に移ってまいりました。その時、既にエルランティーは天上の世界に帰りました。これが天上界地球上の創世記です。

 地球の創世記は、三億六千数百年前に、最初の七大天使がこの地上界に来、約6000人の人類がエデンの園を造り、第二艇団が地上界に着地し生活するようになって、律法を犯す人々が出てまいりました。

 その為にその責任者であるところのミカエルは、規律を破るところの民に対して、一部分エルカンタラから移しまして、そなた達は神の子としての己自身を再確認する為に、もう一度、自分の思念と行為、行っていることと、思っていることを修正していらっしゃい。

 で、その場所から多くの人々が位置を変えました。その人々が後、エデンの園との連絡を断ち、やがて天上界との連絡を断ち、遂に天上の世界に帰ることなく、地獄の世界を作り出してしまいました。当時は地獄は存在していなかったのです。それがアダムとエバの後物語りに変わってしまったのです。その為に、創世記の映画とは、ちょっと違いますけれども、私はこの肉体をもって天上の世界に行って、現実にその姿を見て来たのです。

 皆さん自身は、なぜ三億数千年前のことが分かるんだろうと疑問を持つでしょう。疑問なぞ持つ必要はないのです。皆さんの心の中には、過去・現在・未来は一点なり。皆さんの肉体を支配しているところの、潜在されている90%の意識の中には、永い永い転生輪廻に於けるところの一切の記録を持っております。

 その為に過去・現在・未来は一点なり。皆さんの心の中に、今、存在しているのです。皆さんの現在は、過去・現在を集約した、現在そのものの姿なのです。ただ肉体を持ってしまった為に、自分が分からないだけなのです。その心を正し、真の神の子としての道を、己自身が生活に活かしていったならば、その実態を知ることが出来ます。

 それだけに最も粗悪な光の集中・固体化したところの地球上の肉体を持ってしまうと、人間はみんな盲目になり、それがために、ものが全てだ、地位が全てだ、情欲に駆られ、神の子としての本性を失ってしまったのです。しかし皆さんの心の中には、偉大なるところの知恵が、誰しもが存在し、持っているのです。それが生まれて現在までの間に、思ったり、行ったりする正しい基準を失ってしまったために、心を、スモッグに覆われ、神の光を自らして遮り、ただ、分からなくなっているだけなのです。

 それ故に、我々の物理学上に於けるところの、時間と空間は不確定です。しかもまた、心の面に於けるところの時間は、過去・現在・未来を合わせて、現在をして一点であると言うのです。皆さんの心の中には、そのようにはっきりした偉大なる知恵が存在しております。

 それを調べ上げていく結果に於いて、三億数千年前のエデンの園は、既に人類がこの地上界へ出てきて、第二艇団の移住の時にエデンの園は一部分の物質欲望に駆られた人々によって、道を間違えてしまったのです。

 そしてエルランティーを始めとして、やがて七大天使はこの地上界を後にします。そして多くの遺産をこの地上界に残し、後の世の人々が、その偉大なる残した地上界の遺産を、どのように活用するかを、私達は天上の世界に於いて、暖かく見守ってまいりました。

 しかし、物に溺れ、肉に溺れ、情欲に溺れた、一部分のエデンの園から離れた人達を救済するために、天上の世界よりルシフエルという天使を出しました。ところが、例え天使なりといえども、地上の不安定な肉体を持ってしまうと、手足をもがれたと同じ如く、生まれた環境や教育や思想や習慣を通す中に、己の本性を忘れ、遂にルシフエルはサタンという名前に、その環境に生まれている間に、彼は自分の地位と名誉の虜となり、ついに天上の世界と交信を断ち、この地上界を去るとき、天上の世界に帰ることなく、地獄の世界に帰ってしまったのです。そのサタンは、現在は地獄の帝王になっております。これが最初の地獄界の実態です。

 こうして多くの天使達は、天上の世界からこの地上界の動きを観察し、神の子に戻すために、多くの光の天使達をこの地上界に送りました。(約一万年前)エルランティー自身は、後、アガシャーという方を、光の分霊です。この方を送ります。更にまたカンターレという方を送ります。後のゴーダマ・ブッタです。ゴーダマ・ブッタ、天上界ではカンターレといっています。お釈迦様とはいっていません。ゴーダマ・ブッタ。アガシャーは後のインマニエル・イエスキリストです。モーセはモーセです。

 更にまた、イエスが、ゴーダマ・ブッタが生まれる時には、ガブリエルという方は、これは主として伝達の係りをし、通信関係の責任者です。ゴーダマ・ブッタがインドに生まれる時には、ガブリエルのグループの方が、ゴーダマ・ブッタの生まれることを、ゴーダマの両親に通信を送ります。アシタバという仙人です。

 或はまた、アガシャーであるインマ二エルに対しては、またガブリエルはミカエルの命令によって受胎の告知に出てゆきます。

 モーセが生まれて、当時の王に、その命令によって多くの人々が殺されます。彼は葦舟に流されて行く途中、七大天使はサタンより守るために彼が拾われるまで、彼の成長を楽しみました。

 それぞれ、こうしてメシアというのを送り出したのです。これは全て神の心である法を説くために出て来ておるのです。

 特にモーセの時代というのは、サタンの跳梁が厳しく、世は混乱し、人間は本当に底辺の人々は、自由にはなりません。人を殺すなんていうことは、ヘッチャラです。そのためにモーセというメシアを出して、社会の人心を、正しい法によって導かねばならない。その時に、エルランティーはヤハベという名前で彼を指導します。ヤハベという名前でモーセを指導します。これが十戒です。

 汝をイスラエルのカナンの地に導きしは、我、ヤハベなり。汝、偶像を祀って祈ることなかれ。汝の主はヤハベなり。汝、近隣を愛せ。近隣のために偽りの証をすることなかれ。それが十戒です。

 それは丁度シナイ半島の岸壁にヤハベが現象として、その当時、現象として現したのが、セラビムというのがおります。セラビムという諸天善神です。現代もおります。このセラビムや、他の天使達に命令し、或はその目的を果す為に、夫々の指令を、天上の世界から命令を出します。

 聖書の中にはエロシムと書いてあります。このエロシムというものは、エルシムというのです。これは聖書の間違いです。エルシム、このエルシムと名乗るのは、七大天使が殆んど名乗るのです。それはエルランティーの命令による秘書的な立場に立って、エルシムとして名乗ってそれぞれの指令を出します。

 しかし今から3150年前、ヤハベの真実の教えはいつの間にかサタンの喰い物になり、汝、偶像を祀って祈ることなかれといえども、あまりにも霊的な奇跡的な現象がいっぱい現れるために、モーセはその偉大性を称えて、遂にお祀りをしてしまったのです。そして山羊の生血、或はまた羊の生血を上げるようになってしまいました。

 それはサタンの命によって、彼は動かされてしまったのです。ヤハベはそのようなことは、一つも言いません。あくまでも十戒というものを中心にして、人間の生きる最低の道を説いていったのです。混乱した世相、主を名乗りながらして、サタンに利用されてしまったのです。そのために既にモーセが亡くなられて、200年にして間違った思想はどんどん出てしまいました。

 そのために天上の世界より、ミカエルであるところのミカエルの分身を地上界へ送り出しました。エリヤです。今から2873年前、エリヤをこの地上界であるイスラエルの北部に、農夫の子として肉体を持たせ、彼の心を揺さぶり、ヤハベは次々と指令を出して、当時のイスラエルの間違った神々、これを世の中から抹消する命令を出します。

 アハブという王は、最も悪辣で、皆さんの知っているアスラーというやつ、阿修羅、争いばっかりやる神様、地獄霊です。この悪霊を祀らせたり、色々な偶像を祀らせ、子羊を生け贄にするならいいが、自分の子供まで生け贄にさせるような間違った教えをするようになった。

 こういう教えに対して、エリヤは疑問を持ち、ヤハベの教えとは全く違う。十戒とは全く違う。そして彼は遂に立ち上がり、その王と対決するようになり、しかしもう当時は、約四百数十人もの予言者達がエリヤに立ちはだかっております。

 その為にヤハベは、今から3年間、雨はもう降らせんと、イスラエルの地に雨は降らせん。それを王に言ってこいという、ところが、王様にしてみれば、お前は国賊だ、イスラエルの国賊だといって追放を喰らいます。それでも彼の心を揺さぶって、ヤハベは次々指令を出していきます。

 これは実はこないだ、エリヤが私に原稿用紙で約150ページ近く、当時の模様を全部語り、現象を見せて、やりました。その現象の一端として、5月の丁度7、8日頃、東京には大きな雷が落ちました。それはその時の1/100だそうです。今後はそういうことは、どんどん起こります。そしてアハブをやっつけてしまった訳です。そういうようにヤハベは大きな現象を与えました。

 多くの予言者達が輩出して、間違った教えを、再び元に戻そうとしたけれども、どうにもならなくなって、今から約2000年前に、再びアガシャーであるところのインマニエルをこの地上界へ送りました.その時はヤハベとは言いません。エホバといって名乗ったのです。エホバ、神ではありません。神の命を受けた最高責任者です。そしてイエスに人間の愛を説き、間違ったユダヤ教を修正するために、この地上界へ送り出したのです。

 ヤハベは、6日間働いて、1日を聖日となし、自分の間違った1週間の過去を振り返り、心を修正し、二度と同じ間違いを犯さないという聖日を設けたにも拘わらず、後の司祭者達は、その7日目の1日は、仕事はしてはいかん、人と会ってもいかん、動物に食料をやってもいかんというようになってしまいました。このようにユダヤ教は大きく歪みを作り出してしまったのです。

 そのものを修正させるために出したのが、後のインマニエル・イエスキリストです。しかし彼も、やがてサタンの餌食になって、十字架にかかってしまいました。

 更にまた、帰られてしまったために、ミカエルの分身であるところの天使、魂の兄弟をこの地上界に送りました。この方がマーチン・ルーテルです。更にフランスからは、ガブリエルである所のカルビンを出して、宗教改革に出したのです。

 一方に於いて、仏教の方は、ゴーダマ・ブッタが悟りを開き、道を説く過程に於いて、このミカエルの説いた、その過去世である今から3500年前の、あのギリシャに於いて説いたアポロの教え。アポロ、このアポロの教えはやがて東の国、インドに伝わって行くであろう。そのインドに伝わっていくその神理を、やがてメシアであるゴーダマ・ブッタという方が生まれて、それを悟り、道を説くであろう。このようにして東の方にはカンターレを出したのです。これが後の仏教ですね。

 ところがいつの間にか仏教も化石化して、お経をあげれば救われるようになってしまったのです。南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経、それで救われた人は一人もいないのです。

 南無阿弥陀仏というのも、ゴーダマ・ブッタが、かつてラジャグリハという町の郊外のベルベーナにおる時に、ビンビサラーといわれる王様がおります。その奥さんが幽閉されます。コーサラといわれるイダケダという夫人です。アジャスターという倅(せがれ)に幽閉されて、子供自身が何とか仏教を知って欲しいと思ったけれども、ゴーダマ・ブッタの従兄弟(いとこ)である所の同じ王子で、王子として出家された方がおります。デーバダという方。その方にそそのかされて、お母さんとお父さんを幽閉し、お父さんは死んでしまいます。

 お母さん自身は最後の望みとして、ブッタから何か一つ、話を聞きたい。私は何にもいらないから、ブッタから真の話を聞きたいと、お母さんの一生の願いだからといって、牢獄に入りながら、お母さんの願いだけを入れて、ブッタの話を聞かしたのです。

 それが阿弥陀経というのです。この阿弥陀経というのは、西方浄土、インドから西方といいますと、現代のイスラエルからエジプト方面です。このアガシャーの過去世の中には、転生の過程を通して、アミーと言われる方もおります。そのアミーという名前は、最初はアモンといった、ファラオです。魂の系列です。そのアモンがエジプトにいってアーメンに変わり、ソロモンに行ってアミーに変わり、それからギリシャに渡ってアミーという名前に変わって、インドに行ってダブツが入ってアミダブツになったのです。

 そしてその西方浄土にアミーといわれる偉大なる指導者がおって、そこに浄土があるんだ。あなたは今、自分の子供によって幽閉されているけれども、自分の子供を恨んではいけません。あなたは厳しい環境の中にあっても、子供の罪を許してあげなさい。やがてあなたは、この地上界を去らなければならない。その時にあなたは阿弥陀の浄土に帰ることが出来るのですという、阿弥陀経を説法したのです。

 これが阿弥陀仏。ところが日本に来たら、南無阿弥陀仏、拝めば救われるんだ、バカげた話です。これはインドの言葉だから通用するんです。南無阿弥陀仏というのは、これはインドの言葉が中国へ渡り、日本に来たから丁度うまくいっているんです。これを直訳したら、阿弥陀様の法に帰依するということです。ナーモアミダボーというのです。アミダという悟られた方に帰依するという。それを仏壇や、お墓や、お寺に行って、ナムアミダブ、ナムアミダブ、ナムアミダブ。ま、語呂はいいわね、たしかに。ところが日本語に直訳したら、阿弥陀様に帰依します、阿弥陀様に帰依しますって、何百回、言ってもやらないんだね。そしたら阿弥陀様、皆さん、何といいますか。お前、帰依するならやってくれよといいますよ。そのように仏教も化石化したんです。

 まあ最近は、また流行りでね。南無妙法蓮華経、法蓮華経というのは、いつの間にか、南無を付けりゃ、もっといいじゃないかと日蓮さん、考えちゃって、そしたら何百万、一千万近くの人間が南無妙法蓮華経。まあ2時間も3時間もやっていますね。あれもバカげた話ですよ。あれで救われた人はいないんです。

 南無妙法蓮華経というものも、本来、ゴーダマ・シッタルダー釈迦牟尼仏がインドの地に於いて、ガンガーの流れを通して、無学文盲の人々に対して、方便として説いたものです。

 諸々の衆生よ、比丘・比丘尼達よ、あの汚いドブ沼の中でも美しい蓮の華が咲くであろう。時に、そなた達、比丘・比丘尼達よ、サロモン・サマナー達よ、そなた達の体を見てみよ。目が疲れれば目糞が出てくるだろう。汗、大小便、あのドブ沼より汚いそなた達の肉体である。しかれども、そなた達の心が、宇宙の神理を知って生活をしたならば、あの蓮の華と同じように調和された境地に、安らぎを得ることが出来るのだと説いたのが法華経なのです。

 それを分からないで、法華経に帰依します、法華経に帰依します。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、最近はもっと早くやればいい、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。バカげた話です。これは気違いです。いわんや、汝、偶像を祀って祈ることなかれです。人間の印刷物をいくら拝んだ所で、救われる道はないのです。

 我々は旧来の陋習(ろうしゅう)を破らなければいけません。もし神が必要ならば、皆さんがこの地上界に生まれて来た時に持たしてよこしました。曼陀羅を、みんな、ぶらさげてよこしました。男性のぶらさげてきているのは違うんじゃないですか。このように仏教ですら、分からなくなってしまったのです。

 こうして太陽系霊団というのは、光の直系としてエルランティーを中心に、エルランティーは、その時代、時代によって、ある時にはヤハベを名乗り、ある時にはエホバを名乗り、ある時には、また梵天を名乗り、また更にマホメットの時にはアラーを名乗りました。

 人類は皆兄弟であり、同じ太陽の下に生活をしているのです。宗教は一つなのです。ガンガーの流れも、ヨルダン川の流れも、今だかって方向は変えていないのです。時代の新旧によって道は変わらないのです。

 今私達は、マホメットや、モーセや、イエスや、ゴーダマの説いたものを一つにするために、私達は肉体を持っているのです。皆様は、その選ばれた民なのです。そして自らの心を開いた時に、あらゆる国々の転生を体験し、その心の中に、その神理がみな記録されているのです。それを甦えらした時に、今、私の言っていることが分かるようになるのです。

 神は己の心の中にあり。己の嘘のつけない善我なる心こそ、神なのです。神は形造った中にあるのではないのです。皆さんの心の中にあるのです。次元の違った世界なのです。そこから皆さんは今、肉体を持って、今、生きているのです。

 その肉体を持ってしまうと私達は、目や耳や口や心の中に思う色々な想念、こういうようなものによって、本当のものが見られなくなってしまったのです。皆さんは、真の自分の姿を見ることは出来ないのです。ただ肉の姿しか、皆さんは鏡で見ることしか出来ないのです。

 しかし皆さんは、誰しもが本当の自分があるのです。本当の自分を見るように、私は教えているのです。それは心です。魂です。皆さんの今、思っている、思う根源です。それは不変なものなのです。

 皆さんの肉体は今、自分のものだと思っておっても、ただの錯覚なのです。いつの日か朽ち果て、我々はこの地球の塵に変わってしまうのです。肉体を支配している皆さんの魂は永遠なのです。ただ、それを形造られて、私達は生きていくに最低必要なものとして、五感が与えられているだけなのです。しかし真の五感は皆さんの心の中にあるのです。心の目です。心の耳です。そしてまた、心のすべての機能は、皆さんは全て所有しているのです。それを自分が開発した時に、真に永遠の自分自身を知ることが出来るのです。

 私達は今、この地上界がすべてだと思っておってはいけません。皆さんのこの人生の50年や100年は幻の如く、線香花火のような、ほんの一瞬にしか過ぎないのです。そして我々の眼前に現れるところの物質や諸現象は幻です。永遠のものではないのです。朽ち果てていくのです。形を変えていくのです。しかし皆様の心の中に体験された偉大な知恵は不変です。この地上界を去るときに、何一つ皆様は持って帰ることは出来ないのです。また生まれてきた時に、何一つ持ってきた人は誰もいないのです。

 我々はこうして五官に惑わされ、物質的光景の中で、物に溺れ、苦悩を自らして作り出しているのです。その盲目の中から、人間というものの価値観を知っていくのです。手探りの中から、そして自らして心の安らぎを得、正しい普遍的な神理を、己の心と行いの物差しとして生活をしていった時、真の己を知ることが出来るのです。

 これが悟りです。悟りというのは、己自身の心を知ることです。己の心を知った時に、始めて人生の目的と使命を知ることが出来るのです。

 それは他力ではありません。自力です。神は全てのものを、皆さんのために用意し、与えてあるのです。太陽を始めとして、生活できる一切の動物、植物、鉱物、全て神は皆様に与えてあるのです。それを取らないだけなのです。取り方が分からないだけなのです。

 何を欲するのでしょうか。物質や経済は無常なものです。しかし現代のように高度化した社会生活の中に於いて、真の人間の幸せを得ようとするならば、まず最も大事な事は、健全なる精神、心です。その次に肉体です。その次に生きる為の経済です。経済は衣・食・住です.この五つの大調和があって始めてユートピアが出来るのです。それが真の道です。

 ところが、いつか人間はその道をはずし、エゴに変わり、すべてはみな兄弟だという道をはずしてエゴの方に走り、自己保存に走ってしまったのです。皆さんは同じ太陽の下で、全てが皆、平等なのです。今、皆様から自分の地位と名誉と財産を差し引いたものを想像してください。何が残りますか。それが今の皆さんの自分自身なのです。

 地位や名誉や財産は永遠のものではありません。真の皆さんは、それを差し引いたものです。この世を去る時の真の姿なのです。

 こうして私達は過日、天上の世界におきまして会議をやりました。私の隣にはインマニエル・イエスキリストがおりまして司会をやり、その隣にはゴーダマブッタ・カンターレがおります。その隣にはガブリエル、サリエル、ウリエル、こちら側にはモーセ、更にまた光の天使約10人ばかり、そして地球上の状況を次々報告してきました。

 心を失い、権力の座について、人間の自由を剥奪しているところのソビエトは、モスクワを中心として、食糧危機は彼らが自覚するまで続きます。北朝鮮もまた同じです。中華人民共和国の北部も同じです。アフリカの西部海岸も同じです。

 一方に於いて、中南米のパラグアイも同じです。サタンの跳梁を許しているのです。そのような心の人達の曇りは神の光を遮り、自らして天変地変を作り出しているのです。更にイタリーの北部からベイルートにかけても同じです。

 宗教の、同じヤハベの教えであるその神理を曲解して、それぞれの道を歩んでいます。また同じ現象が起こってまいります。日本は食糧危機は、心ある人が出てきている為にありません。こうして天変地変は次々と起こってまいります。それは気侯異変は、天上の世界の神の光の届かない所に起こるのだということを知ってほしいのです。

 やがて北朝鮮は破産をします。日本は戦後僅か30年間で世界のトップになったというのも、それだけの偉大なる魂達なのだからなのです。一つ間違ったら、また逆の方向へ進んでいきます。それは危険なことです。

 皆さん自身の進むべき道は、真の道、普遍的な己自身の心に嘘の付けない善我なる心を芯として生活を知った時に、道は開かれていくのです。それが神理です。今後、大きな現象が起こってまいります。間違った宗教家達は、私によって潰されていきます。どのような宗教家であろうとも、間違った宗教家達は、私達の霊的な力によって現象化されていきます。信じようと信じざるに拘わらず、それは事実です。あと5年です。皆さん、見ておってください。地震も雷も自由自在です。それだけに今、私達はその受け入れ態勢をしておかなければなりません。  日本ばかりではありません。やがて私は中近東へ行きます。そして真の道を彼らは知るでしょう。それは地球の最終ユートピアのために、私達は今、肉体を持っているのです。

 その為に、自分の生活の場は、自分の生活とし、今度の光の天使は全部、事業をやりながら出てきております。宗教などでメシなど食いません。それが本当です。神は、一銭の、人間から金など要らないのです。太陽はタダです。神の心です。これが神理です。

 私は実業家として、あと4年、5年後に於いては、その面に於いても世界でも知らん人がなくなるでしょう。当然なことです。それが道です。イエスの時代や、或はまたゴーダマの時代ならば、それでよかったのです。現代の時代は、それでは駄目なのです。教祖や、その取り巻きが優雅な生活をするために宗教があるのではないのです。

 真の宗教とは、宇宙の、人間として、生きる道を教えているのです。そして人間に生きる悦びを与える道なのです。これが神理なのです。神は人間の造ったものを欲しません。大事なのは、美しい一人の人間の心が欲しいのです。道はやがて開かれていきます。我々の前途は光明に満たされます。そしてその人達は救われていきます。

 やがて地上界の人々の、一人一人の心が調和されてきたときに、我々の肉体の先祖は、その姿を見て、俺達の時代とは違う。なぜ俺達は、この厳しい環境にいるのだ。難しいお経ではなく、皆さん自身の日常生活一つ一つの想念と行為の光が、やがて地獄の世界を救っていくのです。最終ユートピアは、地獄のなくなる時です。

 サタンは、私が今、一生懸命に「新復活」という本を書いております。モーセの十戒を始めとして、間違った宗教を修正している為に、やっきになって私のために攻撃をしてきます。しかし例えルシフエル・サタンなりといえども、私のかつての弟子です。彼はやがて私の軍門に下るでしょう。知らないから地獄に堕ちているのです。彼らも救われるでしょう。私は命懸けです。

 それは皆さん一人一人が自覚された時に、皆さんの周辺の肉体を持っているところの先祖達も、救われていくのです。坊主の難しいお経によって救われるのではないのです。お経の意味が分かって、生活しているような人なら、天上界へ行きます。

 ゴーダマ・ブッタは、決して、死んだ人間を浄仏させる為に、坊主を作ったのでないのです。生きている人間を、どのように導き、人間の心を指導するために、この地上界へ出てきたのです。

 地獄に堕ちるというのは、人のせいではなく、自分の思念と行為の間違いそのものが、自分の行動によって地獄に堕ちたのです。

 天上の世界がピラミッドのように高くあれば、逆にまた地獄の世界は逆ピラミッドとして存在しているのです。この地球は、その中間的環境にあるのです。その為に、皆さん自身が善を思えば、善の行為をすれば天上の世界に、悪の行為をすれば地獄の世界に。彼らはいつでも待っております。

 それだけに、正しい心、正しい法、この道を己自身のものとして生活をしなかったならば、人間は救われないのです。

 しかし皆さんの心の中には、誰しもが神の子としての、真の愛の心を持っているのです。何故ならば、すべて皆さんは天上の世界から約束されて、この地上界へ出てきたのです。帰る時に、あれもしよう、これもしようではなく、今の1秒1秒、一日一生の己自身の完成が、皆さんを、より大きい、広い、豊かなものにしてゆくのです。

 今、厳しい経済的環境にあろうとも、悲観することはないのです。今その厳しい環境の中で、今、皆さんは自らの魂を学習するために、今その体験をしているのです。例え経済的に恵まれていようと、その環境に安住するものではないのです。恵まれているならば、それを大事にし、気の毒な人達に、真に愛の行為を無所得のままにしてやることなのです。これが道なのです。皆様は皆、兄弟なのです。生まれの環境が違おうとも、神の子として、全て太陽の下に兄弟なのです。他人ではないのです。

 袖すり合うのも多少の縁といいます。まことにその通りです。皆さんが目覚め、自らを自覚した時に、皆様は神の子としての道を、己自身がして、実行していくのです。

 今、私のしゃべっているこの言葉は、皆さんの心の中に、全て記録されていきます。そしてこの地上界を去った時に、真実であるか、ないかを、皆さんは自らして解るのです。その時に救われるのです。

 生きている内に、自らを造ることです。道は永遠に続きます。今、この世かぎりではありません。やがて我々は、あの世に帰ります。そしてまた、いつの日か、地上界か、或はまた他の天体に出てくるのです。  皆さんは自らに目覚めなさい。自らの心を開きなさい。小さな自分を捨てなさい。偉大なる神の光に目覚めなさい。それは愛です。それ以外に無いということです。

 この研修会を通し、自分の心を裸にして、神の、己自身の本性に目覚めてください。長い時間、どうもありがとうございました。(拍手)


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