はじめて法を学ぶ方のために
丸山 弘  
 
  高橋信次先生には、次のようにお導きくださっています。

   『もしも、太陽が西から昇り、昼夜の別が反対になったならば、地球は想像もできないような天変地異に見舞われ、人間は、宇宙空間にほうり出されてしまいます。地上の生活は、一瞬のうちに崩壊して、この世の終わりとなるでしょう。

  人間をはじめとした地上のすべての生物は、大宇宙の狂いのない調和があればこそ、変わりなく安定した生活がおくれるのです。それなのに、雨が降ったといっては怒り、風が吹いたといっては、天を呪います。

  与えられた環境にたいして、人間はまず、感謝することが大切でしょう。

  信心の始めは、感謝の心からです。自然の環境に対して、無条件で感謝できるならば、生きているそのこと自体に、無常の喜びが湧いてきます。雨が降ろうと、風が吹こうと、大自然の調和と恵みを理解すれば、怒りや呪は出てきません。

  雨が降り、風が吹くことによって、大気は浄化され、植物が育ち、明日の生命、明日の生活が約束されていることを知ったならば、大自然のこうした、はからいに対して、感謝の心は湧いても、文句などは出ないはずです。

  人はまず天にたいして感謝し、地上の環境についても、感謝すべきです。

  現在、自分がここに在る、この現象界に生を得たということは、だれの責任でもなく、いわば自分自身が求めたその結果として、在るわけです。

  そのわけは、人間は自ら意思し、考え、行動するように出来ているからです。他人のせいではありません。大事なことはこの世の誕生は、だれもかれもが、約束手形を発行して出て来ているということです。すなわち、今日よりも、明日のよりよき運命を約束されて出ているのです。あの世で学んだことを、この世でおさらいをする。おさらいがすめば、さらに一段と上に進むのです。

  人間の生命は、転生輪廻という螺旋階段を一歩一歩上にのぼるようなもので、上に上がればあがるほど、その人の運命は、よりよく開かれてゆきます。恵まれてゆきます。

  しかも、この世の修行は、あの世の何分の一、何十分の一も少なくて済みます。

  現象界に生まれ、肉体を持ったその意義は大きく、その人の魂にとって、またとないよき修行の機会を得たわけです。

  この意味から肉体先祖はもちろんのこと、両親にたいしての報恩感謝は当然のことといえるわけなのです。

  この世に人類が生存するかぎり、肉体先祖への報恩感謝、両親にたいしての孝養は人倫の道であり、どのような時代がこようとも、永遠に変わることはないのです。

  また、人間がこの世に出て、肉体を維持できるのは、万生を含めて動、植、鉱物のエネルギーのお陰であり、これについても感謝の心を忘れてはなりません。
 
  健康で食がすすみ、毎日が元気ですごせるのもこうした万物の恵みがあって初めて可能なのです。

  食物も生きています。感謝の心を持ってこれを取れば、その食物は滋養となって、血や肉となって健康を維持してくれます。

  反対にぜいたくをし、年中不満の心で食する場合は、食物もその人を嫌い、栄養になってくれません。
 
  物を大事にし、いつくしむ人には、万物は喜んでその人に奉仕してくれます。感謝の心は感謝になってかえってくるのが循環の法則だからです。

  人間には肉体のほかに、意識というものがあります。即ち精神であり、心です。心配ごとや、勉強などの精神労働にたいして、そのエネルギーの補給は睡眠によって、得られます。さらに、もつと大事なことは調和です。
 
  神の心を自らの心として、調和の毎日を過ごすことができれば、その意識は、常に健全に保たれ、精神活動にたいするエネルギーの限りない補給が続きますから、ふつうの何倍ものエネルギーを消費しても疲れを知りません。
 
  精神エネルギーの源は神仏の心であるからです。
 
  人間は神仏の子です。神仏に目を向け、調和の心を忘れなければ、神仏の保護をうけるのは当然ではありませんか。
 
  神仏に目を向けるとは、自分自身にウソのつけない善なる心を信じ、ウソのない毎日の生活を続けることです。
 
  自分の心にウソがつけないのは、自分の心の中に、神仏の心が宿っているからです。
 
  信心とは、自分の心を信じ、信仰とは、その心で日々を行じることです。大自然に調和し、肉体先祖、両親にたいしては報恩し、万生万物には感謝する。この心を忘れなければ、人間の精神は健全に保たれ、肉体も健やかになります。
 
  肉体がすべてだという誤った考え方は、決してしてはなりません。
 
  肉体は精神の乗り舟であり、大宇宙は、すべて、心を中心にして成り立っていることをあらためて認識しなければなりません。
 
  調和の心とは、神仏の意を体した守護・指導霊の惜しみない光をうけることだということを、この際、肝に銘じておいてください

  人として、普通一般に誰でもが最も大事にしなければならない道は、常識や礼儀、報恩感謝であります。正法への入門も当然この人間として最低限大切にしなければならないこれらのことを充分立派に実行出来ることから始まります。
 
  まず、自分自身の平素の言葉使いや態度や感謝の思い、行いから点検して見ることから始めてください。

  嬉しい時には嬉しい、有難い時には有難うございます、美味しい時には美味しいと、その喜びを言葉に出して言うことができるでしょうか。

  肉体のことを五官ともいいますが、五官のうちの口のことを舌といいます。舌(ぜつ)は、食べ物を入れる役割とことばを出す役割があります。人は、誰でも好きな食べ物を選んで口に入れますが、しかし、口から出す言葉は、その時その時の思いによって異なりますが、食べ物を自分の好きな物を選んで入れるならば、出す言葉も、たとえ人からどんなに非礼な言葉を浴びせられようとも、相手に対して生きる勇気と希望と悦びを与える明るい言葉を差し上げることが法に帰依した者の道であります。そのような正しい食ベ物と正しい言葉を出す精進努力の積み重ねにより、相手の心も悦び、また自分の心も和み、豊かな心に成長していくのであります。やがて心は調和され、神のみ光に満たされることとなります。

  そのためには、まず入門の書であります「心の発見・神理・科学・現証篇」と「人間釈迦・第一部より第四部」を予め毎日拝読する頁数を決め、例えば、二十頁と決めたなら、その二十頁を一日のうちに出来る限り何回も拝読することであります。その中で感激感動した部分には、赤色のサインペン等で線を引く、または別のノートに書き出す等の創意工夫をして実行することです。

  しかし、今日は気分が良いから三十頁拝読し、翌日も翌々日も気分が乗らないからお休み等といった気分次第で拝読することは絶対慎しんで頂きたいと思います。
 
  高橋信次先生のすべてのご著書は、一般のご著書とは違い、神のみ光に満たされた法の教科書であります。いまご著書を開いて拝読しておられる貴方様に対して、天上界より、ご著書を通じて直接大いなる心の波動を賜り、お導き賜っているのです。身も心も正して拝読してください。
 
  次に大事なことは、ご著書の拝読の仕方です。きっと貴方様にはこれまでの人生で初めてお聞きになられることだろうと思いますが、拝読しながら自分の思いで理解をしながら拝読しないでください。もしも自分の思いで理解しながら拝読いたしますと、光ある偉大な法も貴方流の考えのものに変わってしまうのです。即ち、読まれた後から直ちに貴方様の思想となって貴方様の心に入っていくこととなるのです。

  きっと長い学生生活の間も、常に教授の講義は、自分流に理解した聞き方をしてこられたことと思いますが、それは正しい聞き方ではないのです。

  こうした聞き方が今日世界中で行われているため、国際会議などでも、それぞれ自国に都合の良いように解釈する、そして争いが発生するということが繰り返されて来たわけですが、高橋信次先生には人間は神の子であるから、皆正しく聞くことにより、いくつもの理解はないのだとお教えくださっています。私たちも、数年前よりまず地球全域の大学生に呼びかけ、正しく聞く運動を展開することを検討いたしております。こういったことだけでも、この地球全体が明るく楽しく平和な神の王国になることは間違いのないことであります。

 全人類が法を学び実践することにより、すべての人類は、神のもと皆兄弟であり、皆平等であり、餓えや争いのない相互に助け合い、補い合い、許し合い、一日も早く思いやり合って生きることが出来るよう、この法を広めなければならないのであります。

  そのためにも、まず貴方様には本日から必死になってご著書拝読と、別頁掲載の各地にある学修会ならびにビデオによる講演会にご参加くださいますようお待ち申し上げております。

  なお、ご著書は全国の有名書店にありますが、もしも手に入りにくい時には、当会受付にお申出くださればお送り申し上げます。但し、別途送料を頂きます。

  また、月刊「ほくりく」誌と「ひかり」誌のバックナンバーについての申し込みもまた受付に申し出てくださいますようお願いいたします。

入会希望、ならびにご質問・ご意見等は、メールにて下記宛ご連絡ください。
メールアドレス houwomanabukai@gmail.com

 

 


   

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